2012-7-8
山内正敏
寒くて雨と雪ばっかりの6月が終わって、ようやく夏らしくなりました。もっとも過去1ヶ月に関してだけは、気候不順はリハビリ訓練に全く関係なかったと言えます。それは過労で体調を崩した為です。
6月中はあたかも軽度のギランバレーのように次第に脚力が衰えておりました。最後の重い申請書が終わった6月15日以降もそうで、一時は呼吸も弱くなり、その為に夜が熟睡できずに更に体調を衰えさせるという悪循環に至っておりました。入院に至らなかったのは単に運が良かっただけだと思います。幸い、7月の休暇に入ってようやく底を打ち、今は回復に向かっています。もっとも、今日の段階でも未だパワーもスタミナもバランスも1年前より悪く、これがどのくらいのペースで回復するかは分かりません。そんな訳で、同じ事を繰り返さない為にはどうすれば良いかが今の最大の課題です。
体調を崩した直接の原因は過労なので(最後の申請書の直前は徹夜とか睡眠時間5時間というのが続いた)、その過労要素(申請書と旅行)をどう減らすかが問題になります。しかしこれは一筋縄にはいきません。というのも、『無理だったら止める』『無理そうだから止めたい』と思っていたのに、それが出来なかったからです。屋根に登ったら梯子を外された、という面もありますが、私の性格にもよるところがあって、今後はそこまで考えた上で予定を立てる必要があります。
この春(4月〜6月中旬)は、通常の研究業務(論文執筆や審査など)の他に、申請書が4つ半(1つは2人で完全に分担した)と出張が2回ありました。そのうちの最後の申請書は3月に突然公募された小型宇宙探査ミッションの募集(衛星本体と打ち上げで50億円規模)で、もしもこれが無ければ過労にはならなかった筈です。しかし、諸般の事情から、私が最後まで書かざるを得なくなった上に、個人的にも
『他の申請書2つを止めてでも出しておきたい申請書』
という位置づけでした。私が書かざるを得ない事が分かったのが4月上旬です。この段階で、キャンセル出来るものはキャンセルしなければならなかったのですが、既に3月下旬から非常に忙しくなってしまって(それまでの週33〜35時間労働から週45時間労働に変化)、予定を立てる為に必要な「ドライな判断」が出来ない状態になってしまいました。つまり、忙しすぎたら最後の申請書(国際協力を最も必要とする申請書で一番大きな申請書)の提出を断念すれば良いという甘い考えに引きずられて、他の予定をキャンセルできなかったのです。
この時点でキャンセル出来た筈の用事は2件あります。一つは、知り合いから「名前貸し」を頼まれていた申請で、既に出来ている外国の装置を、スウェーデンの気球でキルナから打ち上げる為のものです。これは2月に話が決まって、その時の前提は
『申請書の中身は気球関係者(スウェーデン在住のコンタクト)が準備して、私は内容を確認して申請するだけ』
というものでした。
もう1件は、簡単なヨーロッパ出張の際に、そこで友人と落ち合って、仕事の終わった後に数日遊ぶ、という挑戦で、それに丁度良い出張としてフランスの研究所への表敬訪問が6月上旬に予定されていました。出張そのものは、最後の申請書の為の相談という意味合いが加わって、むしろ必然的なものになりましたが、その後の数日の「休暇合流」は、元々はリハビリの一里塚として試してみるという意味合いのもので、単に、前から「余裕がある時にやってみたい」と予定して伸び伸びになっていたものです。
しかし、前提である「余裕があったら」という部分は、過労の状態で予定を判断する際にすっぽり抜け落ちるものです。結局
『他人が絡む予定は約束を守らなければならない』
みたいな強迫観念に迫られて、判断が甘くなり、キャンセルの機会を逃してしまいました。この種の「過労の悪循環」は私の悪い癖で、その為にギランバレーになった程ですが、今回も同じ過ち繰り返してしまいました。どうも他人が絡んで来ると突然判断力がおかしくなるようで、要するに
『単独行なら絶対に遭難しない登山家がパーティを組むと遭難する』
というのと同じ原理のようです。予定を冷静に振り返る機会もないままに、いつしか
『気球の申請書は国際協力だから期待を裏切らない為に出さなければならない』
『次回のフランス出張の際には無理してでも数日のフリータイムをひねり出さなければならな』
と思い込んでしまって、せっかく「無理ならキャンセルしても良い」というシグナルを貰ったのにそのまま受け取る事すら出来ませんでした。
