2001年7月 サブ・クングス レーデン 山歩き記録
地図
写真大判 : ftp://maxus.irf.se/pub/perm/yama/photo/
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7月9日=第2日(晴れ時々曇り、強風、午後8時夕立ち) 宿195kr
起床 7:30
9:20 発 Unna Allakas(ウンナ・アラカス)小屋
(+3km)10:20-10:35 970m の小峠
(+4km)11:45-12:20 2つの湖(上下スナーラップ湖)の間
(+3km)13:25-13:40 峠を越えた直後の川べり
(+2km)14:20-14:30 見晴らし台
(+2km)15:15-15:45 Alesjaure(=アリスヤウレ)小屋
(+4km)16:45-17:00 橋の1つ手前の小川
(+5km)18:05-18:20 扇状地分流の1つ目の川
(+2km)18:55-19:05 徒渉(シエルマ川)
(+2km)19:40 着 Tj"aktja(シェクシャ)小屋
就眠 22:00
朝、寝床の窓から外を見る。昨晩の快晴は望むべくもないが、青空もあれば太陽も明るく、ノルーヱーの切り立った山は頂上まで奇麗に見え続けている(写真)。まずまずの天気と言えよう。最新の天気予報でも雨は降らないとか。昨日朝の予報で本格雨との事だったから心配はしていたのだ。同室人のおじいさんが出発準備を済ませた頃にやおら起き出して朝食の準備を始める。
台所では旧式の、日本では30年前に姿を消した手動式プロパンコンロが現役で活躍している。小学校低学年の頃に使い慣れた筈だが、空気調整が結構難しく、直ぐに火が消えてしまって、マッチの2本目でやっと安定したガス火を得る。お湯を沸かして私の十八番たるムスリ・肉入りのスープを作る。もちろん栄養満点だ。夜に赤飯と肉を食べ、朝これを食べれば一日に相当歩ける。あとブルーべリースープも作る。これは粉末をお湯で溶かす。同行者が大量にお茶を持って来ているのでこれも飲む。結局朝食はお湯だけで済ませてしまった。食器洗いの便を考えるとこれが一番といえる。山小屋では、水を汲むのはもちろんのこと、排水もわざわざバケツで小屋の外の排水溜まりに持っていくから、出来るだけ節約する。
昨日1日で1週間分相当の内容を経験したから今日は精神的に気楽だ。実際の行程も緊張を要しない。昨日の徒渉のような大難所はないし、初心者でも歩ける距離に山小屋ネットワークがある。1つ目の山小屋までが峠越え14kmで、そこから先に至ってはクングスレーデン本道の通称「高速道路」をたった13km行けば次の山小屋がある。昨日みたいに30kmもの難路区間にわたって本格的山小屋が一つも無いという事はない。常識的にみて2つ目の山小屋までの27kmは我々の実力と今日の天気からして難しいものではないが、途中にエスケープがあると云うのは何とも良い。現に、もしも雨だったら1つ目の小屋までで止めて残りを休養に当てる積もりだったのだ。天気は良いものの、昨日の疲れが気になるから、心積もりは「出来れば2つ目の山小屋、駄目だったら1つ目であきらめる」と決めている。天気の良いうちに出来るだけ距離を稼ぎたい。
小屋の前で記念写真を撮って9時20分に出発する。今朝は随分のんびりしたのに、それでも昨日より30分も早い。ますます気楽になる。こういう時にこそ花や風物をゆっくり楽しむべきだろう。となると同行者を急かしてはいけないから「今日の宿は一応次の小屋で、余裕があったらその次まで行く」と告げる。もっとも同行者は昨日の強行軍の経験から、たったの14kmで止めるとは信じていないようだ。
