2012-9-9
山内正敏
20年ぶりの冷夏(20度を超えた夏日が3日だけで、週に6日は雨)で、松葉杖訓練がほとんど出来ずに、6月以来の不調を完全に払拭する事が出来ませんでした。雨ばかりの気候は秋になっても続き、何時になったら(暖秋となって)釣り合いが取れるのだろうかと、気候の変わるのをじりじりと待っています。
6月以来の不調が続いているのは膝回りの筋肉で、未だに松葉杖も歩行器の下り坂も春先に及ばない状況で、6週間ぶりに再開したプール訓練でも脚力が戻っていない事が分かります。それでも他の面は着実に上がっていて、8月末に行われた市民ランニング大会の手抜き6キロ部門では、昨年よりも4分速い72分で歩きました。一昨年から昨年が2分だけの更新だったので、かなり満足出来る結果です。ちなみに、スピードが上がったのは全て平坦と登りで、下りは昨年と全く同じか、少し悪いくらいです。400mグランドでの歩行も、距離が20周(8000m)に伸びて、それを1時間10分以内で歩き、時速7キロの目標まであと一息です。そんな訳で、天候不順の割には成果の出た夏でした。
ただし、発病11年近いという事と、間もなく52歳になるという年齢のせいか、出張のようなイレギュラーによる回復の停滞(逆戻り)が大きくなっているようで、今回のドイツ出張(9月2日〜7日)でも、疲れがそのまま歩行速度と距離の極端な低下を招いています。今回の出張は余分なストックホルム泊が無く、全5泊をしたホテルがそのまま会場になっているという楽な内容だったのに、帰って見たら疲れていたので、今後の出張見通しの練り直しが必要な気がします。もっとも、行きも帰りも大変な行程だったのも事実で、もしかしたらそのせいで異常に疲れたのかもしれません(あるいは6月までの無理がまだ尾を引いている可能性もあります)。
今回の旅行でも例によって挑戦要素があり、それはドイツの鉄道を使うというものです。昨年のベルギー出張で、取りあえず「飛行機のあとの汽車150キロ」というのは試していたので、やや楽観していましたが、飛行機の乗り継ぎと汽車300キロ乗り継ぎの片道12時間の旅行(飛行機ー飛行機ーバスー汽車ー汽車)は、体が身軽でないと恐ろしく疲れるようです。特に大変だったのが行きのドイツ国内で、海外からドイツ新幹線の身障者用の座席を確保する事が不可能に近い事と、飛行機の関係で予定の汽車に間に合わなかった時に、身障者オプションが存在しない事が分かりました。もちろん、一度経験してしまえば、二度目からはやり方が分かっているので、どうにかなるだろうとは思いますが、とにかく酷い目に会いました。
問題はベルリン空港で、飛行機が定刻に到着したにも関わらず、身障者という理由で、それから45分もターミナルに降ろしてもらえませんでした。他の乗客の乗ったトランスファー用バスを見ると、介護を連れている私でもどうにかなる構造でしたが、私は、車椅子移動の為の特別なトラクターで降ろされることになり、それに移動したまでは良かったのですが、それは荷物室には向かわずに、別の飛行機に向かって、そこで電動式歩行器を使用する身障者を2人を回収し(この時点で35分後)、更に電動式歩行器までも回収して、ようやく荷物室に向かった訳です。それだけなら、余裕の範囲内だったのですが、受け取った歩行器の座り板が完全に壊されていて、その為にサービスセンターに寄った僅かのロス(というのも、前の客が長引きそうだったので、クレームを諦めてバス乗り場に向かった)で、予定の空港バスを逃して、10分後のバス(日程表に出ているバスで、名目上は接続範囲内)に乗らざるを得なくなり、そのバスが2分遅れたせいでベルリン駅で2分の差で予定の新幹線(身障者用ではないけど座席指定だけとってある)に乗り遅れました。切符を買う時間が勿体なかった昨年の教訓を生かして、今回はネットで事前に切符を買っていたのですが、それが仇となって、バスに固執して、タクシーを飛ばすべきだったと気付いたのはバスに乗ったあとです。
もっとも、飛行機が遅れるかもしれない事ははじめから想定したので、別のオプションもプリントアウトしています。だから、チケットの変更の為にチケットオフォスに行けば良いだけの話です。ところが、午後6時20分だというのに閉まっており、その横にある「自動切符売り場」だけが開いている有様でした(そこも夜10時に閉まる)。いくら日曜とはいえ、ベルリン中央駅で此処まで人件費節約をしているのには驚きました。これでは、身障者用座席の指定をするなんてはじめから不可能です。それ以上に問題なのが、そこから目的地まで4つのルートが存在して、ネットで買うチケット(正規料金の払い戻し可能の奴)には、同じルートのみ別の汽車に乗って良いとしか書かれていないことです。同じルートを取るにしても(これだと、1時間半遅れの22時半到着になる)指定席は買い直したいわけで、これが不可能となれば、一番速く到着するチケットを買い直したくなる(30分遅れの21時半着で済む筈)のが人情です。
