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2001年7月 サブ・クングス レーデン 山歩き記録

地図
写真大判 : ftp://maxus.irf.se/pub/perm/yama/photo/
(本文中の010708-**.jpg に対応)

7月8日=第1日(快晴/朝のうちだけ若干の雲あり)汽車90kr + 宿170kr
     起床 6:00/アパート発 7:25 
(+2km)7:40-7:45 Kiruna(キルナ)駅  
(汽車)  9:50 発  Katterjakk(カッテヨック=カッテ峡谷)駅  
(+4km)10:50-11:05 Katterjaure(ガッテヤウレ=カッテ湖) 
(+2km)11:30-11:35 ノルーヱー国境 
(+2km)12:10-12:30 Dossagevagge(ドッサエバーッギ=ドッサエ広谷)入口 
(+3km)13:05-13:20 ホイガン広谷入口での渡川迂回 
(+1km)13:40-14:00 Stuor K"arpel(ストオル・シェーペル)小屋 
(+4km)15:10-15:30 小さな湖(標高995m) 
(+3km)16:40-16:50 Valfo(バルフォ)谷の徒渉場手前 
(+1km)17:10-17:15 徒渉 
(+0km)17:15-17:35 Valfo(バルフォ)谷の徒渉場向岸 
(+2km)18:15 通過 Valfojakka(バルフォ渓谷)小屋 
(+2km)18:40-19:00 Sjangeli(シャンゲリ)峠の手前1キロ 
(+4km)19:50-20:00 Sjangeli(シャンゲリ)湖の下1キロ 
(+3km)20:55 着 Unna Allakas(ウンナ・アラカス)小屋 
     就眠 23:00

 出発準備の傍らインターネットで天気予報をチェックする。今日は晴天、明日は雨、明後日は…無視。観測所の疎らなラップランドは、コンピューターへの入力データも雑になるので、天気予報の当たるのはせいぜい当日、良くても翌日のみ。4泊5日となると明後日も気になるが、希望的予報「回復」に騙されてはひどい目にあう。
 5日分の食料となると、冷凍庫から中型リュック(60リットル)につめ直すだけでも結構時間がかかる。余裕を持って起きた積もりだが、結局ぎりぎりの7時25分に出た。汽車まで20分しかない。下りとはいえ駅まで2キロ弱あり、しかも25kg近い荷物を持っている。息を切らせて駅に向かう。1日にたった3本しかない汽車だから逃すわけにはいかないのだ。駅に着くと同行者2人(TとS)の姿が見えた。日本からわざわざ「世界で一番整備された自然歩道」を歩きにやってきた連中だ。
 オーロラ観光客は沢山世話してきた私も、山歩きが目的の客は始めて。長年の宣伝がやっと実って嬉しい。実にこの十年というもの、ラップランド観光のベスト3:「9月のオーロラ」と「7〜8月のキルナ山塊ハイキング」と「3月〜4月上旬のスキー旅行・U字谷のオーロラ」を宣伝し続けてきたが、極めて個人的なツテを除けば、旅行会社とガイドブックの「巧妙な嘘」の前には現地人のアドバイスは馬耳東風。なるほどオーロラはアイスホテルの奇跡的成功を受けて完全に商売となったものの、ベストの9月には殆ど来ず、ベストのアビスコにも滅多に泊まらない。夏のハイキングや春のスキーに至っては旅行の「ついで」のせいぜい1泊程度。クングスレーデンを本格的に縦走した日本人なんて全然知らない…いや一人だけいるが、それを知ったのは3泊目だ。だからこそ、今回の「始めて」を記念して4泊5日などという途方もない山歩きに付き合うのだ。
 数両編成の汽車には全部で数人しか乗っていない。客が乗り込むのは95km先のアビスコと、その7キロ先のビョールクリーデン。キルナは単なる保管場所だ。新幹線の博多から先の車庫までのようなものである。この汽車に乗って130km先の国境まで行く。正確には国境の一つ手前のカッテヨックが今日の入山口だ。片道90クローナ(約1000円)は距離からすると日本の半額ぐらい。ちなみにキルナ界隈では汽車は乗ってから切符を買う。このあたりはヨーロッパ本土や南部スヱーデン(切符なしで乗り込むと酷い罰金になる)とは全然ちがう。切符を買う時に車掌が行き先を確認して、運転士に「**駅で降車あり」と連絡し、その他の駅は徐行通過となる。客の少ないローカル線ならではである。ただし、この線自体はスヱーデンでも数少ない黒字路線だ。鉄鉱石列車で儲かっているから。