もっとも、キャンセルなしでも、誤算が2つ無ければ過労には至らなかったと思います。ひとつは論文の再修正(1週間仕事)が5月の頭に入った事で、これは一番重要な申請書(ほぼ確実に予算の出るもの)で使うので、それまでに再提出しなければなりませんでした。もうひとつは、気球申請書のドラフトが申請ギリギリまで来ずに、しかもそれが絶対に通らないような稚拙な内容(2つの文書を単に切り貼りしただけ)で、それを出したら私の見識が疑われるような内容だったという事です。結局、私が事実上全部書く羽目になりました。要するに屋根に登ったら梯子を外された、という訳です。実質40時間のロスで、これが無ければ、もう少し余裕を持って(微修正を残すだけの状態で)フランス出張できたでしょう。
しかし、この手の不測のロスタイムは日常業務でも発生しているので、結果的に過労になってしまった言い訳にはなりません。結局のところ、この手のロスタイムまで想定して予定を立てなければならない訳ですが、3月末に5つ目の申請書を書く事を予定に入れた段階で、私の性格からして予定のキャンセルは不可能だった訳で、しかも5つ目の申請書が結果的には重要なものとなったので、最後の要件から切るという風に単純にはいきません。となると、再発防止には、5つ目の要件が入る前に、それまでの段階でロードを低くしておかなければならなかったという事になります。そこで考えられる対策は
(1)それがどんなに有意義な観測であれ、予算の為の名前貸しに私の名前は使わない。
(2)ヨーロッパ出張の際に、現地在住者以外の誰かと仕事以外の理由で落ち合わない。
の2点になります。そんな訳ですので、今後は初心に戻ってできるだけ「無理、出来ない」と断る事にします。
あと、私の多忙の原因の一つに、他人が私が
『リハビリを含めたら多忙である』
という事を忘れがちになったのもあると思います。これには、昨年、ボランティアでチェルノブイリ原発事故の翻訳をした事があるかも知れません。ボランティアをやるぐらいなら暇なのだろうと。そう考える人は
『ボランティアをやっているから忙しい』
とは考えないようです。もっと酷い例では、私はハーフマラソンの参加した事をもって「暇なんだ」という人がいて、それがリハビリの一環で、そういうイベントが無かったら、仕事の能率が下がるという、という事は思いもよらないのでしょう。私にとっての最優先がリハビリで、仕事が2番目である事は、繰り返し宣伝しなければならないようです。
さて、フランス出張で3日余分に遊んだ事がギランバレー疑似再発の原因の一つになったのだから、せめて何か特別な事がなければ悲しい訳で、その特別な事として、ピレネーに日帰りで行ってきました。同行者は同僚とルーマニアの研究者(と落ち合わせた友人)で、その際にツール・ド・フランスで有名なツールマレー峠(Col du Tourmalet=2115m:
写真1、
写真2、
写真3
)まで、ラモンジー(La Mongie = 1725m:
写真4
)というスキーリゾートから4キロ半ほど歩行器で歩いて登りました。峠の標高はスウェーデン最高峰のケブネカイゼよりちょっと高いので、同僚とかには
「ケブネカイゼより高い所まで歩行器で登った」
と吹聴しております。所要時間は1時間40分です。途中の写真は、
写真5、
写真6、
写真7、
写真8、
写真9、
写真10、
写真11、
写真12、
写真13、
写真14、
写真15、
です。
ちなみに、この峠は今年のツール・ド・フランスでは第16ステージ(7月18日、日本時間午後22時前後)に私の歩行とは逆向きに通過しますで、映像で確認する事が出来るとおもいます。
この日帰り旅行には、この後に公衆トイレが水発砲装置と化して、トイレ使用の前にズボンが泥びしょになって、慌ててズボンを買うというハピニングに加えて、途中一回のトイレから夜半過ぎの帰着まで10時間以上トイレに行けず日本行きの飛行機並みに酷い目に会ったというおまけがついております。
あと、フランス出張自体も一つの挑戦でした。というのも訪問した研究所は身障者対策を全く施していない所で、トイレも困難な所だからです(2日目、3日目は結局トイレを我慢した)。10年以上も親密な共同研究をしているのに今まで訪問しなかったのは、これが理由です。その意味では「行ける」という事が分かっただけでも大きな成果でした。
最後に例によって無駄話です。
今年は春が遅れたせいで、現在、タンポポの綿毛の代わりに花が1ヶ月半遅れで満開、サギソウが1ヶ月遅れでこれまた満開、その他の花も半月遅れから、数日遅れで咲いていて、要するに初夏の花と、盛夏の花と虫が同時に満開という、ちょっと珍しい花風景となっています。同時満開なのは花粉もそうで、先週まで私を含めて回りの人間は過去10年で最悪の花粉症に悩まされておりました。これが私の免疫システムに影響を与えたのも、今回のトラブルの一因だろうと思います。