出発2分後、いきなり1つ目の「珍花」に巡りあった。早速立ち止まってカメラを出す。赤紫の何となくふわふわした花(紫大根を思い出させる=写真)で、キルナ界隈に無いのはもちろんのこと、野花の自然植物園たるアビスコでもみかけた記憶が無い。その姿、色、植生条件環境は、私がアラスカの山の草原で何度か見たことのある奴に似ている。そちらのほうは、本によれば英語名 Parrya と言ってマスタードの仲間である。アラスカでも人里離れたところにしか見られない代物で、わざわざ『ツンドラの花の探索』と称して山の草原までテントを担いで行った時に群生を見かけたことが何度かある。もちろん今見ている花とその花が同じものであるかは分からないが、そんな事はどうでもよい。アラスカと北欧とで一年草の進化が違うのは当たり前だから、似ていればそれで十分だ。
山小屋を斜め下に見ながら再出発する。いきなり急登が始まる。山腹を這うように
100m余り登る途中、今度は野鼠(栗鼠)の登場である。登りに弱い同行者どもは、これ幸いとばかり足を止める。まあ良い。今日はおおらかな気分の行程なのだ。いくら止まっても構うまい。
ツンドラの登りを終わると、いきなり湿地帯に出る。木道が延々と続き、その上を楽に歩いて行く。やっぱり昨日と違って楽な行程だ。湿地帯の花も全然違う。違うからには鑑賞する為に同行者がちょいと立ち止まる。それもまあ良かろう。昨日の恨みは今日の花行程で解いてもらわねばならぬ。一番目立つ黄色い花はキルナ界隈にもありふれた花で、夏に水量が思いっきり減るような小川で育ち、雪解け増水のピークの時に咲く。その名を Caltha Palustris(英語名 Marsh Marigold、北欧名 Kabbeleka)と云うそうだが、正直な話、名前なんてどうでも良いではないか。花の美しさが同定できて、その花が『何時、何処で、どんな状況の時に咲く』のか分かっていれば、単に花の名前とか形とか色とか分類とかを覚えているより遙かにその花を知っている事になろう。なのに同行者Tは必ず名前を聞きたがる…。あ〜あ。
山月記・李陵で有名な中島敦が、西遊記の悟浄の口を借りて、こんな事を言っている。「俺は、悟空の文盲なことを知っている…中略…無学なことを良く知っている。しかし、…中略…少なくとも、動物・植物・天文に関する限り、彼の智識は相当なものだ。」「雑草についても、どれが薬草で、どれが毒草かを、実に良く心得ている。そのくせ、その動物や植物の名称(世間一般に通用している名前)は、まるで知らないのだ。」「目に一丁字の無いこのサルの前にいる時ほど、文字による教養の哀れさを感じさせられることはない。」
なるほどそうに違いない。少なくとも私一人で花を楽しむ分には、名前なんかどうでもよい。他人にキルナの野山の花の素晴らしさを伝える時だって、スライドで見せれば十分であって、観客は名前なんかに興味を持たない。そういえばオーロラだってそうだ。オーロラの形態にいろいろ学術的な名前はあるが、結局のところ百聞は一件に如かずで、観光客は名前よりも「どんな色のオーロラが何時何処に出るか」しか興味が無い。
慣れてくれば、植物の様子さえみれば、その名を知らなくとも、そこの気候すら分かる。目の前の草原に生えている草を見ればそこがぬかっているか乾燥しているか大体分かるし、冬にどのくらい雪がつもって、それがいつごろ解けるかも概ね分かる。オーロラ研究だって同じだ。「分かる」とは、現在出ているオーロラの様子から、現在の宇宙空間の様子を推定できるという事を指す。
もっとも、今でこそこんな事をうそぶいている私も、アラスカにいた頃には名前を一所懸命覚えようとしていた。花の余りに美しさに「私はこの花を知ってるぞ」と自分自身に自慢するためだ。でもスヱーデンに来て、英語と北欧語とラテン語と日本語の全てを覚えることが如何に労力の無駄遣いであるかを悟って、それ以来名前に気をかけなくなった。ツキは落ちたのである。
湿地帯を過ぎて一つ目の峠へと向かう。約150mの急坂を登る。後ろを振り返ると昨日の夕方見かけた大谷と、その向こうの山腹に昨日の最後の行程…峠からの下り…が視界を真横に横切っている(