 クングスレーデンの起点はアビスコである。そこには約400人の収容能力を持つ山ホテル・アビスコ ツーリスト(スヱーデン旅行者協会経営)がある。「皆で共有する別荘」とも云うべきこの山荘は、私が一番に薦めるホテルで、特にオーロラを見たかったらここに勝る場所は少なくとも北欧にはない(正確にはアビスコにはもう一つ簡易ホテルがあって、そこも良いのだが、収容人数がずっと少ない)。もちろん山ホテルと云うからには客の大多数がハイキングやスキー散策など保養を目的として滞在しているのであって、ホテルの目的は決してオーロラではない。たまたまオーロラ観光のベストホテルになっただけだ。
 今は山シーズン最盛期だから、アビスコからは十人単位の客(当地ではこれを「多い」という)が乗り込む。下をみると、汽車には乗らずにクングスレーデン起点に向かうバックパッカーも多い。そう、ここはスヱーデンで2番目に人の多い山路なのだ。クングス レーデンはそのくらいの知名度を持つ超メジャー山路である。じゃあ一番は? それはキルナの真東60kmのニカロクタ(道路の終点)とケブネカイゼ山荘(スヱーデン最高峰ケブネカイゼの登山拠点)を結ぶ20km弱の山路である。何処の国でも最高峰にはかなわない。
 我々の降りるカッテヨックには誰もいない。そういう所をわざわざ選んだ。より人が少ないながらより景色が良いというのは矛盾した要求に見えるが、実際にそんなコースはあるものだ。それを選ぶことこそ地元の人間の義務と言えよう。今回の山歩きがクングス レーデンではなく、その裏道「サブ・クングス レーデン」なのは、そういう自負を意味している。ただし中級者向けのコースである。だからこそ絶景のコースながら殆ど人がいない。そんなコースに初対面の人間(TとSは今回が初対面なのだ)を連れて行くのは度胸がいるが、信頼できる友人…今回この2人にクングスレーデンの山歩きを薦めた人…からその実力は大体聞いているからおおむね問題はないと踏んでいる。気掛かりなのは距離の長さと渡川の難所だけ。だから晴天でないとこのコースは選べない。雨の降りそうな予報だったら諦めてアビスコからの初心者コースにしただろう。天候に応じてベストのコースを選ぶのも地元の人間の義務といえよう。いや、天候と体力に応じてコースを代えるのは山歩きの基本だ。
 このコースを選んだもう一つの理由は、単に私が行ったことが無いということ。正直な話こっちの要素の方が大きい。昨夏さわりの5キロほどを歩いたが、その先の25キロ強については全く知らない。でも、友人の「おすすめのルート」という情報と、地図と、昨年歩いた部分の記憶とから、このルートの素晴らしさだけは確信出来る。
 午前9時50分、カッテ ヨックで我々3人だけを降ろして汽車は国境へと向かっていった。カットはスヱーデン語の猫(カッテは複数形)、ヨックはラップ語の峡谷、すなわち猫峡谷である。ちなみに国境の山の向こう側には犬谷(フンド ダル)がある。
 日本で猫谷というと、奥山の森に覆われた険しい谷を想像するだろうが、ここは谷の入口からしてツンドラや草原地帯である。U字谷の真中が川で削られて渓谷になっている地形が全貌できる。この谷に沿って延々と遡行し、標高差500m余りの分水嶺を越えて次の谷まで行くのが今日の行程だ。距離にして30km程。日本の山歩きとは距離も高度も違う。V字谷の日本では谷道より尾根道が好まれるが、U字谷の当地では逆に谷にしか山路がない。安全で歩きやすいのと、眺望が利くのと、危険な動物が人間以外にいないからだ。日本に比べて遙かに平坦な路だから一日の行程も伸びる。そういう事情を同行者は知らない。30kmという距離を聞いただけでびびっている。とりあえず標高差の少ない事を説明して、到着予定時刻も教えておく。休憩込みの時速3キロで10時間、つまり午後8時到着予定だ。真面目に歩けば私の計算から大きくずれる筈はない。だが、いくら説明しても同行者はあくまで半信半疑の様子だった。
