2001年7月 サブ・クングス レーデン 山歩き記録
地図
写真大判 : ftp://maxus.irf.se/pub/perm/yama/photo/
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第5日(晴れのち曇り、午後4時夕立ち) バス62kr
     起床 7:00   
      9:15 発  Tarfala(タルファラ)小屋
(+4km)10:25-10:35 滝の下
(+4km)11:35-11:55 kebnekaise(ケブネカイゼ)山荘
(+5km)12:45-12.55 見晴らし台
(+4km)13:50 着 舟着き場 
    (13:55-14:23 ランニング = 5km)
      14:30 発  舟着き場 
(+2km)15:00-15:15 橋
(+3km)16:00 着 Nikkaluokta(ニカロクタ) 
     バス 16:30


 起きると見事に晴れ上がっている。
 朝の散策をしながら、何故ここが名高いのかをつくづく実感した。盆地を完全に取り巻く山々の中腹に氷河が見えるのは当然として、 小屋の正面 が氷河湖+氷河の組み合わせであり( タルファラ湖とケブネパック氷河 )、その氷河湖から流れ出る川を挟んで、かなり至近距離にもう一つ氷河があるからだ( イスファール氷河 )。氷河のすぐ向こうがスウェーデン最高峰ケブネカイゼ。これだけの絶景なのに、国立公園でもなんでもない。それどころか、ケブネカイゼ一体が未だに国立公園になっていないのだ。
 そのかわりアクセスは悪い。一番近い道路まで、山路の悪路が26km(健脚でも9時間の距離)ある。だからこそ国立公園に指定する必要がないだろう。必要がないだけばかりか、国立公園になってしまっては不便でもある。というのも公園内では自由なキャンプが出来ないからだ。国立公園とは自然を守る場所であるが、同時に、多くの自然愛好家にその存在を愛でて貰うべき場所でもある。だからこそ『公園』なのだ。アクセスの悪にも関わらず、テントを担いで来る根性のある人間だけしかキャンプできない環境であれば、自然は自ずと守られよう。ならば啓蒙と云う意味でも、そういう連中の便宜を図って悪かろう筈がない。
 もっとも、そういう根性ある連中の多くも、山小屋の或る所には山小屋に泊まりたがるものであって、結果的に林立テントで景観が損なわれる事はない。実際、 湖畔にはテントは数張り しか立っていない。確かに国立公園に指定する必要が無い。下手に国立公園にして役所的に制限するより余程合理的だろう。不便さはその必要条件だ。