写真)。近景は花満開の山腹と、直径3メートルはあろうかという大岩。同行者が登りで喘いでいるのを良いことに、さっと登ってはさっと写真を撮る。そこに我々以外の誰もいない。裏道の楽しさよ。
峠で1回目の休憩。丁度1時間で約300m登ってきた。例によって花の種類がまた変わる。同じ岩肌でも山腹と峠とでは植生が全然違うのだ。山腹の草原には白や黄色のやや大きめの花(おそらくキンバイやイチゲの仲間)が咲いているが、峠となると紫色の Saxifrage(英語同名、北欧名 Purpurbr"acka)が目を奪う。これに似た花で Loiseleuria(英語名 Alpine Azalea、北欧名不明、日本名ミネズオウ)も昨日は少し見かけたが、ここにはない。あと、ちょっと感じは違うがラップつつじ(ラテン名
Rhododendron、英語名 Lapland Rosebay、北欧名 Lapsk Alpros)も見当たらない。この花は山の尾根のような極端に環境の悪い所を好み、深い紫色の小型の花をいかにもツツジらしい葉の上につける、ある意味ではミヤマキリシマにそっくりの木である。違いは樹高のみ(せいぜい2〜3センチ)。私の一番気に入っている植物でもあるが、今回の山歩きではとうとう見かけなかった。余りにも小さいから、花が咲いていなければ見つけにくい。でも Saxifrage だって捨てたものではない。ちょっと離れてみれば、ラップつつじよりも鮮やかで美しい。
風が強い。さっきから強い向かい風だったが、峠はもっとすごい。気温と風の強さだけ見れば宮崎の真冬の季節風と同じなのだ。ただ、日本と違って乾燥しているから寒さは感じない。なにはともあれ、ここまで立派な体力行程だったから、体力回復の秘宝ブルーべリースープを早々と飲む。峠だけに水場はないが、この先300m程の所に川が見えているから、そこでコップを洗ってついでに水を飲めば良い。コップ? そう、携帯コップである。スヱーデン人なら誰でも何個か持っている。握るところがあって、先が楕円状にとんがっていて、ようするにちょろちょろした流れでも、激しい流れでもどこでも水が汲めて、沸騰したお湯もOKなら、雪を掻くこともできる。握りのところには穴があって、それに紐を通して何個も積み重ねてリュックに引っかける。野外活動には絶対に欠かせない便利な代物だ。中には家の中で使っている輩すらいる。それほど盛んなコップだが、私は北欧に来て初めてお目にかかった。山登り経験の長いTも初めて見ると云う。そのコップで昨日からずっと川の水だのブルーべリースープだの飲んでいたのだ。
川のそばには、また違った種類の花が咲いている。花自体は、山腹で見かけるキンバイもどき・イチゲもどき(Anemone とか Buttercap とか呼ばれている Ranunkel
科の花)とそっくりだが、良く見ると違う。いずれも茎がひょいと伸びて、その上に4〜5枚の花弁をつけるが、葉っぱはもとより、花の感じもちょっと違うのだ。更に乾燥した岩場に咲く白い花(ラテン名 Dryas、英語名 Avens、北欧名 F"allsippa)もあって、これも遠目には似ているが近くで見ると全然違う。
花が美しいのは緑が少ないからだ。花だけを取り出せば、花弁の大きさ、量、鮮やかさ、どれをとっても日本の野原のほうが上だろう。ただ、如何せん、花の色が、緑の強さに負けてしまっている。だからこそ可憐ながらもツンドラ草原の花のほうが目を奪うのである。緑に負けないぐらいに、場所によっては緑以上に赤紫、黄色、白のアクセントがひしめく。北に行けば行くほど、山に登れば登るほど夏の花が美しいと云われる所以だ。現に同行者たちは今回の山歩きを「クングスレーデン花探索の旅」と思い込んでいたフシがある。それはそれで間違いではない。確かに今日はそれを十分に堪能してもらうのだから。でも花を見せる為だけにこのコースを選ぶものか!
