2012-11-4
山内正敏
2001年10月29日の発病から丁度11年、退院から丁度10年になります。キルナに来たのが1990年10月22日ですから、キルナに来て病気になるまでの期間と、病気になってからの期間が同じと言う事で、時の経つ事の早さを実感します。
10年目から11年目の1年となると、常識的にはほとんど回復しない筈ですが、まとめてみると(上記ホームページ参照)回復が続いている事が分かります。特に今年は4〜6月の無理が祟って、(偽)再発で脚力等が落ちてしまったというハプニングがありましたが、それでも回復してる訳ですから、それほど悪くはありません。
具体的には
(1)歩行器、松葉杖とも、歩く歩幅だけでなくテンポが速くなって、腹筋の回復が伺われる。
(2)プール訓練や松葉杖の階段訓練を見ると脚力も回復が続いている。
(3)松葉杖で体を支えるような腕力が高まっている
(4)スタミナが更について、歩行が40分を越えても速度がほとんど落ちない。
という身体の回復と、
(5)栓抜きで瓶の蓋を明ける
(6)酒を1リットルパックから直接おちょこに注ぐ
(7)予めベッドで裸になって、更にサンダルを履けばトイレの便器の直接移動出来る
(8)バスでの降りる際も(手で支えて)立ったまで降りられて、床が濡れていても困らない
(9)身障者対応の全くしていない研究所への出張をこなす
(10)大きな国際会議(セッションが何十も平行して行われる会議で参加者1万人以上)に参加する
という実生活での回復があります。この中で一番有り難かったのがトイレで、夜中が随分楽になりました。
ちなみに、手首に関しては、もう一つ、歩行器のハンドルの掴むような握り方(普通の人の握り方)を持続出来る時間が長くなったと云うのがあります。歩行器を始めた頃は掌をハンドルの上に乗せて体重をかけるという、手首の筋肉を全く使わない持ち方が普通でした。
しかし、次第に手首を真っすぐにするような握り方(
この写真集の7枚目
)が出来るようになり、持続時間も長くなっています。具体的には、400mトラックでのタイムトライアルで、2年前は5周ごとに握り替えて手首を休ませていましたが、去年は8周続くようになり、今年は手首を真っすぐにしたまま全20周歩けるようになっています。
10年と言えば、研究が確実に発展する時間スケールで、その例に漏れず、神経再生に関する医療技術の基礎研究が大いに進みました。もっとも、ギランバレーに関しては、今脚光を浴びているiPSや幹細胞再生が鍵だとはあまり思えません。その理由を 6年前に書きました が、その際のシナリオ(2)に相当する物質(神経再生を阻害する体内物質)が少なくとも1種類は存在することが ニュース になっています(松本邦弘et al.の線虫を使った研究)。こちらの方の研究が進んでいるという事は、次の10年で、本当の意味で神経の回復を促す薬(回復を阻害するホルモンを無効化する薬)が実用化するかも知れません。
最後に例によって無駄話(ではない放射能関係の話)です。
今春に大きな国際会議(European Geoscience Union年次総会)に11年ぶりに参加しましたが、その目的は福島放射能関係の発表をして、同時に他の発表を聞く為です。放射能汚染問題は地球科学の他分野に渡る問題なので、それを聞くには、こういう総会に出るしかありません(福島放射能汚染関係の研究の為の予算というのは、スウェーデンには存在しない)。しかし、会議では福島放射能関係の発表が、あっちで1件、こっちで2件という具合に、色々なセッションでバラバラに行われていて、これでは十分な議論が出来ないし、なによりも他の地球科学者へのアピールも出来ません。そこで、来春(4月8日〜12日)の
EGU総会
で、福島放射能汚染関係の特別セッション
From Chernobyl to Fukushima: Development of the Geoscientists' Knowledgebase
を提案した所、それが承認されました(
session GI4.1/SSS6.11
)。世話人は言い出しっぺの私なので、来年4月もウイーンに行く事になります。
と言う訳で、放射能汚染関係の研究をしているような方が回りに居られましたら、是非とも参加を検討するようにお伝え下さい。