2011-7-3
山内正敏
いきなり蒸し暑い(と言っても日本の3月ぐらいでしょうが)夏になり、白夜による浅い睡眠を考えながらセーブ気味にリハビリしています。もっとも夏至はとにかく過ぎたので、これからはペースが上がるとは思います。
さて、夏と言えば屋外での歩行訓練の季節です。5月21日のハーフマラソンの疲労で、3週間程スタミナもパワーもいまいちでしたが、ようやく調子も戻って来て、新記録を色々出しています。まず歩行器の方は研究所からアパートまでの8キロ半コースで、昨年のベスト(秋の涼しい気候)を2分近く縮める1時間31分で歩いています。夜が戻って涼しくなったらもっと速くなる筈なので、今年の目標の1時間29分は十分に可能でしょう。同じく3キロとか3キロ半とかの短いコースでも1分近い更新をしていて、平地であれば時速6キロペースを維持出来るようになりました。
松葉杖(膝バンド無し)も快調で、1.7kmほどの周回坂道コースを51分で歩けるようになりました。膝バンドを外して歩くようになってからの進展は
2009年6月 :109分
2009年夏ベスト:97分
2010年6月 : 79分
2010年夏ベスト:69分
2011年6月 : 51分
という具合で、早くも2年前の倍の速度になっています。3年前の、まだ膝バンドをしていた頃の記録(2008年:61分/夏ベスト)に比べても2割近く速くなっていて、要するに膝バンドを外して同じ速度が出るまでに3年かかっていません。同じ事を歩行器で調べると、膝バンド付きのタイムを膝バンド無しで越えるまでが2年でしたが、この場合、膝バンドを外したのが発病5年目(松葉杖は発病7年目)なので、合わせると大体対数スケールで回復している事が分かります。別の計算方法(タイムの進展をみる:
リハビリ記録83
)だと、対数よりも速い回復となります。対数だろうという予想は3年前(
リハビリ記録71
)に立ててはいたのですが、それが大体証明された感じです。要するにリハビリの効果は発病10年後でも続くという事です。同じ事は階段やスキーの訓練でも当てはまる筈なので、階段やスキーで膝バンド無しで歩ける日が来るのを今から楽しみにしています。
さて、長距離の歩行訓練で問題になるのが、それに付き合える介護の確保です。3年続いたハンドボールクラブ員の介護(平気で15キロ歩行とか提案して来る)がいなくなって、またも介護の顔ぶれがかわりましたが、今度は『超』スポーツ系とは言えない2人なので、研究所からアパートまでの9キロ弱が同行をお願い出来る限界です。それでも8キロ歩けるってだけで十分で、例えば介護が病気で臨時の人が入る場合、歩く事は全く前提に無いので、4km程度が上限となります。
臨時介護と言えば高校卒業式前日に介護が病気で来れなくなって、代理が全く見つからずパニックになりました。というのも、この日に恩のある親しい同僚の葬式があり、
『介護がいないから参加出来ない』
という訳にはいかなかったからです。朝、何とか高校生臨時(彼女はこの日の朝は授業が無かった)を捕まえて研究所に行く準備だけして貰い、そのまま午後に同僚と葬式に行って、葬式の後の回想茶会(とでもいうのでしょうか)の直前に何とか夕方数時間だけ手伝ってくれる人を見つけた次第です。まさに綱渡りでした。今の段階まで回復したからこそ何とか葬式に参列出来ましたが、3年前の私だったら参加を諦めざるを得なかったと思います。ちなみにスウェーデンで葬式に参列したのは始めてで、本人が亡くなって一ヶ月後の葬式だったにも関わらず棺がありました。そういえばスウェーデンで始めて参加した結婚式も病気の後でした。健康な11年間、何にも参加していなかったって事です。
介護と言えば、旅行の際の介護の問題があります。9月にベルギーに行くのですが、会議の主催者(ESAの会議専門の秘書)が会議の開かれる街に介護会社を見つける事が出来ず、結局、こちらの介護を連れて行く事になりそうです。ただし、いずれも新人ばかりなので誰を連れて行くか決まっていません。あと、10月に法事で福岡/宮崎に行くのですが、今回も昨年同様に現地介護だけで済ませる予定であるものの、今年は去年と違って同僚が同行する訳でないので、行きの飛行機(ヘルシンキ経由)で飛行機がキャンセルになってしまった場合の対策がたっていません。不測の事態さえなければ一人で行ける筈ですが、飛行機のキャンセルというのは『想定外』とは到底言えないので、いざと言う時の為の同行者(泊まりになると荷物とかどうにもならない)が必要です。色々な方法を考えてはいますが、どの方法にするかは決まっていません。ちなみに帰りはヘルシンキまでたどり着けば、後はヘルシンキーストックホルムは便数が多いのでどうにでもなると踏んでいます。
最後に例によって無駄話(というか全然無駄でない話だけど)です。