しばらく歩くとツンドラ草原地帯に出た。正確にはツンドラと草原は違う。だが区別する意味はない。我々に必要なのは、何処を歩けばが歩き易くて奇麗な花に巡り会えるかのみ。そう思いながら歩いて行くうちに、予想通り、ツンドラの定番たる Silene Acaulis(英語名 Moss Campion、北欧名 F"allglim、日本名は分からない)が目立ってきた。苔のようなふわふわした葉っぱの上に小さな桃色の花がぎっしりと咲き、まるで芝桜を思わせるような花だ。いくら名前による知識を軽蔑する私でも、この英語名は直ぐに覚えた。モス・シャンピオン。なかなか良い源氏名ではないか。当然写真のために立ち止まる。
この草原を抜けると山の北斜面にはいって、湿地気味ながらも見事なキンバイの花畑が始まった。じゅうたんのように黄いろい世界のすぐそばに雪解け網流、近景に岩山、遠景に雪山がそびえる(写真 叉は 写真 叉は 写真)。素晴らしい素晴らしいを連発しながら歩いては止まり止まってはまた歩く。その背面にはだだっ広い平野が広がる。川に堤防のない世界
は、川のように広々とした心を蘇らせる。そうなんだ、平地を狭くしているのは堤防だったのだ…。
路は草原から段々湿地になってくる。水を避けながら進んでいく。湿地といえども、寒冷地では草の塊がマウンド状にやや乾いた部分を作って(写真)、それを選べば運動靴でも結構歩ける 。湿地を20分程で抜けると、いよいよ渡川である。コースを見れば予想通り、渡板は全く残っていない。私は長靴を出せば渡れるが、同行者は山靴なのでそうはいかない。地図を見ると上流側に見えている湖の向こうを通ってもさほど大きな遠回りにはならないので、川に沿って土付瓦礫の上をひょいひょい歩く。登るにつれて、瓦礫の下の水が高くなってくる(写真 )。何故かというに、湖は2つあってその上湖と下湖は天然の堰で奇麗に分かれ、上湖から流れる水が岩の合間から下湖に流れているからだ。伏流水の一種と思えば良い。昨日の急登直後の湖の上流側もそんな流れだったが、ここの規模は今回の旅行で一番大きい。それだけに、この間を抜けるとなれば確実に渡れるルートを確保しないといけない。天然の堰の真中まで来て、ようやく確かに切り抜けられる事がわかる。それは天然の土手。すぐ横には上湖が満々と水をたたえ、折りからの強風にあおられて白波をたてている(写真)。比して2メートル下の湖はちっぽけだが、それでも背景の岩原の広がりを持って、天地を2分している。雄大にして情。もちろんここで昼食休憩だ。水はいくらでもある。
ちなみに川を遡りだしたとき、同行者は上湖があるとは思いもよらなかったとの事。まったく…下湖のようなちっぽけな湖があんな川の起源の筈がないじゃないか。意表を付く発言はこれにとどまらない。Tが更に「甘栗を食べるか」と聞いてくる。なんちゅう奴っちゃ。食べるに場所を選ばぬとはこのことだ。そう非難すると、Tの取り出したのは既に皮を向いてある甘栗。なるほど、これなら確かに山食料として申し分ない。栗を食べるうちにTが遠くの尾根にトナカイを見つけ、持ってきた双眼鏡で眺め始めた。どうもここではTが完全に主役である。
食事を終えていよいよ峠に向かう。標高差200mだからたいした事はないが、少なくとも高さだけみれば昨日の峠より200mも高い。実は昼食の地点で既に昨日の最高標高とほぼ同じ高さまで登って来たのだ。高いだけに景色も良い。背景には湖も平原も山々もある。昨日よりも確かに良い。考えてみれば、初めての峠らしい峠、山に挟まれた峠である。景色が良いのも当たり前だ(写真 叉は