 晴れてはいるものの、肌の感じる湿気は、朝だけの晴れ間かも知れないと告げている。昨日だって、今日ほどではないにせよ、起きた時は晴れ間があったのだから。そう危惧していたら、散策中に既に雲が見え始め、朝食時には単なる晴れに格下げとなった。雷の恐れすらある。となれば、残念ながらケブネカイゼ登頂は諦めて、このまま帰るべきだろう。その場合は慌てて出発する必要は無い。だが、さりとて午後4時半のバスに間に合うように山道25kmを歩かなければならないから、のんびりは出来ない。普通に準備して、そのまま9時過ぎに出発した。バスまで7時間。下りだから間に合うとは思うが、まあ、駄目だったらタクシーか或いはニカロクタで一泊か。
 朝のうちに氷河の写真を撮り終えて、カメラのフィルムが切れたので、写真の事を全く考えずにペース維持だけを考えて降りる。瓦礫道とはいえ、完全な盆地の見通しの良い所なので、精神的な疲労は少ないが、それでも昨日の大行程の疲れか、同行者Sがやや草臥れた顔で小さな登りですらペースを落とす。やはり下山で正解のようだ。 大氷河と その手前のストックホルム大学氷河研究所の横を普通の速度で歩いて、昨日降りた瓦礫を越え、やがて盆地から 谷道 に下る。
 谷道と云う事は、崖が迫って来る事を意味する。山の上は雪解けが続いているから、当然滝が沢山あり、そのどれもが日本なら観光名所になってしまうレベルだ。アラスカでもここまで高い滝が連続するような峡谷は少ない。そんな滝の1つの正面で1回目の休憩をして、更に下山をゆっくりと続ける。ゆっくりなのは同行者Sが疲れ気味だから。その一方で、余裕のある同行者Tは、ラストチャンスとばかり、花の写真を撮っては追いつき、また花の写真を撮っては追いつきを繰り返している。こうして更に30分程で分かれ道に出た。ここまで約7km。真っすぐ降りれば、そのまま終点ニカロクタまで18kmだが、吊り橋を渡って1kmの所にケブネカイゼ山荘の山ホテルがある。山小屋と違って、レストランやサウナやシャワーのある立派な山ホテルだ。将来の為に見ておくのがお勧めだし、駄目押しに、ちゃんとした水洗トイレがある事を伝えると、同行者2人とも直ぐに賛成して、そこでトイレ休憩という事になった。
 往復2kmに加えて見学等の為の余分な休憩で、トータルで1時間近いロスタイムとなる。1時間のロスタイムがあると、残り18kmを5時間半の予定が4時間半になってしまうのだから。歩きだけで最終バスに間に合うのはかなりきつい。下り坂とは言っても、予想される平均速度が時速3キロだからだ。ただし、一つ可能性があって、それはボートに乗る事だ。途中5キロ程、ボートを選択出来る。そして最終ボートが午後2時少し前。そこまで約9kmだけを頑張って2時間以内で行けば、あとは余裕でバスに間に合うのだ。
 とりあえず、始めの1時間で5km近く稼ぐ。小休止のあと更に2kmほど歩いて、そろそろかな、と思うが、いっこうに船着き場らしき場所に出ない。時間が気になるので、強引に同行者Sの荷物を持ってさっさと歩くと、僅か15分程で船着き場への分かれ道に出た。間に合ったらしいという安心感で、荷物を同行者Sに返して、更に1キロ先の船着き場まで行く。13時50分。船が近づきつつあるのが見える。これでバスに間に合う事はほぼ確定だ。
 安心したところで、ここは別行動を提案する。こっちの荷物を同行者2人に預けて、身軽なままに走って下の船着き場まで走ろうと云う目論みだ。この手の別行動は過去にも何度もやっているので、全く問題がない。のみならず、こっちは3日後に42キロのマラソンを予定していて、それなのにこの5日間まったくランニングをしていないから、どうしても走っておきたいのだ。とにかく、心配材料が全く無くなったのだ。リーダーとしての役目はここで終わったと云っても良い。それなら、こんな余興が最後にあっても良いだろう。
 5キロ28分のジョギング程度の走りで下の船着き場に着くと船はまだまだ遠い。5分程でようやく船がついて再出発だ。残り5キロを2時間で行けば良い気楽さから、始めはとろとろとスタートするが、道から瓦礫が減って歩き易くなっている為、足どりは軽い。途中、最後の吊り橋で。最後の生水を楽しむ休憩をして、残り3キロ。再出発するや、ここまでギリギリ空からぽつりぽつりと水滴が落ちて来る。ここで大雨は止めてくれよと思いながらも、昨日や一昨日と違って、まだ雨に逢っていない幸運を喜ぶ方が大きい。
 気になった空は最後まで持って、無事にニカロクタに到着した。最後に教会に登って過去の行程を振り返り、そのままバス停兼の売店食堂に向かう。午後4時。願わくは、この山歩きが一生の思い出で重要は地位を占める事を。


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後日談:マラソン
 大旅行が終わって3日後の7月15日、約100km離れた村でマラソン大会に参加した。緩い坂の多い砂利道で、参加者は20人未満だが、それでも3時間以内の人が何人かいる。コースと気温と疲れを考えれば3時間15分で十分に嬉しいと思って参加したが、疲れがことのほか後半に効いて、30キロの壁からずるずる順位を後退させて3時間21分。まあ、40歳代初のマラソンとしては及第点のような気はする。