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リハビリ記録その65
2008-3-30 (日本帰省記録)
山内正敏
4週間前にお伝えした日本帰省ですが、12日間(日本は10泊10日)の日程を終えて、先週、23日(復活祭)の夜に無事に戻って来ました。到着時の気温はー22度で(友人の小屋ではー37度とか)、日本の+20度の陽気に慣れた体では、さすがに震え上がりましたが、それでもこの季節、昼は暖かいので(−10度)、早速翌日から歩行訓練(2時間ほど)を再開しています。
今回の帰省も、前回と同じく、アレンジや移動などで、十指に余る方々のお世話になりました。先ずはお礼申し上げます。こういう方々がいなければ有意義な帰省は不可能でしょう。特に、日本行き青信号が出てから1両日以内に福岡、宮崎、東京の受け入れ態勢が完了したのには助かりました。
例によってハードなスケジュールだったので、木曜まで休暇を取り、金曜に仕事を再開したところ、仕事に戻れるだけの気力が回復すると、体の『警告』機能も正常に動き出すようで、金曜夜から体調を崩して、昨晩は高熱(39度)でうなされていました。まあ、予想された事態であり、むしろこういう高熱にならない方が問題なので、むしろ一安心です。高熱になって喜ぶってのも変な話ですが、まあ、こんなものでしょう。
以下、前回
2005年10月
と比較しながらまとめてみます。
(1)時差調整
前回(日本滞在が7泊)よりも長い日程で、しかも3都市(福岡3泊2日、宮崎4泊5日、東京3泊2日)回り、更に旅行後の日程(科研費申請2件や学会研究会4件)も厳しいので、旅行での負担を軽くすべく、始めて旅行前に時差調整しました。具体的には、2週間前から毎日15〜20分ずつ早寝早起きをして、出発前日前日には午前3時(日本時間午前11時)に自然に目が覚め、午後6時に楽に眠れるところまで持って行って、当日は2時40分自然起床で、その勢いで、日本で時差に苦しめられる事が無く(正確には到着翌々日の1回だけ)、体力的に余裕の持てる帰省でした。とにかく、恐ろしく多くの人に会い、用事をこなしたにも拘らず、なんとか破綻無くキルナの戻れたので、時差調整の効果が馬鹿になりません。次回もこれを守れるように努力したいものです。
(2)約50件100人
病気の原因が日本で人に会い過ぎたせいという事から、前回、『予定以外の人間に会わない』という方針で臨んだにも拘らず、予定外の電話や面会が入ったという教訓から、今回はホテルや日程の機密度を高くした(例えば同級生に関しては幹事のみにホテルのみを知らせた)にも拘らず、結果的には、前回以上にハードな日程でした。人に会う用事はなかなか減らせないものです。
具体的に会った実数をあげると
親戚10組20人、母の友人4組11人、友人知人恩師26件68人(+子供7人)、
=総計89人(+7人)。
で、これに介護マネージャー3人(介護4人)、更には銀行4ヶ所、市役所2ヶ所が加わり、直接話をした人だけでも100人を超えます(名古屋2人、福岡21人+役所、宮崎51人+役所等4ヶ所、東京19人+銀行)。前回が57人ですから、総数ばかりでなく、滞在1日当たりに会う人数も多くなっていて、やはりちょっと会い過ぎという気がしないでもありません。当然ながら記念写真を沢山撮られ、移動動物園のチンパンジーになった気分です。しかも、100人も会うと、ゆっくり誰かと話をするというのは極めて難しく、結局の所、話をしたい方にはキルナにおいで下さいと言うしかありません。
かように、会った数は多かったですが、ただ、今回は旅行日程を出来るだけ秘密にしたお陰で、ホテルにかかって来る電話が当日/翌日の用件のみで済んだので、その分疲れが軽減されているように思います。とにかく、一番体力を消耗するのが、ホテルで休んでいる時間にかかって来る『予定外』の電話ですから。一番困るのが『声だけ聞きたいから電話をした』というもので、それなら旅行中でなく、キルナでのんびりしている時にかけて欲しい訳で、前回はこういう失礼な電話が多少ありましたが、今回はこの手の電話は80歳になる恩人から1件かかって来ただけでした(まあ、これは仕方ないでしょう)。あと、もう一つ疲れを軽減したのが、同級生に三々五々でなく、まとめて会わせてくれた事で、たった3回で同級生23人、恩師4人に会えたのは非常に助かりました。