 キルナを出たときにはぽつぽつと残っていた雲も今は完全に消えて、2週間ぶりの快晴となる(ちなみにこれがこの夏最後の快晴であった)。いきなり最高の山歩き日和となったのは嬉しいが、同時に明日以降の天気への不安がよぎる。ここまで素晴らしい晴天と云う事は同時に大きな低気圧(高気圧で無い)の発達をも示唆しているからだ。でも、まあ、そんな事を気にしたとて、得する事な何もない。明日は明日の風が吹こう。
 始めの3キロ程で200m近く登る。予想外の登りに「話が違う」という顔を同行者はしている。無視。直ぐに素晴らしい景色がやってくるのだからこのくらいは我慢してもらう。登り切った所にあるカッテ ヤウレ(猫湖)はそれほどの景観だ。天気さえ良ければ、鉄道沿線ハイキングの一番のお勧めといえよう。少なくとも私はすごく気に入っている。湖の入口の吊橋 (or <010708-5.jpg>) を渡って10分ほど行くと、雪解け水があちこちにちょろちょろ流れる花畑に入る。所々に雪が残り、右手に湖、左手に山、木は一本もなく、山の中腹までツンドラが覆う。湖に向かって腰を降ろせば、その彼方にノルーヱーの険しい山々が半分雪をかぶっている 。 湖の真中…ここから200〜300mぐらいだろうか…がノルーヱー国境だ。これほど素晴らしい場所にひとっ子一人見当たらない。澄み切った猫湖の空気を独占して、汚染ゼロの雪解け水を飲む。佳境そのもの。…だが、これは入口に過ぎない。
 湖を境に猫渓谷の名前が改まってドッサエ バーッギ(バーッギはラップ語で広いU字谷という意味)となる。地図によると、この休憩地点から1キロほどで国境を越え、そのままノルーヱー領を2キロ歩いて再びスヱーデン領に戻る。路はあくまで川の東側。何かを越えた渡ったという気がしない。国境を川や尾根でなく直線で決めるからこういう奇妙な事がおこる。奇妙だろうが何だろうが国際条約上はノルーヱーだ。EUの外に出て再びEUの中に入るのである。私には慣れた経験だが同行者は興味津々だ。一体どういうゲートがあるだろうかと期待している。可哀想に。それでは落胆するだろう。国境には看板しかない (or <010708-11.jpg>) のだ。 スヱーデンとノルーヱーの間に昔から国境なんてない。
 国境を越えるといきなり第1の小難所にぶつかった。絶壁の峡谷に沿って路が続いているのだが、それが300mほど崩れてしまっているのである。ほとんど崖とも言える所を登ったり下ったりして切り抜ける。さすがノルーヱーは路も険しい!
 峡谷を越えると再びなだらかな地形である。しかも殆ど一枚岩と思われる地帯をずっと歩いていく。岩だから植物の生えようもない。所々の溜まり泥にツンドラの花が咲いている程度で、それもまた風情がある。このくらい固い岩盤となると、普通はその上に雪解けで運ばれた泥がたまるものだが、岩盤自体が緩やかに傾斜しているため、そういう泥もきれいに押し流されてしまって、すべすべした岩盤が広々と続いている。これほどまでに見事な「太古の岩」は、地肌の露出したキルナ山塊でも珍しい。見事なのは岩盤だけではない。その裂け目がこれまた見事なのだ。夏冬の温度差に裂けたらしいが、その真っ直ぐさときたらまるで幾何学の教科書である。思わずため息が出る。そんな、ピタゴラスを思い出させる原始的岩盤のその上には、ぽつんぽつんと巨石が乗っかっている。高さ2〜3mにも及ぶそれら巨石 (or <010708-13.jpg>) は遠目には小さな小屋を思わせる。こうなると太古ギリシャどころではない。火星か冥王星の上にでも立っているような奇妙な錯覚を覚える。
 そういう岩盤地帯で2度目の休憩を取った 。激流のドッサエ川の水を飲んで昼食をとる。正面方向、川向こうの山(1421m)を見ると山腹に白く雪が広がっている。地図によればあの雪の下に氷河が横たわっている筈だ。今旅行の初氷河だ。ただ、同行者にはそれほどの感慨は見られない。その他の景色があまりに良過ぎるからだろう。目の前には、直径1mほどの丸石が真っ二つにスパっと裂けているのが見える。あまりの見事な裂け方についカメラを向けてしまう(写真)。かく遠景近景を楽しみながら昼食を採る。荷物が減って、ようやく私の荷物はリュック一つになった。実はここまで手提げ袋を持って歩いていたのだ。さっきの崖難所ですら!
