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リハビリ記録その5

2003-2-25 山内正敏

 集中治療室を出てから(そのまま内科を省略してリハビリ病棟に移ってから)丁度1年になります。昨年の今頃は『ギランバレーは直る病気だ』というニセ情報に踊らされて『あと半年もしたら普通に歩けるようになるだろう』と信じていましたが(今でも医療関係者の大多数がそう思い込んでいるから困るのだけど)、今は『どこまで直るかはリハビリの質と量に依る』との認識でリハビリ訓練を組みながら少しずつ仕事にも復帰しています。
 その甲斐があってか、1年以上たっても Steady な月単位の回復が続いています。まず足腰ですが、膝の上に立つ練習を始めました。まだ腰が安定せず手で支えないと(膝を直角にし続ける力が無い為)腰が崩れますが、その分良い練習です。歩行器での練習のほうは膝固定器(膝を伸ばさないようにする負荷)を使ってすら立ち続ける(約15分、もちろん腕で支えている)事が出来るようになり、あと足首を保護する固定バンドが届けば歩く練習が始まります。
 水の中ならもっと楽で、平行棒で支えればプールの一番浅いところ(へその深さ)ですら歩く事も出来、胸まで水があったら両手を水の上に挙げて数分立ち続ける事も可能です。もっともプールは泳ぐ為にもあるので、その本来の目的に従って(浮輪を使いながらも)泳いでいます。一番楽なのが背泳と烏賊泳ぎ(首浮き輪だけで泳げる)で、バナナ浮きを腋下に挟めばクロールやバタフライも出来ますが、平泳ぎは大変で殆ど前進しません。
 歩く為には足を持ち上げる力や蹴り出す力も必要ですが、持ち上げる方はやっと足を車椅子の足乗せ台から床に降ろし、床から足乗せ台に乗せる事が出来るようになりました。足乗せ台を外して車椅子を漕ぐ練習は先月より随分進展して1kmを45分で行けるようになっています。足乗せ台をつけた車椅子漕ぎの方も、腹筋背筋を丸1時間使い続ける事が出来るようになって(でもタイムは殆ど伸びず5キロが58分)、それがそのまま立つ練習に繋がっています。あと自転車訓練も同じ時間で5割程余分に漕げるようになりました。
 上半身は、まず肩が更に軟らかくなって腕を少しだけ後ろに回す事(=背泳やクロール)が出来るほか、手首を固定すれば両手でコップを持ち上げて水やお茶を飲む事(=肘をすぼめる力3kg)が出来るようになり、介護の人に手を強く握ってもらったら拳骨が出来るぐらいに指関節も軟らかくなりました。
 水が自力で少し飲める事から、夜の一部(2時−7時の5時間)を介護なしで過ごす練習も始めました。今は土曜夜のみ(眠れなくて睡眠不足になるから)ですが、4月か5月には毎晩を1人で過ごす(介護を5人から4人に減らす)事を目論んでいます。介護なしと言っても呼び出し介護を呼ぶボタンは枕許にあり、実際、小型水筒なら水を自力で飲む事が出来ても、毛布を掛け直す事の出来ない私は、毎回呼び出し介護(平均20分待たされる)のお世話になっています。
 ここで介護について説明すると、私が関係しているだけで4種類の介護(個人介護、臨時介護、予約介護、呼び出し介護)があります。現在5人x38時間/週の個人介護がローテーションを組んでいますが、彼等は私に特化していて、身の回りの世話の他に柔軟運動等のリハビリをするのが仕事になっていて、いわばホームヘルパーと准看護師と体操療養師と作業療養師(と秘書)を兼ねたような存在です。特化した仕事なので単なる介護経験者に代理は勤まりません。そこで個人介護が病気や休暇の時に(不十分ながらも)代理が勤まる程度に希望者を訓練して臨時介護として登録するシステム(=訓練の時間にも市から給料が出る)があります。私の場合、1月の後半になってやっと捜しはじめ、1月末に1人目、先週末に2人目、今週3人目が訓練を終わって登録し、やっと一息ついたところです。本来なら退院の段階で捜しはじめなければならない臨時介護ですが、前回報告したようにキルナ市身障者課の担当者が何もしない人なので、業を煮やした私と介護が勝手に探し当てたという状況です。
 予約介護は5分とか30分とかの時限介護で、私の場合は手助けが2人必要なプール(での着替え)の際に来て貰うようにアレンジしています。呼び出し介護は文字どおり必要な時(基本的に緊急時に)に呼び出して身の回りの世話を見てもらうもので、私は退院直後の11月上旬にトイレに行く時(その頃はトイレ用の椅子に移るのが2人掛かりだった)呼んだ他、最近は独寝の練習の際に呼んでいます。呼び出し介護は身の回りの世話に限られていますが(=車椅子を押しての外出とかは含まれない)、予約介護の範囲はもう少し広いようです(正確な範囲は知りません)。
 介護の給料は基本的に国と市から出ていて、市の担当は数年で介護はほぼ必要無くなる人(数年後に週20時間の介護で足りる人)にかかる介護の全てで、後遺症が残って2年後でも週20時間では足りない人間の介護が国の担当になります(ちなみに病院は県の担当なので、国と県と市とで責任の押し付けあいが頻繁にある)。私のように回復途上の場合、国は後日評価して最低限しか費用を市の方に出さないので、市側としては出来るだけ早めに介護の時間を減らして負担を減らそうとします。現に毎日24時間の介護を受けている現実にもかかわらず、今月、社会保険事務所の係員から出された推薦時間は(訳の分からない計算方法で)1日19時間となっています。従って、夜2ー7時を1人で過ごす練習には丁度良い目標がある訳です。