(3)車椅子でなく歩行器
前回との大きな違いに、車椅子をホテルの自室以外では全く使わなかった事があげられます。そのくらい、車椅子から卒業していました。だから、前回と同じように、車椅子で日本に行って、歩行器を借りたのは失敗でした。
私の車椅子は長い距離を漕ぐ事を想定して作られているので、折りたたみが出来ず、分解してもなお普通の車のトランクに入りません。空港からホテルへの移動ですら面倒な訳です。一方、歩行器は大抵が折りたたみ式で、トランクにきっちり入るサイズです。という事は、外出は『車に積み易い』歩行器を使うのが圧倒的に有利であって、それは、昨夏以来研究所に歩行器で行っている者には簡単な話です。しかも、私は握力がゼロで、その握力に合わせた特別なブレーキをキルナで使っている歩行器に装着している程ですから、レンタル歩行器の『普通』のブレーキだと自力でかける事が出来ません。となれば、私用に調整した歩行器を日本に持って行って、殆ど用の無い車椅子を日本で適当に借りるのがベストでしょう。
なお、2年半前も歩行器で歩く事は可能でしたが、当時は膝バンド無しには歩けず、しかも常に
介護に後ろを支えて
貰っていました。
そういう器具を装着するだけで時間をつぶす訳で、しかも歩く速度も非常に遅く(今の半分ぐらい)、結果的にホテルの回りの散歩程度にしか歩行器を使っていません。それに対し、今回は下り坂(或いは段差の多い都会)を除いて殆ど膝バンド無しで済ませ、膝バンドをつけた距離歩行では1〜2時間立ちっ放し、歩きっ放しというのがざらにありました。場所も前回より格段にバラエティーに富んだところを歩いて、特に
早春の日本
を楽しみました。
今回の教訓を元に、1ヶ月後のオーストリア出張では、車椅子でなく歩行器で行く事にします。早速、現地で借りる予定だった歩行器の予約をキャンセルして車椅子にした他、飛行機のチケットの予約を歩行器使用に書き換えています。旅行会社によるとこれは結構重要で、格安航空券の場合、車椅子では認められない区間も歩行器では認められる事がありうるからです。実際、グラーツ行きのチケットは2月中旬から予約を目論んでいるのですが、格安航空券は予約から1日以内に購入しなければないのに、車椅子で良いかどうかの返事が、その1日以内に帰って来ずに、毎日予約を繰り返すと云う事を、2週間以上も繰り返した挙げ句に、第一希望の出発日(ストックホルムードイツ)の車椅子が定員オーバーでどの便も予約出来なくなっているからです(帰りはok)。これが歩行器ならまだ可能性が高いとの事です。ちょっと狐につままれた気分でした。
(4)トイレやホテルのドア
歩行器で外出するようになると、車椅子の時とは違った面での問題が見えて来ます。車椅子だと多少ドアが重くても両手を使って開閉出来ますが、歩行器だと片手で体を支えながらドアを開ける訳で、スプリングで自動的に閉まるドアはどれもあける事が出来ません。ホテルの部屋と云うのは大抵そういう構造になっていて、車椅子でないと部屋から出られません(福岡と宮崎、東京は自動ドアだった)。特に問題になるのがトイレで、成田や名古屋やイオンは自動ドアだったものの、宮崎空港は私にはあけられないタイプの身障者トイレで、改善の余地ありと感じました。また、自動ドアにしても、閉口したのが自動電灯で、本人がトイレの中『閉』をボタンを押せば電気は消えない者の、介護を必要とする場合は(ズボンを降ろしたり)、介護が外で待つ訳で、その場合、介護が外から『閉』ボタンを押す事から、私が中で座っているのに電灯が消えてしまいます。最新の名古屋空港や宮崎のイオンでそういう構造だったものだから、ちょっとびっくりしました。