 それにしても人がいない。ハイカーらしき陰を見かけたのは湖の手前の1回のみ。連中がのろのろ歩いていたので追いつくかと思ったが、湖の手前の岐れ道で違う方向に向かって行った。では足跡は? 比較的新しいのが同じ向きに1つだけある。ここ2〜3日は雨が降っていない。足跡が薄れる可能性を認めても尚、少なくとも過去24時間以内にこの路をたどったのはたった一人だけという事を意味している。
 花とか山とか岩とか美しい景物が続くが、今日は30km行程だから、休憩以外難所以外での「写真ストップ」はするなと言ってある。不規則な停止は無駄な時間を使うばかりでなく体力を消耗するからだ。しかも今日より素晴らしい花が明日以降に保障されているから、今日は何も慌てる必要はない。ただし今日しかなかったという難所=写真にふさわしい場所は幾つかあった。でも、それらは写真より体で覚えるしかないだろう。難所と言うからには写真なんか撮っている余裕がないのだから。
 そんな難所の2つ目が休憩後40分歩いたところで現われた。支流の渡川である。かなり大きなU字谷(ホイガン広谷)がここで分かれているのだが、それを渡るべき木道というか渡板というか、それが雪解けの激流で流されてしまっているのだ。なんせここは裏道だから、流された木道の整備は十年に一度やるかどうか。毎年の雪解けに、木道の半分は消え去っており、湿地や瓦礫の上を歩くことも多い。幸い今年は雪解けが例年の3週間早かったおかげで、普通の運動靴たる私は全然濡れることなく湿地帯を越えて来ているが、目の前の川だけはどうにもならない。渡れそうな所を上下100mほど探すが全然みつからず、あきらめて川を遡行する。500m程歩くと、なんとか飛び石づたいに渡れそうな所が見つかった。手本を見せるようにひょいひょいと渡る。石がちょっと離れているせいか、同行者は難儀しているようだ。これは写真に撮らなくては……と気付いた時はもう遅い。既に連中は渡り終えていた。でも、まあ、この程度の小難所は今後いくらでもあろう。
 強引にツンドラ丘を突っ切って本道に戻る。休憩はそのあとだ。本道のたどりつくと1キロ弱先に簡易小屋がみえる。先の休憩からまだかまだかと探していたストオル・シェーペル簡易小屋だ。30分で着く積もりだったのに1時間以上もかかってしまった。小屋を建てるだけあって景色は素晴らしい。簡易小屋ながらここには緊急電話がある。渡渉の向こう側と云うのが如何にも緊急電話の場所に相応しい。きっと必要だった事が過去に何度かあったのだろう。小屋自体は小さな三角小屋でベッドが2つと薪ストーブが置いてある。床に寝れば3人は悠々泊まれる。ベッドに2人寝れば5〜6人まで宿泊可能だろう。外には落としトイレと倉庫まである。もちろん無人だ。宿泊賃は次の山小屋で支払うというシステムなのだ。もっとも、今日みたいに絶好の天気に小屋の中で休む馬鹿もなし。小屋の傍らで景色をじっくり眺める。正面のドッサエ湖の向こう側は先の休憩からずっとノルーヱーの山が雪をかぶって見え続けているが 、後ろをふりかえると、更に高い1588mの山…ここからの標高差800m…がスヱーデン側にそびえている。
 午後2時に再出発。まだ全体の3分の1強を歩いたに過ぎない。ここからいよいよ峠に向かう。残る標高差はほんの250mだが山路の質が違う。殆ど岩登りである。今日は幸い晴天だから良いが、雨降りだと岩が滑って大変だろう。近年MTBなるものが流行っているが、この岩肌区間だけはどうにもなるまい。乗るのは不可能、担ぐのもほとんど無理。難所というのはこういう山路 (or <010708-23.jpg>, <010708-24.jpg>, <010708-25.jpg>) を指す。