 1月末に混乱の極みに達した介護補充の問題は、1ヶ月かかってやっと解決しました。前回の報告の際に残っていた半人分は2月頭に見つけた人がたったの2回で辞めてしまい、しかも介護の1人が胃潰瘍手術で病休となり、ずっと臨時介護やら素人介護やらで食いつないでいましたが、結局1月末の段階で40%だけ働いてくれた人(彼女は2人掛け持ちだった)が3月から私の方に100%働いてくれる事で落ち着きました。で、3月からの介護の陣容ですが
*個人介護:女41歳子供4人移民/男30歳独身/女34歳子供4人離婚/女41歳子供2人離婚/女19歳同棲移民子女、
*臨時介護:女45〜50歳移民(子供本国)/女43歳子供1人/女19歳独身、
です。11月から色々な人を経験しましたが、介護の質は性別/年齢/子供の有無/出身国には全く関係ないように思われます。現在の陣容で問題があるのは臨時介護の1人目(本当に緊急だった時に登録した人)で、スウェーデン語のヒアリングが非常に悪く上手く、意思疎通が取れずに随分不便な(危険な)思いをしました。
 介護以外の面白い社会体験に尿管の取り替え(膀胱から直接出している膀胱ろうという奴で4ヶ月ぶり)がありました。2月5日午後に一般外来で(医師の立ち会いの下、地域看護師が担当して)尿管を取り替えようとして上手く抜けず、医師の権限で泌尿器科に回される事になり(その手続きの為のみに医師が立ち会う)、泌尿器の医師がたまたま救急の担当だったのでそちらに行った所、1時間待たされた挙げ句、6時過ぎに泌尿器の医師がやってきて、容態が救急で無いから明日10時に泌尿器科の所(と云っても同じ部屋で同じ医師が担当する)へ出直す様に言われ、まさに典型的官僚システムを経験してしまいました。翌日10時に泌尿器科(実は救急)に行ったら1時間45分も待たされたので介護と2人でぶつぶつ云ってましたが、実際に尿管を抜く作業を始めると予想以上に困難で、結局、麻酔+切開+止め袋の強制破裂で50分後に抜け、新しい尿管を入れた後も2針縫う手術になってしまって、こんな大手術なら2時間待たされても大した事ないと感想が変わってしまいました。
 で、この手術の2時間後、今度は(同じ建物の)歯医者で3本の虫歯の治療しました。この虫歯は退院後の2ヶ月半の間に出来たもので、入院中1日4回だった歯磨きを歯科衛生士の勧めに従って1日2回に減らしたところ虫歯になってしまったのです。介護による歯磨きの質はリハビリ病棟に劣らないし、間食もしなければ清涼飲料水も飲まない訳で、結局、病気前よりも虫歯にかかりやすくなっている(唾液の効用が病気前と違う)と云う事を示しています。虫歯の直接の原因が昼食のカスに違い無いので、今は歯磨きを1日3回に増やして凌いでいます。虫歯はともかく、この日は2度の連続治療で身体がオーバーロードしてしまって本格的な風邪を引いてしまい、翌日は38度の熱にうなされていました。
 風邪というのは重なるようで、私が風邪を引いていた2月上旬はキルナじゅうで風邪がはやり、8ー9日の週末なんか5人の介護の内の4人までがダウンして(正確には2人が風邪で倒れ1人は親が卒中で倒れ1人は子供が風邪で倒れ)、ほとんど素人に丸3日介護を頼むという酷い状態でした。38度熱が出ているにもかかわらずろくな看護を受けられず、日曜に至っては介護の代理を捜すべくわざわざ病院まで行って非番の看護婦さんを捜して貰いましたが、風邪で介護代理が必要になったのは私だけでは無く暇な看護婦は皆どこかで臨時代理をやっており、結局日曜夜の1ー7時は介護無しで眠れない夜を過ごして(呼び出し介護を4度も呼び出した)、風邪と睡眠不足の2重苦に喘いでおりましたが、こんな週に限って重要な訪問者が立て続けにやってきて、翌月曜火曜なんか病気休職中の筈なのに、しかも風邪で身体がだるいのに研究所で将来計画の会議に出ておりました。また、土曜にはアパートで午後3時〜8時会議をしておりました。いったい私は病人なのでしょうか? 
 仕事への正式な復帰(50%仕事、50%病休)は4月からの予定ですが、その下準備は着々と進んでいて、研究所の新しいオフィス(ベッド付き)がほぼ完成して引越しを始めた他、自宅からも仕事が出来るように研究所の机を借りてきてパソコンのセットアップもしています。ブロードバンド(ADSL)やインターネット銀行など IT 時代のお陰を最大限に受けている気がします。
 最後に社交関係ですが、旧正月パーティー(訪問は日本人5人、スウェーデン人5人、ドイツ人1人)に始まった2月は、演劇を見に行き、友人の40歳の誕生日晩餐に参加しました。後者は2階建ての友人宅で開かれたのですが、タクシーの運転手が2人掛かりで車椅子ごと2階に上げ下ろししてくれて(それでいてタクシー代300円)、福祉の充実を感じた次第です。

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