写真) 。だが、良いのはそれだけではない。花が素晴らしい。岩肌に赤系統の花がところどころへばり付き(
写真 叉は 写真)、その上に白い花や黄いろい花がゆらゆら揺れている。量は多くないが、風情は抜群と言えよう(写真)。
峠をこえると瓦礫地帯である。問題はここからどう降りるか。実は路が切れているのである。しかも下りはコース選定が難しい。一人だったらこんな事はせずにずんずん下っているが、同行者がいるので地図を開く。まあ、この方向で大丈夫という見当で降りていく。ここでちょっとしたミスをした。地図を取り出すためにカメラを置いてそのまま置き忘れたのだ。それをTが見つけたのだが、今日の花行程で機嫌を良くして、さっきの湖で絶好調ぶりを発揮したTは、意地悪くも、カメラを隠して私が気付くまで黙っていたのである。その私がカメラを置き忘れたことに気付いたのは1キロ先。まあ、この程度なら本当に忘れていても直ぐに取りに戻れるし(路が無くとも自分の歩いたルートを確実に戻るだけの記憶力が無ければ、路のないところを行くような真似はしない)、現に6年前には標高差700mの山頂にレンズを置き忘れてそれを下山後に気付いて、それでも取りに戻ったくらいだから、この程度は大したことはないが、同行者にかわれる口実を与えたのは失敗だった。
峠を越えて1つ目の小川で休憩をする。白い花(イチゲ)の亜種が咲いている。雪解け水の流れの中に咲くという変わり種で北欧名を Isranunkel (氷河イチゲ)と云う。アラスカの花の本には載っていない。当然(写真)に収める。
休憩後、しばらく湿地だの瓦礫道だのを降りて行くうちに、いきなり広大な湖が背景の山々と共に現れた。アリスヤウレの湖だ。この湖の辺は何度か歩いたことがあるものの、こうして山の上から眺めるのは初めてである。何と光景なのだろう。まったく新鮮で、迫力もバランスも色も何もかも全然違う (写真 叉は 写真) 。ちょっと行くと展望丘があったので、少し早いが休憩にした。すぐ先の岩肌には先着2人が休んでいる。今日見かける2組目のハイカーだ。1組目は湖の手前で見かけた。明らかにテント行動と分かる連中で、我々が川を避けて湖の方に行ったとき、連中は川を渡って行ってそれきり見かけていない。そして、この2組目。昨日に比べると、このコースは確かに「混んで」いる。
花、花、花。
近くも遠くも花と水と山と雪。
吹き抜ける風。
休憩後、アリスヤウレに向かって斜面を降り初めていきなりぶつかったのがここだ。今日の、というより今旅行での花のクライマックスと言えよう。花の名所アビスコも顔負けという花の種類、数、そしてそれを引き立たせる背景がここには揃っている。アリスヤウレの湖と背景の山々はそれだけで十分に楽しめる(写真)。湖の畔からこの斜面にかけて黄花の刺繍が広がり(写真) 、それら静画の中で強風に激しく揺れる無数の赤黄ピンク紫の草原花が視覚的静寂を打ち消す(写真 叉は 写真) 。
花に恵まれたひととき、否一日。…いや、今夏がそもそも私にとって花の当り年なのだ。それはキルナの街、研究所への通勤路でもそうだ。植相ならぬ花相が目まぐるしく替わって、色彩的に最高に素晴らしい夏を迎えている。毎週毎週咲く花が違うのみならず、道路脇と湿地と草地で全然種類が異なるから、通勤が楽しい。こんなことなら週に2度の定点写真撮影をすれば良かったと悔やまれるが、なんせ今年が初めてだから、仕方がない。あれよあれよと云う間に夏は過ぎてしまった。夏はこれだから油断が出来ない。
だが、なぜ今夏だけなのか?