 難所を登り切った標高1000m地点で湖のほとりに出る。先の休憩から1時間以上もかかってしまった。もちろんここで休憩だ。山中湖は畔のどこも風情があって、休む場所には事欠かない。同行者に疲れが見え始めたので、ここで切り札のブルーベリースープを出す。どっかとすわって地図をみると、ここから峠までは殆ど平坦だ。日本の常識でいえば一安心だろうが、どっこい、ずっと気になっている難所がその直後に控えている。バルフォ谷の本格徒渉である。地図にわざわざ「正式徒渉=水に漬かって渡る」と書いてある。実はキルナ山塊の正規山路で唯一の正真正銘徒渉場所であって迂回路なし。地図には他にもいくつか徒渉コース(徒渉マーク)が書かれてあるが、どれも迂回できるか或いはマイナーなコースのみなのだ。どのくらいの難所か想像だけは出来よう。同行者にはさっきの飛石渡川の直後に「もっとすごい徒渉が控えている」と伝えているから、連中もそれを心配し続けて峠なぞ眼目にない。
 岩場の小難所は休憩後も続く。始めに崖、次に水流地帯。但し水流の広さは飛び石の数だけ数えればさっきの渡川よりも大変だが、水が浅いので難所と呼ぶ気がしない。判断基準が段々厳しくなっていく。水流地帯を越えて峠まえ最後の湖 氷が残っている …にさしかかると、今日始めてのハイカーに出会った。男女2人づれ。テントを担いでのカップルの山歩きはここではごく普通の光景だ。
 分水嶺はあっけなかった。峠という気分がしない。この気分は、目の前の湖…本格徒渉の大難所…にも作用されている。せっかくの眺望なのに峠の解放感が全くないのだ。とにかく湖に向かう。僅か80mの下りだが、距離はけっこうある。途中、雷鳥の雛を数羽みかける。親鳥が囮になろうとするが、すでに一番若い雛…逃げ切れない奴…を見つけてしまったので3人で追いかける。でも、雛のおびえている様子 が少し可哀想なので、写真も早々に直ぐに本道に戻った。将来、動物心理学なるものが発達したら「雛の生育に決定的障害を与える」とか言って、こういう、写真撮影だけの行為すらアングロサクソン系の動物愛護協会から文句を言われるようになるだろう…。不便な世の中になったものだ。
 いよいよ、今日最大の難所のほとりである。今日というより、キルナ山塊の主要な山路で最大の難所である。地図によれば徒渉には3ルートある。とりあえず真中のルートに向かう。というか、山路を自然におりるとそこに行き着いてしまったのだ。バルフォ川の水辺に立つが何処が浅瀬なのか分からない。とりあえず休憩にする。見渡したところ渡れそうな候補が2つ。一つは緩やかな流れの浅瀬だが、真中付近が深そうに見える。もう一つはもっと狭い瀬の流れの急なところである。避けられるものならどっちも避けたい。他のルートを考える。上流側の徒渉ルートは2キロの遠回りになる上、よしんばそこへ行ったところでここよりマシとの保証はない。下流側の徒渉ルートは数百メートル先なので、荷物を持ってそっちに行く。期待むなしく急流が白波だっている。しかも急流の直ぐ下は滝だ。絶対無理、さっきの方がよほどマシだ。さっそく戻って、流れの緩いほうのほとりに立っていよいよ徒渉準備にとりかかる。同行者はさっそく山靴をサンダルに履き替え始めた。
 ちょいと待て、ここより、もひとつの早瀬の方が良いのでは。徒渉が一番危険なのだから、十分な吟味が必要だ。そう思って、50mほど上流の早瀬に行く。確かにここも飛び石で渡るのは無理だ。流れが速いから、そのまま踏み込むのも躊躇される。それでも、さっきの所よりは良いような気がしてならない。長靴に履き替えながら、しばらく水の中の石を眺める。もしも体を杖で支えたら長靴で行けそうだ。ようやく目処がつく。長靴は深さ30cmだが、それだけでも全然違う。ほんの少しだけ水が入ったものの、なんとか木の枝で体を支えて、向こう側の大岩にへばり着いた。徒渉成功!
