2011-10-29
山内正敏
発病から丁度10年になります。10年前の10月29日に体のだるさを感じて医者にかかり、原因不明で追い返されたあと、翌30日に救急入院して、31日から全身麻痺の長い闘病が始まった事だけは昨日のように覚えているものの、リハビリの成果が上がり出してからはあっという間で、長いような短いような10年でした。幸い、スウェーデンでの発病(原因は日本出張中の食中毒だから日本で発病していたかも知れない)だったお陰で、ベストのリハビリ環境を得る事が出来て、日本に一人で行くところまで回復する事が出来ました。
本来なら10年目の回復記録を写真と動画で報告するところですが、今月はこの日本行き(10月7日〜18日)の報告を優先して、10年目記録は次回報告する事にします。
今回の日本行き最大の挑戦は「一人で行く」事です。原理的にそれが可能な事は、昨年の日本出張で確認しています。というのも、身障者対策は空港管理会社の責任になっていて、乗換地で荷物のチェックインカウンターまで運ぶのも手伝ってくれるからです。だから、いかにキルナーストックホルムーヘルシンキー中部ー福岡の行程が24時間かかる過酷なものであれ、トラブルさえ無ければ介護なしでの移動が可能な筈です。
問題は、この「トラブル」です。現に、今回は突然の大雪のため、キルナ空港で飛行機が4時間遅れ(機内で待たされた)、もしもあと2時間以上遅れたら日本便に乗りおくれるところでした。病気になる前の事を思い出しても、11年間で約35〜40回の日本行きのうち、予定の日本便に乗れなかった事が3回(2回はキャンセル1泊)あり、とても無視できるものではありません。
例えば乗換えのヘルシンキで日本便がキャンセルになった場合、荷物を持った状態でホテルとかの対処が出来ません。航空会社も空港管理会社も、ホテルのアレンジはしてくれても、それ以上の事はしません。この話をすると
「それはおかしい、助けてくれる筈だ」
と真顔で言って来る人がいるのですが、当事者でない人間が実情も確認もせずにそういう無責任な事を言うほうが余程おかしい訳で、そんな意見に耳を貸したら、私のような身障者は酷い目にあいます。現に航空会社は付き添いを推奨しています。なので、旅行に当たっては、自分で出来る事と出来ない事、考えられるトラブルと最悪の事態、その場合に健康への影響の一番少ないプランB、Cを取った際の費用などを考えて、付き添いの必要の有無を判断しなければなりません。
今回の場合だと、日本からスウェーデンへ戻る際は、会社がフィンランド航空である事から、日本発の便がキャンセルされない限りヘルシンキに着く事は確実なので、そこからストックホルムまでは便数も多くて辿り着かない事態はあまり考えられません。最悪、ストックホルム空港が不測の事態で閉鎖されても、バスとタクシーでヘルシンキからキルナまで1000キロ以上を移動する事が今の私なら不可能ではないので、完全に一人で大丈夫という判断になりました。そこで、日本に向かう方の片道だけは知り合いに同じ飛行機に乗って貰いました。もっとも、同じ便とは言っても、別々にチェックインして、席も別にしました。
こうして、行きは「10時間(乗り継ぎ込み12時間)の飛行中に誰の助けも借りない」という事を実践し、帰りはそれを復習して、つつがなく最大の目的を果たしております。ちなみに10時間飛行の間は、靴を自力で脱ぎました。介護の結んでくれた靴紐は蝶結びなので、これを外す事は一応出来ます(但し私がやると、足首固定器のマジックテープを傷めるのと、私の指がオーバーロードになるので、日常的にする訳にはいかない)。問題は結ぶ方で、一応家で少し訓練していたものの、やはり緩めの真結びになってしまいました。幸い、日本到着の時は日本の空港スタッフが結び直してくれ(外国ではありえない)、帰りは妥協出来る程度に硬く結べたのでなんとかなってます。ちなみに、この真結びを自力でほどく事はできないので、靴の脱着は上限一回です。
