2015-2-1
山内正敏
年末のキルナは暖かかったものの、1月中旬から寒い日々が続いて大寒はまさに大寒でした。もっとも先月だけは私のリハビリ生活にほとんど関係がありませんでした。というのもクリスマス直後に襲った右足首の痛みが長引いて訓練できなかったからです。
数日安静にすれば治るだろうと多寡をくくったものの、2週間経っても立つ事も出来ないほどの傷みが続いて(歩行器を使う時ですら本当に腕で支えていた)プール訓練すらまともに出来ず、3週間ほど完全にリハビリが止まってしまいました。捻挫の記憶がなかったので過労骨折ではないかと疑って、発症3週間後に医者に会ったところ、即座に脛骨過労性骨膜炎(benhinneinflammation)という診断を受けました。おそらく、マイクロクラックとの併発だろうと思います。もっとも医者に会う2〜3日前から回復の兆しがあって「いまさら医者にあっても意味ないよなあ」と思ったのはいつものことです。(スウェーデンだと救急に運ばれない限りそういう感覚になる)
病名からも分かるように訓練のし過ぎが原因なのですが、肝心の訓練は、12月は多忙のせいで時間も量も減っています。ただ、訓練を松葉杖に集中し過ぎた自覚はあるので、それだけ松葉杖訓練の荷重が他の訓練より遥かに高い(松葉杖3kmのほうが歩行器10kmより足を酷使している)ということかもしれません。しかし夏だってしょっちゅう松葉杖を使っていました。
そこで思い当たるのが仕事の方のストレスです。正月にも書きましたが欧州宇宙機関(ESA)が公募した4年ぶりの
中型宇宙科学計画
(実態としては大型だけど、予算規模が3〜4割しか大きくない「大型」と区別する為にそう呼ばれている)の提案書の締め切りが1月15日に控えていたというのは無視できません。最終的に14ヶ国の20以上のチームを率いる規模となったため、さすがに全力で提案書を書かざるを得なくなり、締め切り15日の週は一日4時間程度の睡眠(しかも足の痛みでリハビリの時間無し)という、あまり身障者らしからぬ日々を過ごしておりました。
出来るだけ気楽なスタンスを取ってはいたものの、それでもストレスも相当なもので、それが同じ訓練でも故障を起こしやすい体環境を生んだのではないかと思います。私のかかったギランバレーでも、多くの患者が「無理気味の生活」の時の下痢や風邪が引き金となっており、おそらく休みたっぷりのリラックスした状態で同じ下痢や風邪にかかってもギランバレーの発症には至らなかったと確信していますが(ストレスとギランバレー発症確率に関する医学研究は皆無)、それと同じことが、今回の骨膜炎にも当てはまっている気がします。現に、締め切り当日までほとんど歩けなかったのに、その翌日から傷みが引き始めて、数日後にはプール訓練を、1週間後には松葉杖訓練を、負荷を落としながらも再開したほどです。
偶然の一致というにはあまりにタイミングが合い過ぎです。だから、「どのみち提案書でろくに訓練が出来ない時に骨膜炎になったのは不幸中の幸い」と考えるべきか、「そもそも骨膜炎になったのが提案書の影響だから世の中よく出来たものだ」と考えるべきは難しいところでしょう(どちらも楽観的なのは、それがリハビリの仕様だからです)。
ともかくも、昨日は久々に凍結道路4kmを、今日は松葉杖2.5kmを歩いています。ベストにはほど遠いですが1ヶ月以上のブランクを考えれば体力的にその程度が当たり前で、あと半月もすれば12月のレベルの訓練を故障なしで実行できる気がします(実際にそこまで無謀はしないつもりですが)。もちろん、提案書のしわ寄せで、12月にすべき全ての仕事を今になってやっているので(先週も今週も週末に仕事をしている)忙しいことには変わりないのですが、それはストレスを伴うようなレベルではなく、訓練に影響を出すとは思えません。
ともかくも健康の最大の敵がストレス。私にとってそれだけは間違いないでしょう。
最後に例によって無駄話です。
昨年最大の科学ニュースとしてサイエンス誌が選んだ彗星探査機ロゼッタの
彗星ランデブーと着陸
ですが、実はキルナの研究所も観測装置を一つ載せています。彗星まで丁度100kmまで近づいた8月上旬に彗星起源の水イオンを初探知して以来、既に4ヶ月以上の観測をして、同僚の論文も1月23日のサイエンス特集号に載っています。
私は装置の製作の一部と解析に一部に関わった程度ですが、実は、ギランバレーに罹らなかったらキルナの観測装置の担当になっていただろうと思われます。というのも、計画が本格的に動き出したのが1990年代で、当時、装置の設計作製に当たった私以外の3人の2人が別の仕事に移り、残りの一人も打ち上げを待つばかりになった時期に、『他の装置も作らなければならないのに、打ち上げから10年も目的地に到着しない装置の面倒なんかみられるか』とばかり、同僚に責任者を押し付けたからです。10年間に何度かある火星や地球、小惑星への接近時以外は、ESAと事務的な(退屈な)打ち合わせをするしかなく、あまり旨味の無い責任者であることは確かで、一番のターゲットは彼以外で唯一装置作製に携わった私だったのですが、体がほとんど動かない時期で、しかもまだ生きていた「のぞみ」の方の担当者だった私は、その雑務から逃れたという次第です。
逆にいえばロゼッタ関係の主任は誰も10年間の辛抱を経験しており、そういう辛抱が近年の科学環境で不可能になりつつあることを考えれば、やはり特筆すべき科学ニュースと言えるでしょう。