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リハビリ記録その7
2003-5-04 山内正敏
キルナは4月中旬に暖波が襲って雪融けが一気に進み、街なかの雪が殆ど消えましたが(4月20日にはなんと+16度を記録して(復活祭当日としては確か過去最高)私なんかベランダでビールを飲みながら日光浴をしていた)、融け残った雪はその後の寒波でほそんどそのままです。5月に入ってやっと最高気温が再びプラスになっています。
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退院(昨年 11/1)から半年、発病(一昨年 10/29)から1年半たったので、早く報告を書かなくっちゃと思いつつも、この半月と言うもの仕事(+私用)が恐ろしく忙しくなって週末も2週続けて潰れてしまい、とうとう今週末までずれ込んでしまいました。もちろん忙しいと言っても、健康な頃の私ならせいぜい毎日3ー4時間も働けば済む内容ですが、今の私はタイプだけでも倍近い時間がかかる上に、リハビリや日常生活そのものにも時間を食うのでフルタイム(=余暇の時間ゼロ)かかった訳です。そもそも忙しすぎるのが祟ってこの病気にかかったのだから(そう、忙しくなかったら罹っていなかったと思うし、仮に罹っていたとしても半年で全快するぐらいの軽症で済んでいた筈)反省はしているのですが、この、他人に任せられる仕事を背負い込んでしまう(しかも病人のくせに!)私の貧乏性は死んでも直らない気がします……まあ、いいや。
で、取りあえずこの一ヶ月の回復ですが、まず歩行器の使い方が上達して、山なりの敷居を跨ぐ事や室内自転車のサドルに座る事(補助2人)が出来るようになりました。一年半ぶりに乗るサドル(というかサドルに乗ってペダルを漕ぐ事)は気持ち良いものです。それから歩行器で体を支えながら体重計に乗る事もやっとが出来るようになり、退院以来初めての体重計測では、なんと半年で約9kgも増えて60kg台を回復しておりました。ちなみに1年前の体重が48kg、病気前が68kgです。変動分の内訳は失った20kgのうちまず間違い無く16-17kgが筋肉(脂肪は3-4kg)で、回復した13kgのうちおそらく5-6kgが筋肉、6-7kgが脂肪です。入院した当初、お医者さんは先ず脂肪が落ちてから筋肉が落ちると言っていましたが、実際には逆で、(他の神経と違い)運動神経が通らないと(どんな食事をとっても)筋肉が毎日減って行きます。これは無重力での宇宙飛行士が(船内トレーニング無しには)ほんの1週間でヘロヘロになってしまうのと同様の現象です。
雪融けに伴い車椅子漕ぎは病院の廊下から道路に移りましたが、車椅子と言うのは横の傾きに非常に弱く、道路の端では傾きが大き過ぎて上手く漕げないので、どうしても道路の真中側を漕ぐようになってしまいます。これは電動式の車椅子でも同じ事です。と言う訳で、もしも道路で車椅子の人に行き会ったら、なるべく横傾きの少ない側(或いは凸凹の少ない側)を譲ってやって下さい。
横の傾きには弱いですが、登りなら大丈夫で、6%ぐらいまでの登りなら登れます。実際、1km離れた大型スーパーからの帰りが急坂付きの登りなのですが、これを初めてのトライアルでいきなり自力で全部漕いでしまい(そう、登る前は私も介護も無理だと思っていた)、以来、毎回自力で全行程漕いでいます。この登りの急な事と言ったら、私が漕ぐ様子を介護ばかりか通りがかりの車までが必ず呆れて見とれるほどです。
手の方は、両手で爪楊枝を使ってみたり、スプーンやフォークの要領(手首を固定した上に、更に穴付きバンドを巻いて、そのバンドに差し込む)で歯ブラシを使ってみたりし始めました。昼食後はこの要領で歯磨きします。但し虫歯予防の観点から大事を取って朝晩の歯磨きは介護にやってもらっています。足も少し器用になり、寝返りの際に布団も足で掛け直す事が出来るようになりました。ちなみに1週間前からは介護が正式に4人に減って毎晩4時間介護無しとなっています。プールはビーチボールのキャッチボールが水の中(胸まで)に立ったまま出来るなど安定性が増したので、プールの際に介護が水に入らなくても良いようになりました(今まで安全確保の為に入っていた)。
プールは週2回で、車椅子での外出も週2〜3回ですが、他に毎日のリハビリとして、柔軟運動2回(x40分)、歩行器で歩く練習+立つ練習2〜3回(x10分)、自転車のサドルに座って漕ぐ練習1回、車椅子に座ったまま自転車を漕ぐ訓練30〜40分をやっています。この自転車ですが、メーターが全くの馬鹿で、ギアに関係なく『ペダル60回転=10kcal=0.27km』となっており、実際の仕事量は全く分かりません。でも
回復の度合いは相対数値化できる
ので役立っています。一番軽いギアで回転数/単位時間を比較すると2ヶ月前の25%増、3ヶ月前の50%増となっており、また、3ヶ月前に一番軽いギアで出していた回転速度を最近は二番目に軽いギアで出すようになっています。ギアは8段あるのでまだまだ楽しみです。