 但し、子供には絶対危険だ。
 同行者に「ここなら渡れる」と告げようと、岩を登って下を見ると、既にもう一つの浅瀬を渡っていくのが見える…なんと腰近くまでつかりながら! 静かな流れながら、深さ70〜80cmの「浅瀬」なのである。しかも雪解けの冷たい水。…もっとも4年前の私に比べればましだろう。解けかかった雪の上を歩いていたら、突然ズボっと腰まで氷水に漬ったのだから。それでも、今日に限れば連中のほうがが可愛そうに思う。なんせ私は無傷なのだ。足は少しだけ濡れたものの大したことなく、靴下を履き戻して、運動靴に戻る。その時、思わず「あっ」と叫んだ。「連中の徒渉の写真を撮らなくては!」
 時すでに遅し。カメラを出したときには既に本当の浅瀬にたどり着いていた (or <010708-32.jpg>)。
 それにしてもこの難所、数日前だったら本当に水が多すぎて渡れなかっただろう。幸い天気が続いてくれたお陰でなんとか渡れる水量なのだ。今年の雪解けが早かったお陰でなんとか渡れる深さなのだ。さもなくば、さっきのストオル・シェーペル簡易小屋まで戻ってそこで一晩過ごす羽目になっていたに違いない。或いはこのバルフォ谷を思い切り遡行して数キロ上流で徒渉していたかもしれないが、いずれにせよ今日中に今日の目的地に着くことは不可能だったろう。もちろん、それはそれで山歩きとしては楽しい経験であり損ではないし、それどころか旅行記だって、そういう「撤退」のあるほうがよほど面白いものになるが、まあ、日本からわざわざやってきた連中の一日目の行程としてはベストではなかろう。
 渡れる渡れないはともかく、ここの山歩きで徒渉の可能性を無視した計画はありえない。それはクングスレーデン本道でもそうだ。本格的な橋がかかっているのは大きな川だけで大抵の小川は渡板だけである。しかもその渡板のいくつかは雪解けの際に確実に流されてしまって、そういう川を渡らなければならない。ではどういう装備が必要か? 組み合わせにいくつかある。防水5〜10cmの山靴とサンダルの組み合わせ、防水2cmの運動靴と長靴の組み合わせ、2つの運動靴の組み合わせ。同行者にはとにかく荷物を軽くすべきとの見地から山靴+サンダルを薦めたが、私は運動靴と長靴という組み合わせにした。別にどれが絶対によいという事はない。
 同行者が靴に履き替えるのを待って再出発する。時計を見ると午後5時半を回っている。向こう岸からここまでのほんの20mに1時間もかかった勘定になる。まあ、仕方がない。これが大難所というものだ。これさえ越えれば、残りの行程は3分の1。もうこっちのものだ。
 最大の懸念を乗り越えたあとというのは必ず落とし穴がある。緊張が抜けるから。歩き始めて10分ほどでリュックの紐が解け、それだけなら何でもないものを、慌てて路を戻って探し回った。5分のロス。じっくり考え直して「止め金はリュックについている筈だ」と気付いて、リュックの所に戻ると確かにある。それはそれでハッピーエンドだが、問題は始めから「リュックに着いている筈だ」と気付かなかった事。これこそまさに緊張の緩みの兆候だから気を引き締めなければならない。
 やがて、下流側徒渉地点の対岸を通過する。橋さえあれば1時間前に通過できたのに! しかも、運が悪ければ渡れなかったかも知れない。全くどうしてここに橋を架ないのだろう? これだけ素晴らしいコースなのに。…と、ここを歩いたことのある友人たち云うと、決まって「だからこそ人がいなくて素晴らしいじゃないか」との返事しか来ない。キルナに限らず観光地は大抵こんなものだ。観光客用の名所とは別に地元の人間だけの秘密の場所が必ずある。
