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リハビリ記録その169

2016-12-4
山内正敏

 普通に「寒い快晴か雪」の師走です。なので訓練の中心は室内に移っています。

 11月7〜17日の日程で日本に行きました。11月の日本はキルナの真夏よりも暖かく、3度の雨も飛行機の中か、夜間だったお陰で、非常に気持よく過ごせましたが、ちょっとハードなスケジュールだったので、未だに疲れが残っていたりします(そのかわり風邪を引かずに済んでいる)。
 一番の挑戦は、旅行用の歩行器で10kmレース( お台場=片道2.5kmを2往復 )に参加したことで、コースが全部タイル敷きという、歩行器/車椅子には最悪の道だった上に、車道と立体交差になって全部で5−10m級の坂を16度も登り下りする羽目となって(下りの度にスピードを落とさざるを得ない)、実質で2時間16分もかかってしまいました。普段使っている歩行器なら普通に歩けたでしょうが(9月にはもっと坂の多い砂利道5.5kmを69分で歩いている)、携帯歩行器では無理な話です。でも、これほど悪いコース・条件でも2時間余りで歩けてほっとしています。ちなみに2周目は1周目より4分余分にかかっていて、この条件では10kmが限界だと感じました。
 タイルと言えば、浅草の歩道でタイルに車輪が引っ掛かって転倒し、その際の膝の傷口が化膿しかかるという面倒ごともありました。なんとか悪化せずに治っていますが、こんなタイルだらけの東京でパラリンピックを開くなんて、4年後にはいろいろ事故がありそうな気もします。あと、以前福岡でも思ったのですが、東京の地下鉄の「身障者用エレベーター」を見つけることの難しさを痛感しました。見つけやすい所にあったら、誰もが使ってしまうから、日常的に使う人にしか分からない所に出入り口を作るというのは分かるのですが、せめて、普通の階段入口のところに案内地図ぐらいは出して欲しいと痛感します。こちらのほうは、今のままではパラリンピックで文句が出るのは間違いありません。
 今回の日本行きでは、病気後初めて筑波の方に行き、柿岡地磁気観測所を初めて訪問しています(今まで行ったことが無かったのは不思議)。柿岡ではセミナーもしましたが(ここのデータを使って福島原発事故の放射能解析をしていた)、肝心のセミナー室は土手の下にあって、そこまで 肩を借りて昇降する という、予想外のイベントもあったりします。さすがに創設百年を超える観測所だと感心しました。
 セミナーは筑波大でも行ないましたが(こちらは一般学生向け)、その準備が日本出発前まで全く始められず(出発前3日間が毎晩3時間しか寝てなかった)、折角のプライベート帰国、しかも好天だったにも関わらず、暇な時間はその準備に当てるという馬鹿なことをしておりました。それでも博多駅前で2日に渡って歩き回り(博多区は本籍なのに、まともに歩いたことが無かった)、宮崎でもコスモス満開の西都原の土道を満喫したり、筑波の紅葉を満喫したりで、十分に休暇になっています。
 旅行恒例のトラブルは2回です。1つ目は日本行きの際のスウェーデン・フィンランドの予想外の雪で、飛行機が除氷作業の為になかなか出発できず、ストックホルム着が30分遅れ、ヘルシンキ着1時間20分遅れ、中部着1時間遅れ(セントレア着は普通なら30分早く着くので実質1時間半遅れ)、接続に余裕を持たせていなければ(ヘルシンキは1時間乗り継ぎの便があったのを、敢えて2時間10分乗り継ぎを選んだ)、乗り遅れていたか、最善でもトイレに行く時間が無かったと思います。中部でも荷物が出て来るのに40分かかって、ぎりぎりでチャックインしています。最終的には定刻に到着したので問題なかったのですが、やはり1時間接続は(冬場は)絶対に出来ないと再認識しました。
 2つ目はお台場のトイレです。10kmレースの前に用を足そうとトイレを捜したのですが、唯一エレベータで悪説可能なトイレは身障者用だけローブで入口を塞がれていて(健常な人ならまたがって浸入できるけど)使用できなくなっておりました。結局、近くのホテルのトイレを借りましたが、これが入口から遥かに遠い所にあって、当初のスタートを2分差で逃して、30分後に回されるという経験をしております。コースの途中には3ヶ所も身障者トイレがあったのですが、スタート・ゴール地点にないの閉口しました。それを除けば、日本の身障者トイレの優秀さ(西都原もあった)は世界に誇れるレベルなので、残念なことです。

 日本行き以外では、介護のスポンサーは国からキルナ市に移管することになりました。これは私だけでなく、かなりの数の身障者に当てはまるようで、国は全く動けない人だけをサポートする方針に変わった様です。キルナ市に移ると言うことは介護時間が多少削られることを意味します。それがどのくらいの数字になるか、いまから戦々恐々としています。

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