仕方なく普通にチケットだけを買う事にして、3つのオプション(どれも経路が違う)のうち、汽車の遅れが報告されていない奴を買ったところ、これがコンパートメント式で、廊下が狭くて歩行器が通らないし、普通座席のように座席の肩を伝って移動する事も出来ません。幸いな事に、身障者用の個室のある車両だったお陰で、出発後、たまたま直ぐにやってきた車掌に
「身障者座席に座って良いか」
と尋ねたら、直ぐに個室の鍵を開けてくれて事なきを得ましたが、そこが使用中だったらと思うとぞっとしません。
この日の問題はここで終わらず、次の乗換駅では、なんと乗換え列車の発着するホームへのエレベーターが存在しませんでした。エレベーターを捜して駅の入口まで行って、諦めて戻ったあとに階段を登り始めたものの(介護が荷物を持って登る間に、親切な通りがかりの人が助けてくれた)、登り終えた私達を無視して汽車は出発してしまいました。駅のホームに書かれてある時刻表(街頭が無く、懐中電灯で照らさないと読めない)を見ると、向う2時間汽車がありません。もちろん、こんな夕刻の田舎駅に駅員なんていません。思い起こせば、このルートをはじめから予約しなかったのは、接続に失敗したら2時間遅れ(23時半到着)になるとネット時刻表にあった為で、目的地まで普通列車で23分の距離である事を考えたら、車で行ったほうがマシというものです。幸い、会議の世話人に車で来ている知り合い(ずっと昔にキルナで卒業研究をした人)がいて、ホテルに滞在している事が分かっていたので、彼に連絡を取って迎えに来てもらえるか尋ねてみる事にしました。その電話を掛けるのに手こずっているうちに(エレベーターすらない田舎駅でスウェーデンの携帯を使おうと言うのだから、接続に時間がかかる)、他の乗り遅れ乗客がドイツ鉄道のwebサイトから(スマートフォンで)
「次の汽車は55分後」
という情報を引き出して、少し安心した時に電話がホテルに繋がり、事情を話して、もしも最悪事態(駅の時刻表が正しくて、ネットの情報が間違っている場合)であるなら、迎えにくれると言ってくれて安堵した次第です。この時点から、事態が好転して、電光掲示板に
「次の列車」
の情報が入り、最終的には22時半(前もって買っていた経路での新幹線乗り継ぎと同じ時刻)に到着しました。結果的には、接続列車に乗り遅れたにも関わらず、一番速い経路で目的地についた事になります。どうやら、9月頭の時刻表の改正が駅の時刻表とかに反映されていなかったようです。
トラブルは帰りもあり、前日に駅に行っても英語が全く通じずに身障者席の予約が出来ず、会議の世話人(上記)にドイツ語で電話で予約してもらったり、そうして予約した予定の汽車が遅れて接続列車に乗り遅れる事が判明して、これも私の事を心配してくれた彼が駅に着いて来てくれたお陰で、一つ早い汽車に変更することで何とか無事に済みましたが、ともかく、ドイツで(ドイツ語の喋れない)外国人身障者が(飛行機と組み合わせた上で)汽車の乗り継ぎを計画するのが無謀だという事だけは分かりました。とはいえ、次回ドイツに行く事があったら、また鉄道を使ってしまうような気はします。
ちなみに行きのチケットですが、ネットで買うと(割引ゼロにも関わらず)経路指定なのに、ベルリン駅で買ったときは経路無指定の行き先(と特急のタイプの上限)だけが書かれてあって、もしかしたら買い直す必要はなかったのかも知れないと気付きましたが、でも買い直したお陰で、予約と時の7割以下の値段の汽車で目的地に着いて、キャンセル料込みですら、安くで目的地に着いたのには狐につままれた思いです。
最後に例によって無駄話です。
鉄道といえば、キルナでは鉱山拡張に伴う新ルートの建設が終わり、8月31日に新ルートを使用し始めました。もっとも、キルナ駅自体はあと2年ほど使用する予定で、それまでは、旧線路のうちの鉱山の影響の少ない方だけを盲腸線のように使って、スイッチバックのようにキルナ駅に旅客列車(1日3本)が来る事になっています。ちなみに旧ルートの廃線になってしまった部分は、今までアパートから汽車の一部が見える所(アパートから1キロ離れている)を通っていましたが、それが無くなって、汽車の音の全くしなくなるようになりました。時計代わりがなくなって、ちょっと寂しい気がしないでもありません。