 山路の感じがかなり違う。今まで南北に伸びるドッサエ広谷を歩いていたのが、徒渉後、東西方向に伸びる谷(バルフォ谷)となったからだ。川を渡って南岸を歩いている訳だから、そこは山の北斜面にあたる。つまり、雪解けの一番おそい斜面である。そのあおりで湿地が多い。湿地でなければ瓦礫で、たまに雪の上を歩く。雪だけが歩きやすい。全く何と云う酷い路なのだ。胸つき八丁というから、今が一番精神的に疲れが溜まっている時である。何よりも次の道標にいち早くたどり着きたい心境の時である。行程がもどかしく感ずる時である。現に、さっきから簡易小屋(バルフォ渓谷小屋)が近い筈だと期待しているのに、なかなか視界に現れないので不必要な焦り感じている。そんな時の湿地はあまり嬉しくない。そうこうしている内に、とうとう大きな雪渓に出た。向こう岸の手前は深さ3〜4mのクラック (or <010708-36.jpg>) になっている。見るからに難所だ 。注意深く安全なルートを探して渡る。神経は使うが、労力も要らなければ疲れもしない。むしろ楽しいアクセントだけを良いタイミングで我々に与えてくれた。難所と云っても色々ある。
 徒渉から40分もかかって簡易小屋を通過した。地図によれば僅か1キロ半の距離である。行程がはかどらないと感じたのは精神的なものだけではなかった。実際に遅かったのだ。この調子で遅行程を続けたのではたまったものではないが、幸い路は次第にバルフォ谷から離れて南に向かい、しかも2キロ先の峠(シャンゲリ高原)を越えたら後は一気に300mの下りだから、到着はそこまで遅くはなるまい。まあ、予定より1時間遅れの9時か9時半と云ったところだろう。9時到着の予想は既に徒渉場の所…1時間のロスを体験した時点…で同行者にも伝えている。
 小屋を通過してまもなく峠への登りが始まる。登りといっても930m地点から1040m地点(2時間前に通過した峠と同じ標高)までほんの110m登るだけだから大した事はない。しかもゆっくりとしか登らない。だが、同行者に明らかに疲れの色が見えている。こういうときは休憩である。水場を探して休む。ただし水場は蚊の宝庫でもある事を忘れてはならない。しかも夕方6時半過ぎ。太陽が山陰に隠れ始めて急に増えた。晴天の日は必ずこうだ。蚊取り線香はこの為にある。今回の山歩きで日本から何を持ってくべきかと尋ねられて即座に答えたのが蚊取り線香入れである。線香自体はこっちにも売ってあるが、携帯用の線香入れは日本でしか手に入らない。蚊の対策をしつつ、疲れた同行者をはげますべく峠まで1キロ以内であることを告げる。
 20分ほどで峠に着く。さっきと打って変わって峠らしい峠で広大な谷が眼前に広がる。今日初めて見る、本当に広大な光景だ。今日の宿泊地の大雑把な場所ばかりか、明日越えなければならない山々まで見える。今日は休憩以外では写真を撮らない話だったが、ここはさすがに写真の為に立ち止まった。景色としての素晴らしさもさることながら、最後の登りが終わった解放感が記念写真に相応しい状況を醸し出している。峠からはやや長いながらも下り路が見えている。それを5分ほど下ると、「ウンナ アラカスまで4.5km」との道標が出た。今日の宿泊地まで1時間余りの距離だ。
 山の南斜面だから草原である。湿地も多い。だが、さっきまでの瓦礫路にくらべてどれだけ楽なことか。靴を濡らすことなく湿地をさっさと歩いていく。速い。ゴールが見えるということはこんなにも違うことなのか。目の前の台地湖の対岸に小屋がいくつか並んでいる。それを横目に湿地帯を抜けると、残り3kmの道標がある。このまま一気に降りても良いが、どうせ、もう一度は休憩を取らなければなるまいからと、次の水場で休憩にした。残り2キロ半でまだ8時前。変な難所さえなければ9時到着は固い。難所があるとしたら…地図をみると川を2つ渡る事になっている。特に2つ目の川は大きなU字谷の本流だから気にならないと云ったら嘘である。だが、川は今日一日で幾度と無く渡っているから、さほど心配しない。ますます増える蚊と戦いながら、ブルーべリースープを飲み干して、今日最後の行程に向かう。