それは町の予算不足で草刈りが減ったからである。例年なら新緑が伸び始めるやひっきりなしに芝刈りをして雑草が伸びないようにする。ところが、今年は不必要な芝刈りを止めてしまった。となると、そこは日照24時間の街である。日本の3倍の速さで草が育つ。しかも、森の無い街、一面に湿地荒野の広がる街、日本で云えば荒れ地湿地に野原、休耕田、高速道路の路肩が相当する土地だ。雑草の伸びない理由が無い。黄、白、赤、紫の花が次々に咲いて、3日でガラリと様相が変わる。火の無いところに煙は立たぬが、木の無いところは花が咲く。
お花畑の斜面を斜めに下って、アリスヤウレ小屋の手前1km足らずのところで、いよいよクングスレーデン本道にぶつかる。路の広さというか地面の露出度が全然違って、まるで日本の観光名山の登山路だ。それでもまわりの地面は相変わらず黄色花に覆われて、湖と岩山を背景に気持ちよく闊歩する(写真)。時計を見ると3時を回っている。遅くとも2時を見込んでいたのにおかしいなあ…。とよく考えてみると、ちょっとの写真ストップなどが結構ある。そう同行者に語ったら、T は2回しか止まっていないと主張しやがる。なんという素晴らしい記憶力だろう。花や風物が美しすぎて、3分以下の写真停止は全て忘れてしまったと見える。まあ、それはそれで今回の旅行の目的にかなっているが。
アリスヤウレ小屋はクングスレーデン本道の中でも大きい方の小屋だ。食料もビールも置いてある。一応ここに泊まるか13km先の次の小屋に行くか同行者に尋ねるが、連中は既に私が次の小屋まで行く積もりである事を知っている。おかしいなあ…。通過なら何か買わないかと聞くが今は要らないとの事。T はビールは要らないのだろうか? おかしいなあ…? あれだけ昨晩からビールビールと騒いでいた癖に。そうなのだ、入山前に『1つ置きの山小屋毎に売店があってそこにはビールも置いてるよ』と教えたとき、同行者、特にTの喜びようったら無かった。しかし昨晩泊まったウンナ アラカス小屋は裏道ゆえに売店が無い。それで昨晩の到着直後に非常にがっかりしてたみたいだが(もしかしたらビールを楽しみに昨日の行程のこなしたのではないかと疑いたくなる)、同時に今日こそは久々にビールが飲めるとTは大騒ぎしていたのだ。このアル中め。久々って一昨日の夜にキルナで飲んだばかりじゃないか。その
Tがビールを要らないというなら無理には勧める事はない。ほろ酔い機嫌にここに泊まるなんて言い出されたらやぶ蛇だものな。
買物もせずに小屋のまん前で休憩する。目の前には秤が置いてある。荷物の重さを量る為のものだ。試しに我々の荷物を量るとTもSも10-11kgで私のは16-17kg。食料は大概私のに入っているから昨日は20kgを超していた筈で、年齢と性別を加味したら妥当なところと言えよう。そんな話をしているところへ、男女のカップルがやってきた。何と2人とも25-26kgもあって、しかも女の荷物の方が少しだけ重い。もちろん、連中もこの結果には意外だという顔をしていたが、ともかくそんなタフ女が北欧には多い。
再出発だ。アリス湖に注ぎ込むアリス川 を鉄吊橋で渡って、クングスレーデン『高速道路』の延々と見える(写真)大きなU字谷の西岸を南下する。高速道路だからわき見禁物、ひたすら距離をかせぐ。別に景色が悪い訳では無い(写真)。人が多い訳でも無い。花がつまらない訳でも無い。それどころか初めて歩く人間にとっては最高のハイキング路の1つに違い無い。だが、今までが良すぎた。ゆっくり歩く価値なんてない…少なくとも午後4時だと云うのに残り13kmも残している状況では。
