2010-3-6
山内正敏
12月、1月に続き、2月も寒く、気象庁によると、スウェーデン北部は16年ぶり、スウェーデン中南部は23年ぶりの寒い冬だったそうです。ちなみに、気象台というのは家のある高台でなく、空港のある盆地である事が多く、それは普通の冬では気象台の方が街より遥かに寒い事を意味しますが、今冬は気象台と街との温度差が殆ど無いので、街に住んでいる人の感覚では気象台の正式記録よりも寒く、そういう意味では、スウェーデン北部も23年ぶり(あるいはそれ以上)の寒い冬だったと言えるでしょう。少なくとも私がキルナで経験した20冬では一番気温の低い冬でした。もっとも、風が弱い冬だったので歩行訓練にはあまり関係ありません。
今回の最大のニュースは
スキー
です。先ほど挑戦してきました。もちろん膝バンド、足首固定器、腰ベルト(介護に支えて貰う)という完全装備ですが、ちゃんとスティックを使って、殆どバランスを崩す事無く、50分近く(たったの400mだけど)を滑りました。場所は近くの小学校の校庭で、スキーコースと違ってスキー溝はありません。真っ平らな所を適当に滑ったので非常に遅いペースですが、それでも同じ所を2度3度と回ると(校庭の中を5周した)、だんだんペースが上がって行くのが分かり、この分だと、スキー溝のある平地で、もっと幅の広い安定したスキーで滑れば倍ぐらいのスピードにはなると思います。そんな訳で、来週は陸上競技場(冬はスキースタジアム)まで行って、スタジアム内の平地(400m)を滑ろうかと考えています。
もっとも、滑ると云うよりは歩くと云った方が良く、下手にスキーが滑ってしまうと却ってバランスを崩してしまったりしています。これがちゃんと滑る状態になると、倍どころか10倍近い速度になる筈ですが、これは来年の目標でしょう。というのも、バランス感覚の訓練(これは数回で掴めると思う)だけでなく、滑る為に必要な筋肉の訓練が必要だからです。歩く時とは全然違う筋肉で『滑り』のコントロールをしているので、その筋肉(もちろん1個ではない)がきちんと付くまではマトモな滑りは無理だと思います。それでも、近い将来に可能になるというのが今日の感触で、その意味では『練習次第で滑れる』だろうという予想が付いただけでも大きな収穫でした。もちろん、それ以前に、今日は歩けた事だけで十分に満足です。このように、滑る事を考える一方で、歩くだけででも良いから、その訓練を続けて、膝バンドを外してスキーで歩けるようになるのが優先かな、とも感じてはいます。
さて、スキーで歩く事自体は実は6年前(発病2年半)でも挑戦しています(
リハビリ記録18と
動画リンク
参照)。しかし、この時はスキースティックでなく肘松葉杖で、その松葉杖に体重を乗せて、後ろの屈強な介護にバランスコントロールをして貰っていたので、スキーの移動にかかる負荷はそこまでなく、しかも大雪の直後の全然滑らない雪での一歩一歩の歩行に専念していて(わずか50mに30分かかった)、その意味では歩行訓練でなく直立訓練と云った趣がありました。少なくとも、今日のように体重をスキーにかけたまま、スティックでバランスを取りつつ移動する訓練ではなく、介護の役割にしても、今回のように手を添えるだけというのとは全然違います。そういう意味では、6年前のはスキーと云える代物ではなく、少なくとも楽しめるスキーでは無かったし、繰り返して練習する意義をあまり見いだせませんでした(他のタイプの訓練の方がリハビリに効果的と感じていた)。そもそもリハビリ訓練は楽しくないと長続きしません。それで、その後の数年はスキー訓練をする気にならず、そのうち補助を安心して任せられる男性介護が4年前にいなくなって(鉱山の好況のせい)、ちょっとスキーの機運が薄れていました。
ところが、昨年から介護スタッフにスポーツ系の若い子が加わるようになって事情が変わりました。舗装道17キロ(昨夏)を平然と一緒に歩いてくれるような介護ですから、スキーをしようと言って来るもの当然で、それで、何処まで『楽しい』スキーリハビリができるか興味が再び沸いて来た次第です。以前と違って、直立の延長と違って、滑るという目標もあります。しかも、華奢な女の子とは言え、この介護ならスキーでバランスを崩しても、怪我に繋がるような大きな転倒を防いでくれると期待できるので、ついに今日の再挑戦になりました。実際、練習の終盤で片方のスキーの裏に雪がくっついて変な引っ掛かりをするようになり(もう片方は良く滑る)、何度か大きくバランスを崩しかけましたが、いずれもしっかり支えてくれて転倒すらしませんでした。彼女なら文字通り背中を任せられます。
スキー以外では膝バンド無しの松葉杖での片杖訓練(もう一方の杖をずっと空中に上げたまま歩く訓練)を補助無しで始めました。現在8の字歩きをしています(さすがに後ろ向きや横向きは怖くてまだ出来ない)。同じく病院廊下の歩行(交互杖)は更に距離もスピードも上がっていて、7往復(2.3km)86分で歩き、この分だと2年前に膝バンド付きで出した記録(8往復94分)に春のうちに追いつくかもしれません。一方、年末に始めたばかりの、 階段を横向きに昇降する 訓練(補助付き完全装備)もかなりスムーズになって、その際に膝の直ぐ上の筋肉を使っている事を感じるようになりました。階段と云えば、 通勤バスでの昇降( 降りるのは座って) もありますが、こちらの方は進展がゆっくりで毎月の進歩は感じないものの、昨夏に比べると確かに腕だけでなくて脚力も少しは使うようになっているのを感じます。
最後に例によって無駄話です。
ラップランドではオリンピックと言えば冬のオリンピックを指し、その中でも(クロカン)スキーとダウンヒルとホッケーがメインになりますが、今回はスキーの距離種目でスウェーデンが22年ぶりに金を取ったので大騒ぎしています。4年前もクロカンスキー(スプリント)での久々の金という事で騒がれましたが、やはり伝統的スキーの華は距離競技で、その意味では22年ぶりになります。立役者のカッラ(女子10キロ金とスプリントリレー銀)とヘルナー(スキーアソン金とリレー金)はいずれも隣町エリバレの出身で(キルナ鉱山会社所属)、当然ながらキルナの連中も毎晩スキー競技に釘付けになっていた模様です。
テレビを持たない私もラジオを聞いておりましたが、その際に気付いたのはヨーロッパのトップ選手の動向は選手の名前を報ずるのに、日本選手の動向(30キロで5位に入っている)は選手名でなく『日本人』と呼んでおりました。おそらく、東洋人=ダークホースというイメージがあるのでしょうが、或いは、単純に、こちらの人から見れば日本人の顔の区別はつき難いから、分かりやすい日本人という言い方なのかも知れません。
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