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リハビリ記録その6

2003-3-31 山内正敏

 前回の報告から1ヶ月が経ちました。
 この1ヶ月の最大のニュースは『水の外で歩く練習』の開始です。膝固定器と足首固定器で膝や足首を保護しながら、肘で歩行器にもたれ掛かって足を約 10~15cmずつ踏み出しもので、始めのうちは2人の補助(1人は歩行器を支え、もう1人はリハビリ用腰帯を支える)で、今では腰帯担当の1人だけの補助で、アパートの中約10mを10〜15分かけて歩いています。練習を始めた当初は緊張で汗だくになっていましたが、今はあまり汗をかきません。歩く事自体は前々からの予定通りで『当然歩ける』と云った程度ですが、実際に歩くとやはり感慨があります。特に、幼児の視点(車椅子からの視野)と大人の視点(立った時の視野)が別世界(とりわけ台所がそう)なのを実感できたのは大きく、一昔前(今でも?)日本の女性にヒールサンダルが流行ったのが頷けました。
 水の中での歩行訓練でも進展があり、胸の深さなら支え棒なしで1歩ずつ前に進む事が(とても『歩く』と言えたものじゃないけど)出来て、ついでに棒につかまっての水中段差の昇降訓練も始めました。水泳も上達して、背泳、烏賊泳ぎ、平泳ぎなら首浮き輪だけでプール縦断(8m)ができます。
 歩く練習が始まったついでに、ベッドと車椅子との間の移動にも歩行器を使うようになりました。今までは尻の下に滑り板を敷いて、介護の人に腰を押して(引っ張って)もらって移動しており、半年前に至ってはリフトで2人掛かりで空中移動して貰っていました(ちなみに現在リフトは床と車椅子の間の移動に使っています)。こういった練習のお陰かどうかは知りませんが、太股の表裏両方の筋肉が働くのを少し感じるようになり、実際、車椅子の足台を外すと、完全に平坦だったら足だけで(手を使わず)後ろに少し蹴る事が出来ます(まだ、たった1mに3分かかりますが)。
 脚力の復活は自転車訓練でも表われ、先月まで一番軽いギアで練習していたのを今月は2番目に軽いギアで練習しており、よって不要になった電動式自転車(ペダルが勝手に回る)を送り返しました。返却先は病院では無く、リハビリ用品を売っている会社です。実は電動式自転車だけは(他のリハビリ用品と違って)キルナ病院になく、これを昨年6月に県病院本院(350キロ南のル−リオ市にある大病院で、1ヶ月間そこに転院していた)で使って以来、これこそキルナ病院のリハビリ病棟に必要なものだと思って体操療養師その他に交渉していたのですが、昨年度予算に余裕が無く、『予算の決定権がルーリオにあるから、待っていたら半年かかる』と云われて、せっかちな僕は9月から個人的に借りた訳です。3ヶ月の借り賃が約3万5千円(半年借りたので7万円)ですから、決して安いものではありませんが、これを機に病院側(正確にはルーリオの県庁の病院役員)が購入を考えてくれれば後の患者が助かるので、さっさと借りました。
 腕は、両腕で挟む力が回復してきて、例えば両手を使えばゴム毬でキャッチボールが出来るようになり、手首固定器なし(完全自力)でも朝食のサンドイッチが食べられ、鼻がかめ、乾杯が出来るようになりました。また、指ペンでなく、普通のボールペンを親指と人指し指に挟んでサインが出来るようにもなっています。但し大きな簡単な字を書くのがやっとで(小学1年生にも及ばない)、僕にとって肝心の方程式や図面(タイプできない!)が書けるようになるにはもうちょっと時間がかかりそうです。指の方は3月中旬には鍵盤ハーモニカが友人から届いたので、それを指1本1本で叩く練習を始めました。指の独立性が悪い上に、そもそも第3関節が十分に曲がらないので、白鍵は何とか打てても、黒鍵はほとんど打てません。逆に云えば、鍵盤を1本1本叩くのは非常に良いリハビリになります。
 4月のリハビリの予定ですが、もしかするとウーミオ大学病院(1年5ヶ月前の発病時にヘリコプターで運ばれた 600km 南の病院)の神経リハビリ病棟に検査と訓練の為に入院するかもしれません。これは半年以上も前から僕が要求していた事で、行き先の県が違う故に(この国では医療は県単位の責任になっていて、県外場合は県同士で費用のやりとりがある)非常に長いプロセスを経て、3週間前やっとルーレオの県病院本院側が僕を県外に出す事に了承したものです。スウェーデンでは病院は官僚制の代表みたいに言われていますが、この件に関して言えば確かにその通りです。よって、仕事に正式復帰するのも、このウーミオ行きの後になります。
 お役所的といえば消防署の監査もありました。消防署側は研究所のセクション毎のドアを(火事の際に)全部閉めるよう要求してきましたが、僕が異議を唱えた結果、僕のオフィスのそばのドアに限っては(身障者が不安を感じないようにという名目で)ドアを開けっ放しにする事が認められました。ちなみに火事の際は僕の在不在にかかわらず消防署員は僕のオフィスを真っ先に捜す事になっています。お役所型人間とのやりとりはリフトの使い方の講習会(2月に入れ代わった介護や臨時介護の人たち用)の際でもあり、講習担当者が『リフトは必ず2人で操作する』という条項を言うや、僕が『2人よりも1人の方が安全な事もある』と文句を言って、結局僕に限って(介護の訓練度にもよりけりだが)1人で良い事になりました。多少は融通も効くようです。
 さて、介護の新しい陣容が揃ったところで2週間前に懇親会(3ヶ月振り)を開きました。正規、臨時あわせての8人に、あとから日本人3人(スキーを借りに来た)も加わり、そのまま夜10時半にははタクシーで街に繰り出して、1ヶ月前にオープンしたというカラオケ pub に行って(スウェーデンではカラオケが非常に盛ん)、たまたまやっていたカラオケコンテストを見てきました。コンテスト参加のたった6人しか唱わないのに pub には百人近くおり、現在の日本とはもちろん、20年前の日本と比べても全然違った熱気です。かようにカラオケの内容は日瑞で全然違いますが、飲み屋にべろべろの酔っ払いがいるのは世界共通のようで、介護の1人が完全に雌虎となって、他の介護の顰蹙を若干買っておりました。
 研究所のオフィスはまだ引越しが済んでいません。データや資料の多い事に我ながら呆れています。引越しが進まないのは、他人に整理してもらう事の能率の悪さ(自分でやるより5ー10倍の時間がかかる)もありますが、次々と別の雑用が入るせいでもあります。但し、オーロラ生映像 web にかかった時間は、これら雑用に比べれば誤差みたいなものです。
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蛇足(2003-3-20)
戦争ばかりでは人間おかしくなるので良い話をお送りします。
(1)2年前からの懸案であった オーロラ生映像(1分更新)が、和歌山県みさと天文台の全面的な協力によって IRF で一昨日から始まりました。
 安価な全天カメラを使っているので色は出ていませんが、動きの早さを実感するには良いと思います。出来れば IRF の磁場の動き と比較して御覧下さい。

(2)待望の歩く練習が先週より始まりました。2人の介護の補助のもと、歩行器+両肘で身体を支えながら、足を踏み出して行くもので、たった10mに10ー15分かかり、しかも汗だくになりますが、とにかく水の外で歩くのは約1年5ヶ月ぶりで、全く違う視点(高さ)からアパートを見回すと全てが新鮮に見えます。

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