雑務の忙しさは冒頭にも書きましたが、忙しくなる直前に昔のオフィスのものをやっと全部新しいオフィスに移して、昨夏から始まった引っ越しプロジェクト(これは正にプロジェクトだった)も山を越えました。あと、部屋の片づけが残っていますが、現在棚上げ状態(これが本当の棚上げ)です。忙しい自分の雑務の方は例えば論文の査読があり、病み上がりのリハビリを兼ねて text だけで 27kb にも及ぶレポートを書いてしまいました。著者には悪かったかなあ? 雑務は他に研究申請書がいくつかと、明後日の会議(400人参加)のポスター発表の準備、確定申告、オーロラDVD(私のオーロラビデオのDVD版)の検証、日本でのギランバレー患者の会立ち上げへの(web 掲示板への)コメント等です。
最後にあげた患者の会ですが、実は日本にはギランバレー関係の患者会は未だにありません。それが悪くて私のような重症患者が厚生労働省の政策から置いてきぼりを食らっている(厚労省はギランバレーを『特別な治療やリハビリをしなくても勝手に全快する病気』と考えているフシがある)訳ですが、このほど厚労省が例によって軽率な事(医療費包括評価制度の急性期(初期)医療への単純な導入:それが実施されるとギランバレー治療の定番であるIVIG(血液製剤の一種)が保険から事実上外される可能性があるという馬鹿な事態が生じる)をしようとしているので、日本で患者会の結成の動きが急に起ったものです。今回の政策がギランバレー治療に如何なる影響を与えるか
ギランバレーのサイトに書きました
ので、それを御覧下さい。
4月は雑務やリハビリの他に事故の多い月でもありました。歩行器を使って電動式車椅子に移る際に座りきれずに滑り落ちて右膝を傷めた(お陰でプールが1回中止になった)他、夜、介護が帰る前に尿袋を空けた時、その栓を閉め忘れて、マットや床が尿でビチョビチョになったり(この掃除は呼び出し介護はやってくれず、そんな時に限って朝担当が急病で来れなくて気持ちの悪い朝をずっと我慢した)、研究所の入口の泥落しに車椅子の車輪がはまって、それをどうかしようと下を向いたとたんに自動ドアが勢い良く閉まって額に大きなこぶが出来たり(これだから高級感のある重いドアは危険!)、パソコン(英語システム)の日本語用の基本辞書を間違って捨てて、日本語がマトモに打てなくなったり、いずれも体が不自由な事に起因する事故ですが、まあ、事故が多いと言う事はそれだけ activity が上がっている事なので、よしとしています。
先に介護が4人に減ったと書きましたが、減った1人(11月からの古顔)は 200km 南の街で終身雇用職に就きました。私の介護はもともとが今春までの積もりだったそうです。どうも私の介護には介護を専門とする人がおらず、大抵は次の仕事へのつなぎとして私の所に来ている様で、例えば高校出たての19歳が多い(正規臨時合わせて3人)のもその為です。こちらの一般的進学パターンは高卒後1〜2年働いてから進学するというものなので、19歳の介護が多くなるようです。
さて、発病1年半現在で私は一体何が出来て何が出来ないか? 筋肉はどんな感じなのか? ちょっと羅列してみます(詳しくは冒頭にリンクしている概略表を参照)。
*出来ない事:補助無しで立つ/立ち続ける/歩く、片手でモノを掴む/持つ、大きなものや重いものを運ぶ、床から椅子に移動する、小便(だから尿管が必要)。
*出来る事:頭と口だけを使う研究(頭以外を使う研究はもちろん、頭を使わない研究についても自信が無い)、パソコンをソフト的に使う(ハード的には使えない)、補助用具を使って食事や歯磨きをする(その補助用具の取り付けは出来ないが…)、両手で挟んで1.5kgまでのモノを持ち上げる(ビールのジョッキも)、痒いところを掻く、指を何か(スイッチとか)に引っ掛ける、浮き輪を使って背泳をする、水の中(胸までの水)を歩く、ビーチボールのキャッチボール、コートに手を通す、床に起き上がる、車椅子で色々なところに行く。
*感覚神経異常:手のひら全体(指を含む)にジンジンした感じの痺れがある(発病3ヶ月目あたりからずっと)、後頭部から背中にかけての脊椎が痒い(この痒みは1ヶ月前くらいからだが、明らかにギランバレー関係)、向こう脛には何の筋肉感覚も無い。
*筋肉/生活に支障をきたさない部分:胸から上、肘から上、背筋
*筋肉/動くが生活に支障をきたす部分:手首、指のごく一部、腹筋、尻+腰、膝、足の指
*筋肉/自力では殆ど動かせない:指のほとんど、足首
*筋肉/固まって殆ど動かない:手のひら、指の付け根
特に手は拳骨を握ることが出来ないばかりか、曲げる事も伸ばす事も殆ど出来ず(手を最大に曲げて指の先端が掌からやっと90度しか曲がらず、パーに至っては全く不可能)、重いキーボードはまだ叩けません。要するに犬や猫の手足と同じ程度の自由度しか無い訳です。一番困るのがパソコンが hang up した時で、そのときは3つのキー(ctrl+shift+start)を同時に押さなければなりませんが、右手で左手の指を2つのキーに乗せて、それが摩擦力でなんとかキーの上に乗っているうちに急いで右手で3つ目のキーを押しています。
尚、手首や手や指の肉はげっそり落ちて、しかも風呂上がりの時のようにしわくちゃです。足の肉もげっそり落ちています。呼吸筋はかなり戻っていますがそれでも時々喉がむせる事があります。呼吸は完全な腹式呼吸では無く腹と胸と半々ぐらいで、腹筋が足りないので起き上がる時は一旦横向きに体をひねって起き上がります。