靴ひも結びは、例えば不測の事態で一泊しなければならない時に重要で、これさえクリアーすれば、きちんとした身障者用ホテル室なら一泊ぐらいは一人でどうにかなるはずで(ただし、歯磨きとかは手抜きになるし、カテーテルとかテープとかに問題が起こると厄介)、今後の最重要課題の一つです。それでも、今回、靴の脱着が飛行機の中で一回だけでも出来たのは大きな進歩と言えます。もっとも、そういう事が出来たとして、今後、日本に一人で行くかとなると、ちょっと分かりません。多少費用がかかっても、日本で勝手に個人旅行できるような介護を連れて行った方が安心な気はします。リハビリで重要なのは、無理をしない事と新しい挑戦とのバランスで、挑戦して出来た事を日常的に行う事が必ずしも良いとは限らないからです(例えばハーフマラソンを毎週するなんて有り得ない)。それは日本行きにも当てはまります。
日本では公共交通機関を使うという挑戦を前回・前々回に引き続いて行いました。具体的には福岡と宮崎のJRと西鉄線、宮崎交通バス、京急から地下鉄乗換え、京成です。3年半前に山手線(人が多過ぎる)は避けた方が良いという教訓を得たものの、福岡は
JR
も
西鉄
もサービスが良く(単に乗客は少ないからかも知れない)、気持よく乗れました。折尾駅に至ってはサービスが至れ尽くせりでした(例えば
これと
これ
)。一方、宮崎は身障者がJRを使う事がほとんど無いのか、階段のない駅がほとんどないとの事で、車両も、電車は扉の所に手すりが無く(これをデザインした人の見識を疑う)、ディーゼルカーに至っては大きな段差が昇降口にあって(まさに昇降)、それをいずれも無事にクリアーしただけで、なんだか大きな一里塚を超えた気分になった程です。ただし、乗客が少ないので、昇降に時間を気にしなくて良い所は素晴らしく、次回は階段のある駅に挑戦してみたい気がします。東京の地下鉄の方は、近年、車椅子の利用者が増えたお陰で、サービスが必要最小限ながらもスムーズでした。
結局の所、身障者対策を良くする為には、なによりも身障者が利用し続けるという実積を作る事が一番のようです。その点、とにかく人口密度の高い日本は、少なくともハード面では世界の最先端になり得る気がします。
今回の旅行でもう一つ挑戦したのが、法事での正座(足が痺れた)と、寺の階段を手すりだけで自力で登る事(
写真1→
写真2)
と、
狭い吊り橋を渡る
事で、特に階段の昇降は、初の応用(病院で訓練はしている)で大いに自信がつきました。階段と言えば、出発前夜に御徒町で夕食を食べた際に狭い階段を昇った(片方手すりで片方が知り合いの肩)のですが、手すりが壁に近すぎて指が入らず、半分だけの手の力になってしまいましたが、肩に手を掛けた方がしっかりしていたお陰で何とか登り切りました。これが今回の旅行で一番の収穫だったかも知れません。
そういえば、この時たらふく食べた鰻のお陰か、未だに風邪を引いていません。病気後4回目の日本行きにして初めての事で(今までは疲労の余りとホッとした落差で風邪を引いていた)、次回からも出発前夜は鰻をたらふく食べて体調を整えるのが良いのではないかと考えているところです。もっとも、今回は人に会う回数を徹底的に絞ったお陰かもしれませんが。
最後になりましたが、今回の日本行きでも多くの方のお世話になりました。名前は挙げませんが、お礼申し上げます。
最後に例によって無駄話です。
福島の原発事故を受けて、EUでは日本からの輸入品に放射能検査を義務づけていますが、大きな輸入元はともかく、零細な所ではどうしようもなく、例えばストックホルムの日本食品店では、先月まで日本食品の輸入が全面的に止まって売るものがほとんど無くなるという存亡の危機に見舞われました。私自身はあまり買わないものの、それでも店が潰れると日本米(スペイン産)の入手とかで困ります。幸い、食料品の放射能検査が機能し始めて輸入が少しずつ再開され、取りあえずほっとしています。
輸入制限が厳しくなったのは、もしかすると、日本政府が3〜4月に「取りあえず安全です」を安売りして、「安全」という言葉に対する信用が全く無くなった為(おおかみ少年効果)かも知れません。ス「安全」が政治やイデオロギーの問題としてではなく、ウェーデン並みに技術と費用の問題として語られるようになって欲しいものです。