本道だけに路はよく整備されている。小川を渡る木道も流された後がたいてい応急修理してあって(写真 叉は 写真)、時速4km以上の高速歩行を確保する。もちろん流されっ放しの木道はあるが、小川程度なら昨日今日の経験で慣れっこだから気にもかけない。問題は大きな支流(例えば 写真)でかつ鉄橋の架かっていない所だ。というのも、4年前の7月12日、急流を眼下に残雪の不完全アーチの上に掛けられた丸木の上を渡って冷や汗をどっと出した強烈な記憶が頭にこびり着いているから(あの時の旅行記は未完のままだなあ…)。もちろんそういう川…昨日の比べれば全然楽でも冷たい徒渉に違いない事…が今歩いている高速道路にある事は同行者にもとうに伝えており、そこでの徒渉ルート捜しに時間がかかると踏んで、今から休憩予定場所にしているのである。記憶によれば、それは今日の目的地シェクシャ小屋の3〜4km手前だから、今の歩きで2回目の休憩と云ったところか。
正味2時間の歩行で、ちょっとした川の畔に出た。4年前の記憶は定かで無いが(13時間以上全力で歩いた後だったものな)この川だったようだ、と休憩にする。地図には確かに支流が分流しながら注ぎ込んでいると記してある。その割には大した流れでない。一安心して靴も履き替えずに再出発し、若干靴を濡らしながらもデルタ地帯を越える。今まで無傷だった運動靴が濡れたのが失敗だったが、まあ、この先は短いからいいや。
そう思っている矢先に難所が現れた。行く手を遮る川を見た瞬間、4年前の難所が鮮やかに蘇って来る。地図を見るとシエルマ川とある。
今夏は4年前より雪融けが早いから、川を跨ぐような残雪は全くない。しかも水流は4年前より強い。もちろん渡る為の飛び石は殆どない。同行者が目を見合わせる。靴を脱ぐのはいやだという顔つきだ。沢靴で渡れそうな浅瀬を飛び飛びに伝って渡ろうと言う魂胆らしい。連中がルートを開拓している間にこっちは長靴に履き替えて本道沿いに川にじゃぶじゃぶ入るが、水圧が強すぎて杖無しでは厳しそうだ。そうこうするうちに同行者がルートを見つけたらしく私に手伝ってくれと言う。なんでも、石が1個足りないから、そこに私が木か何か置いて、連中がそこを飛ぶ時に私は水の中で連中を支えれば濡れずに渡れるだろうとの事らしい。こっちは長靴だからそのくらいは訳ない。早速対岸ちかくに陣取って連中の渡るのを手伝うが、言い出しっぺのT
は問題なく渡れたもののSの方は靴に少し水が入ったようだ。いずれにせよ僅か10分で徒渉成功。
目的地のシェクシャ小屋まで距離にして2km、標高差100mの登り。しかも小屋はとうの昔から見えて続けている。昨日の疲れ+今日の不規則な行程で同行者は昨日以上に疲れているだろうが、何も心配しなくても良い…たった1つの例外を除いて。それは小屋直前の大きな鉄橋である。実はTが極度の吊り橋恐怖症なのだ。そして、その彼女にまさにお誂え向きの吊り橋がここにある(写真)。そこをTがそろそろと渡り終えて(写真 叉は 写真) 、やっと山小屋に到着した。午後7時40分。ラスト 13kmを4時間弱。高速道路は確かに速い!