 快速に丘を下って1つ目の川にぶつかる。予想外に流れが激しい。後日友人に聞いたところ、この川はこのコースの2大難所の1つだとか。確かに水量の多い急流で、難所には違いない。地図を片手に川沿いに下ったり登ったりして、徒渉地点を探す。長靴を持っている私はともかく、同行者たちは、さっきの徒渉の冷たさに、もうこりごりといった様子で、どうせ宿も近いのだから多少ぬれても靴のままで行きたいという表情である。こんなのは焦ってはいけない。ゴールは近いのだ。上に行き下に行き大きく上に行く。どう見ても飛び石が一つ足りない。駄目と分かって、地図をもう一度じっくり見直す。…もしかして? 川沿いに思いっきり下っていけば、アビスコヤウレ小屋からの本道にぶつかるではないか! その路なら渡板があるかも知れない。そう思いついて、どんどん下っていくと、果たして流れが緩んでいるところがあった。渡板こそ無いが何とか渡れそうだ。さっき拾った木の枝を杖にバランスをとりながら飛び渡る。
 結局、20分近くかけてやっと川を渡った。1つ目の川ですらこんな具合だから、もう一つの川…谷の本流…のほうが気になるが、行ってみると大した事はない。雪解けが早くに終わったお陰だろう。とにかくこれで川はすべて越えた。あとは小屋にたどり着くだけ。…ところが、その小屋が現われない。これだけ視界の広いU字谷だというのに、到着1キロ以内になっても一向に見えないのだ。今は夏だから良いものの、冬の吹雪の時は困る話である。結局小屋が見えたのは300m手前。最後の最後まで安心できない行程だった。
 小屋には当然先客がいる。部屋が3つあって、うち2つに人が入っており、他にテントを張っている客もいる。とにかくこっちは夕食だ。赤飯と肉・ハムを大量に持ってきているからそれを食べる。肉はスープに入れて食べる。生野菜も食べてしまう。食事を済ませた頃に、客の一人…我々の1時間ほど前に到着して、今まで釣りに行っていたノルーヱー人…が戻ってきて、実は彼も同じルートで来たと教えてくれた。なんでもスタート直後の猫湖で我々を後方に見かけたとか。足跡は彼のものだったらしい。かの大徒渉の難所で対岸に人影があったのも彼だったらしい。我々の方が荷物が少ないとは言え、このノルーヱー人と大した差もなく到着した我々は結構良いペースだったという事になろう。
 小屋があるだけにそこからの山々の眺めは素晴しい。雲一つ無い最高の天気である。小屋の管理人も「当分ありえない天気」という。それほどの天気に、もっとも素晴しい入山コースを入ってきた。正直な話、今日1日だけの行程でラップランド山歩きの醍醐味は十分に経験した筈だと思う。だから、たとい明日から雨が続いて、あきらめて一番楽なアビスコに戻ってしまう事になっても、同行者たちは満足して日本に帰るに違いない。地元ガイドとして最低限の義務は果たした気分だ。満足のあとの行程は気楽なものである。

注1) 地図には2種類の地名がある。どちらもラップ語で、原音(ラップ発音)と、そのゲルマン訛りの発音の両方を書いてのだ。たとえばjarviやjavri(ヤルビ/ヤブリ=どちらも湖)というのがスヱーデン人に発音しにくかったので、訛ってjaure(ヤウレ)となった。ちなみに湖のスヱーデン語はsj"o(シェー)で、jaureというのはあくまでラップ語(のゲルマン訛り)である。いわばJapanese English みたいなものと言えよう。これらの名前のうち、現実にラップ人が住んでいるところ、たとえばJukkasjarvi(ユッカスヤルビ)は、もともとのラップ発音が定着しているが、山の中はラップ人すら住んでいないからゲルマン訛りが定着して事も多い。スヱーデン最高峰ケブネカイゼもラップ発音ではギェブネガイシとなる。

注2) 簡易小屋の多くは原則としては緊急以外で使ってはいけない事になっているが、ここで言う緊急とは雨とか予想外に遅い行程とかそういったものも含み、要するに始めからそこに泊まる積もりの日程を組んではいけないという程度の意味である。泊まって良い簡易小屋もある。そのあたりは小屋の入り口に書いてある。

注3)我々の旅行の3週間後に NHK がクングスレーデン本道に入って100キロ余りを縦断したそうで、番組として放映された。

2日目に続く