先日(下記付録)募集した翻訳ボランティア(IAEAの正式レポート:チェルノブイリ20年)ですが、2週間前に出したアイデアに対し、直ぐに5人以上集まったので、さっそく一番重要な3章の翻訳を始め、同時にIAEAにも翻訳許可を貰うべく交渉を始めました。今では15人以上のボランティアが主に週末に翻訳をして下さっていて、ほぼ全部の分担が決まった他、既に3章は7割以上、4章、5章、6章も一部が仮訳出来ています。私の担当である『図の説明』も仮訳が終わっていて(全部で100個あった)、この分だと一週間後には全体の大雑把な仮訳が完成するのではないかと思います。翻訳メンバーの一人が7月10日に飯館村役場に行くので、その土産になるかも知れません。
問題は外務省です。ウイーンのIAEA出版部の人(返事は1日以内)は、
『翻訳自体には問題ない筈で、ボランティア翻訳の無料配布という方針から著作権料を取る事もない』
と言ってくれているのですが、翻訳申請の正式な窓口が日本外務省であることから、そちらを通さなければなりません。そして案の定、申請から一週間たつのに、申請を受け取ったと言う旨のメールすら届いておりません。一応メンバーにIAEA関係者(科学者レベル)がいるので、彼から更に連絡を取って貰う事になっていますが、とにかく『日本』の役所の遅さが最大のネックだというのは緊急事態になっても変わらないようです。
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付録:6月19日の臨時メール
山内@スウェーデンです。
放射性ダストの移送(一次汚染、二次汚染、三次汚染)を地球物理の立場からデータに基づいて調べているところですが、過去の知恵と言う意味でチェルノブイリの時の放射能汚染のベスト資料を色々捜した結果、正統的なIAEAの報告書(20周年記念)が一番良いみたいです。
"Environmental Consequences of the Chernobyl Accident and Their Remediation: Twenty Years of Experience"
表向きは有料ですが、グーグルで検索すると直リンクがトップに出て来ます。
www-pub.iaea.org/mtcd/publications/pdf/pub1239_web.pdf
(これは9月に正式に無料ネット公開になった)
その最後に
"Permission to use whole or parts of texts contained in IAEA publications in printed or electronic form must be obtained and is usually subject to royalty agreements. Proposals for non-commercial reproductions and translations are welcomed and will be considered on a case by case basis. Enquiries should be addressed by email to the Publishing Section, IAEA, at sales.publications@iaea.org"
と書かれてあり、福島事故対策として翻訳するのは歓迎される筈なのに、まだ翻訳プロジェクトが立ち上がっていません(少なくともグーグルで、題名+翻訳で検索すると出て来ない)。本来なら日本政府(特にのIAEAの委員)が率先して翻訳プロジェクトを立ち上げて、全ての学校や役所、避難者、被害農家に配布すべきだ書類です。とりあえず文科省にも投書はしましたが、政府のアクションを待っていたら手遅れになる事はSPEEDIの件で誰もが思い知らされていると思います。現に、警報システム(モニタリングポスト)の拡充計画を全く打ち出さないままに点検中の原発再開を要請している有様です。IAEAの天野事務局長もこの件に関して何も発言していません。
そこで、翻訳ボランティアをプロジェクトを立ち上げようという話が持ち上がっています。分量が多いので一人5〜10ページ程度を担当して、章ごとに専門家がチェックする体制を考えています。実際にプロジェクトが立ち上がるかどうか不明ですが、もしも参加出来そうな方がおられたらご連絡下さい。
3章:汚染状況 3.1 爆発から初期分布まで 3.2 都市での一次、二次汚染 3.3 農地での一次、二次汚染(農産物を含む) 3.4 森林での一次、二次汚染 3.5 水圏での一次、二次汚染(水産物を含む) 3.6 まとめ 3.7 課題
4章:対策(3章と同じ構成で、主に農林省の分野)