という訳で、全快にはまだまだ遠いですが、これほど時間がかかっているのは私の患っているギランバレーが通常のギランバレー(=絶縁破壊型)と違って断線型だからだそうです。ギランバレーでは運動神経が麻痺しますが、麻痺と言っても実は2種類あります。神経(信号を伝える線)を電話等の電信線に例えると、電信線は導線(=軸索)とその回りの絶縁皮膜(髄鞘)から出来ており、そのうちの導線そのものが切れて(=断線)信号が伝わらなくなるものを軸索障害型と云い、導線のまわりの絶縁皮膜が剥がれて(=絶縁破壊)信号が伝わりにくくなるものを脱髄型と云います。通常のギランバレーが後者であるのに対し私のは前者という事になります。
さて髄鞘(絶縁皮膜)は再生し易いですが軸索(導線)は簡単には再生しません。それ故に軸索障害型(断線型)のギランバレーは回復に余分に時間がかかります。それでも普通の断線型なら、全快に近い程度まで回復するそうですが、私の場合は更に運の悪い事に、 運動神経のみならず自律神経も障害を受けており、また軸索のみならず髄鞘も障害を受けてのではないかと思われる(完全断線)タイプで、後遺症の残りやすい、一番の重症型に当ります。
ギランバレーというのは症候群であって病気ではありませんから、症状の範囲も広い訳で、例えばむち打ち症と言っても軽症から重症まで色々あるようなものです。で、当人ですが、実はつい1ヶ月前まで、自分の罹ったのが後遺症の残るタイプである事を認識しておりませんでした。それどころか断線型である事すら認識しておりませんでした。発病直後に入院した大学病院の調書にそれらしき事が書いてあったのですが、専門用語+スエーデン語の壁で理解できず、このほどようやく解読した次第です(回復が異常に遅いので重度の後遺症が残りそうだと云う事は半年ぐらい前から認識しておりましたが)。まあ、結果的には知らなくて幸せだったと言えます、と云うのも初期リハビリに熱が入ったから。今はとっくに長期戦の構えなので、後遺症の残るタイプと知ってリハビリが変わる事はありません。
Web で調べる限り、40歳以上でAMSANに罹って再び走れるようになった人は皆無なようなので、AMSAN回復の最高齢記録を目指す予定です。目標は3年後のバサロペット(90kmスキーレース)です。
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付録1:包括医療とギランバレー治療薬(IVIG)に関する投稿から
保険たるものの、そもそもの概念が(低額でなく)高額必要になった時に助け合うというものだから、金銭的に高いもの程保険であった方が良い筈ですが、それでは保険料が高くなるので、効果と金額の勘案という事になっているんですよね。で、GBS における IVIG が金額に見合う効果を持つかというのを、保険料を払う側の立場から見てどうかという自問になると思います。その場合の基準は、
(1)回復が早いほど患者や関係者が幸せである、という金銭に勘定しにくいもの、
(2)他の病気と比べてどうか、という実際的なもの、
(3)回復が早いほど社会的損失が少ない、という世知辛いもの、
があると思います。
個人的には(3)の議論は嫌いなのですが、簡単に計算すると、患者の健康時の生産性が年600万円の時(これは給料だけで無くすべての生産を加えての価)、回復が3ヶ月早いだけで150万円(IVIGの投薬費)以上の社会的プラスになります。国民総生産とかから計算すると、計算の仕方次第では1ヶ月早くても150万円の元がとれることになります。ちなみにIVIGを投薬すると回復は最低でも数ヶ月早い事が広く数々の臨床実験で確認されています。
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付録2:April Fool に出したメールから
Subject: Space News
The ice hotel and the institute for space science in north Sweden have agreed to build an ice observatory next fall. The observatory, named "ice-uso" (ultra-space observatory), includes aurora camera, IR spectrometer, and other instruments, which requires cooling for noise reduction. To keep the observation also during summer time, the entire observatory will be made portable, such tha it can be stored in the refrigerator house in Jukkasjarvi.
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