2011-12-04
山内正敏
昨冬とうってかわって、今冬は11月半ばまで雪の代わりに主に雨が降り、その後ようやく冬らしい雪が数度降った後ですら雨が降るような有様で、ツルツル路面の危険な状態が長々と、例年より1ヶ月以上遅い時期まで続いてます。こんな事はキルナに21年間住んで始めての事で、歩行訓練もそろそろとしか出来ません。
今回は発病10年の記録をまとめました。詳しくはホームページに書きましたが、主な変化をまとめると以下の通りです。
1. 階段(膝バンド無し):
発病7年目に始めた階段昇降訓練は、補助なしで、杖と手すり、または手すりのみでの昇降が出来るようになりました。ビデオは、
杖+手すり(発病8年目に開始)が
一昨年(発病8年)=ここ、
昨年(発病9年)=ここ、
今年(発病10年)=ここ
で、手すりのみ横向き(発病9年目に開始)が
昨年(発病9年)=ここ、
今年(発病10年)=ここ
です。
2. 松葉杖(膝バンド無し):
発病2年目に始めた松葉杖訓練ですが、補助を外し(発病3年目)、肘用から普通の短い松葉杖に替え(発病4年目)、膝バンドを外し(発病7年目)、片方の杖を持ち上げる歩き方に替え(発病8年目)、今年はついに両杖を持ち上げたまま最大50m以上歩けるようになりました。ビデオは
一昨年(発病8年)=ここ、
昨年(発病9年)=ここ、
今年(発病10年)=ここ
です。
3. 平行棒:
平行棒は、発病2年目には補助なしになったのですが、片手歩行(発病3年目)、膝バンドなし(発病5年目)、瞬時手放し(発病7年目)という挑戦の挙げ句、ようやく、かなりの距離をずっと手放しのまま歩けるようになりました。ビデオは
一昨年(発病8年)=ここ、
昨年(発病9年)=ここ、
今年(発病10年)=ここ
です。
4. プール:
発病3年目以来、各種の訓練の為に階段を使うようになりましたが、段が高くなるにつれて、手放しの静止バランス(3年目=水深50cm、5年目=水深20cm)だけでなく、座った状態から立ち上がる訓練(5年目=水深65cm、7年目=水深50cm、9年目=その手放し版)や、四つん這いでの腰上げ訓練(5年目=水深50cm、9年目=水深35cm)などにウエイトが移っています。この1年は、手をつける位置をより難しくして同じ訓練をしています。ビデオは
今年の新種目が
ここ
と
ここ
で、他に、昨年から始めた腿上げランニング訓練が
ここ
です。ジョギング的なものは以前もやった事がありますが、走った感覚の本格訓練は昨年からになります。
5. 歩行器:
発病1年8ヶ月で完全装備+補助で肘歩行器を使い始め、その3ヶ月後には平地なら補助も外せるようになり、発病3年目には普通の低い歩行器も始めて、発病4年目には膝バンドなしで肘歩行器で歩けるようになり(足首固定器は使ったまま)、発病6年目には低い歩行器も膝バンドなしで歩くようになって、今に至っています。これらと平行して歩行距離と速度が少しずつ伸びて、発病5年目に8kmを2時間で、8年目には17km下りを3時間30分で、10年目の今年は21kmを4時間10分で歩いています。
6. 手指:
脊椎から遠い指は一番回復の遅い場所でもあって、時間がかかっていますが、着実な回復がみられます。今年の場合だと缶ビールと瓶ビールを開ける事が曲がりなりにも出来るようになり(瓶ビールはつい3週間前)、紐の結び解きの訓練を始めています。毎年撮り続けている親指のビデオは
一昨年(発病8年)=ここ、
昨年(発病9年)=ここ、
今年(発病10年)=ここ
です。
7. 移動/旅行:
総合的な回復は、体の特定の筋肉よりも成果が見えるのがちょっと遅れるようです。例えば研究所に行く際に、車椅子でなく歩行器で行くようになったのが発病6年目、タクシーからバスになったのが発病8年目です。旅行となると発病7年目にやっと車椅子から歩行器使用となり、日本行きが歩行器のみとなったのはつい昨年です。また、発病8年目にしてやっと汽車やバスを使った旅行を挑戦するようになっています。もっと限定的な「単独での飛行機での移動」という内容だと、ストックホルムが発病6年目で、乗換えがある便では10年目の2ヶ月前が初めてになります。また、旅行を現地介護のみで済ませるというのも、発病5年目がストックホルム、発病6年目がヘルシンキ(フィンランド)で、発病9年目では日本も現地介護のみで済ませられるようになりました。
8. トイレ:
介護を一番必要とするトイレですが、発病4年目に尿袋を自力で空けるようになり、発病7年目には歩行器に座って同じ事が出来るようになっています。便器に座る分も、発病3年目にそれまでの特殊椅子から便器に直接座る(補助有り)ようになったあと(身障者トイレだと2年目)、発病4年目には電動式の歩行器でなく普通の歩行器でそれが出来るようになり(補助あり)、発病5年目には、自宅限定ながらも、ベットで裸になってから歩行器で移動してトイレに座る事が可能になって、同時に尻を自力で拭う事も出来るようになり、介護依存度が急速に減っています。その後、発病8年目には、身障者トイレ限定ながらも、ズボンの脱着を含めてトイレを補助なしで出来るようになり、それが年々にスムーズになっています。
長い目で見ると、生活の不便をあまり感じなくなったのは発病7〜8年目あたりからだと思います。これに一番効いたのが、先ずトイレの問題の改善であり、就眠と起床が手助けなし出来るようになった事であり、パソコン回りや冷蔵庫などの細かな作業を自力でかなり出来るようになった事です。不便をあまり感じなくなったという事から、この10年間(特に至近5年間)の回復は満足いくものだったと言えますが、これから先は分かりません。というのも、回復が難しくなる事に加え、年齢的に体の機能の下り坂が始まる時期に当たるからです。だから、過度の期待はせず、どんなにゆっくりでも回復が続けば儲け物、というぐらいの気分でリハビリを続けようと思います。期待と現実が大体一致するのが、継続の為に一番良い薬ですので。
最後に例によって無駄話です。
福島の原発事故関係で、夏までに放射能データを色々解析して論文も3本科学雑誌に提出しましたが(1本は共著者)、放射性ダストの環境中のダイナミックな動きを調べるという研究分野が今まで存在しなかったせいか、査読をしてくれる人が見つからず、2本目の論文は6月に出したのが先週やっと受理され(2週間程度のマイナーな改訂が1回だけ)、3本目の論文に至っては、特急処理が売り物の電子レターに7月上旬に出したものの、査読者のコメントが10月末まで来ないという遅さで(これも2週間程度の改訂)、未だに改訂版への採否の返事が来ていません。内部被曝の時期について4月末まで危険だったという解析結果なので早めに公表したいのですが、そんな具合で緊急時におけるアカデミズムの限界にぶち当たっています。取り合えず、出版・受理された分については
日本語解説
を書きましたので、興味のある方はご覧下さい。