ガラガラだった昨日の宿とうってかわって、今日は超満員である。本道だから仕方ない。ベッド数20(4人部屋x3+8人部屋)の所に我々が19〜21人目として到着したらしく、管理人が1人は床になるが良いかと尋ねて来る。そりゃ有り難い。こっちは日本人だ。そこで3人そろって大部屋に案内されたが、行ってみると既に塞がっている6つのベッドは全て女性。女性だけで山歩きしている事を物語っている。結局、同行者も含めて女性8人満室の部屋に私が床で寝る事になる。ちょっと居心地が悪いが、日本で滅多に経験出来ない事だから、話のネタとして満足しておこう。
到着するや同行者がビールは何処に売っているのかと聞いて来る。ははーん、やはりそうか、『売店があるのは1つ置きの山小屋であって全ての山小屋でない』という私の言葉を聞いていなかったな。さっきのアリスヤウレ小屋で買わなかったから薄々そうでは無いかと思っていたのだ。アル中の自業自得。私の本にもちゃんと書いてあるんがから知らなーいっと。
到着して直ぐに夕立ちとなった。ラッキーと言うべきか、明日以降の天気が心配と言うべきか、、、。夕立ちがあがって虹となりSが慌ててカメラを持って外に飛び出す。その間にこっちは明日以降の行程を考える。実は予定はここまでしか立っていない。それ以上は立てる意味が無かったから立てなかったのである。そりゃ、同行者にたっぷり時間があり、しかも同行者の実力を把握していれば始めから予定は立てられるが、帰りの飛行機の関係から予定5日+予備日1日と決まっている今回の山行きで、3日目以降の予定を立てるのは無駄と言うもの。無駄どころか予定に振り回されて危険を招きかねない。同行者は呆れていたが、ここの山では天気と体力と満足度を勘案しながら臨機応変に予定を組むのが正しいのだ。地図とにらめっこしながら状況を分析する。
*明日の天気予報は曇りまたは雨で、明後日は分からない。
*一番近いアクセスまで本道だと逆戻り48km(3区間)、順路の高速道路58km(4区間)、縦走路63km(5区間、うち2区間は順路と同じ)だから、前に進めば逆戻りはあり得ない。
*昨日今日の疲れを加味すると、明日は20km以内ですませたい。20km以内という事は、本道をこのまま行けば次の山小屋(12km先)と言う事になり、明日の段階で高速道路46kmか縦走路51kmを天気無関係に2日で抜けなければならなくなる。もしも明日が雨だったらこれしか無いだろう。
*だからと言って、明日頑張って2区間進んだところで、残り2日で32km+ケブネカイゼ登山は無理で、せいぜいタルファラ小屋に寄り道して氷河を満喫するのが関の山。
*本道ばかりをあと3日も歩くと、昨日今日の素晴らしさの前に影が薄くなってしまうと思われる。しかも谷路ばかりで山に登る訳で無い。私は縦走路はスキーしかやっていないのでこのまま南下しても良いが、それに日本からわざわざ来た同行者を付き合わせるのはどうか?
*せいぜいタルファラ小屋ぐらいしか現実的な目玉が無いのなら、タルファラまで本道沿いに遠回りするより、山の中を突き抜ける近道の方が景色も良いし変化も多いし私も行った事が無いから楽しいのではないか? タルファラ小屋から下山までは 25km の一日行程だから、明日明後日の2日でタルファラに辿り着くルートを考える必要があろう。
*昨日U字谷を今日花を満喫したのだから、次の目玉は氷河であって、それを満喫するには本道では無理。山の中のルートならそれが可能である。
というわけで、天気が許せば本道沿いに行くより裏道に入った方がマシと気付いた。丁度この小屋から東に向かって峠越えの裏道(道標の無い裏道)が通っている。氷河が至近に見えるコースである上、たった8kmの半日行程だ。問題はそのあと。可能性を洗い出す。
1. 峠の向こうの谷を南に下って本道に合流する初級長距離コース。
2. 南東に延びる谷に入ってベッド数2の簡易小屋に泊まり、翌日は氷河越えでタルファラに入る最短かつ最上級コース。
3. 谷を東に向かって遠くビスタス小屋まで行き、翌日は20km山越えの上級コースでタルファラに向かう。
と、ここまで考えた時、というより、目が地図の右上の今まで無視されて来た領域に及んだ時、ビスタス小屋で研究所の同僚が小屋番している事を思い出した。日程が許せばビスタスに寄ると彼に約束していたのだ。ビスタスは僻地で殆ど泊まり客がいないから、我々が行けば喜んでくれるだろう。しかも、ビスタス泊まりなら、翌日の可能なルートとして、タルファラ以外に初級下山コースも中級下山コースもある。
結論はあっけなかった。
1日目に戻る // 3日目に続く