もっとも、トイレのドアの問題はヘルシンキの空港にも当てはまり、せっかく、跳ね上げ式の便利な手すりになっているのに、ドアの問題だけで事実上歩行器で行く事が出来なくなっています。今回は車椅子だったから問題ありませんが、次回の日本帰省までに、こういう『難しい』ドアをいかに一人でクリアーするか、今後のリハビリ計画で考えなければなりません。というのも、次回は介護を連れて来ない予定(詳しくは下記)だからです。
(5)階段
これは全くの偶然というか幸運と云う話ですが、東京の友人宅で夕食をした際(旅行中、唯一の手料理だった)、食堂が二階だった事(しかも膝バンドをしていなかった)から、登るのをためらったものの、せっかく玄関の4段程の段差を登って家の中まで入ってしまったし、その際に段差自体は膝バンド無しでも登れる事が分かったうえ、友人が楽天的に『いや登れますよ』と言ってくれたので、
『階段を登る』
を挑戦してみました。具体的にはサポート2人の肩(左右、友人と介護)に掴まり、更に足首固定器+靴(新品の滑り止めが完璧なランニングシューズ)を装着して、一歩一歩登って行き、結局2分程で途中カーブしている階段を登りきってしまいました。残念ながら写真はありません。というのも3人目は私の足先が階段に引っかからないように持ち上げるので忙しくて写真担当がいなかったからです。
夕食のあとは下りですが、これは子供の頃の階段と同じく、座り込んで降りて行きました。
写真
と
動画
(1.7 MB)とをリンクしておきます。
こういう素晴らしい体験は再現してこそ自信が付くというもので、翌日、介護の東京観光の際に、東京タワー近くの簡単な階段(15段ていど)を、再び2人の肩につかまって登りました。屋外の階段というのは家庭内階段と違って一段当たりの段差が小さいので3人目に足先を持ち上げて貰う必要はなく、2人だけでOKでしたが、ダンスのように1、2、3、1、2、3と快調に登った為、歩行器を持ち上げた3人目が写真を撮る暇もなく登ってしまいました。
こうなると、キルナに戻ってからも階段訓練を本格的に始めなければならないという気になります。そこで、早速、体操療養師の時間に階段訓練を始めました。具体的には、膝バンドを付けて補助1人で登ると云うもので、片腕を体操療養師の肩にかけ、片手は階段の手すりを握ってゆっくり登っていきました。いったい、片腕というのは両腕の1/3の力しかでない訳で、結局一番きつい訓練でしたが、無事一階から二階まで登り、下りは階段に座り込んでするすると降りていきました。
目標は、補助1人で(出来れば膝バンド無しで)50段登る事です。そうなると、例えばアパートのエレベーターが故障していても部屋にたどり着く事が出来ますから。また、座り込んで降りられると云うのは火災などから身を守る為に重要な話で、更にエレベーターが故障でもタクシーとかの予約をキャンセルする必要がない事を意味していますがら、安心感が随分違います。
(6)東京のJR
近郊電車に乗るという事は、前回、関西空港発着の南海電鉄で車椅子で挑戦していますが、その時は電車がガラガラだった事もあって、ホームから電車への橋渡し等、至れり尽くせりのサービスでした。そこで今回は歩行器でJRに挑戦する事を考えていました。しかし、宮崎でやろうとしていたJR挑戦は悪天候の為に車での移動となり、その後に泊まった東京でも、ちゃんと足を確保した所から沙汰闇になっていましたが、それでも最終日、介護向け東京観光のスポット・増上寺から介護の『買い物』付き合いの為に大井町に移動する際、土曜の午後の比較的電車の空いている時間帯を幸いに、これぞチャンスとばかりに浜松町から大井町まで京浜東北線を使いました。
浜松町駅の増上寺側改札(モノレールのと反対側)は
階段エレベーター
しかなく、駅員がエレベーターを起動させるのに10分程待ちましたが、これは些細な話で、問題を感じたのはその後です。
関西空港と違って、電車が満員だという理由もあるのでしょうか、南海電鉄の時のようにホームと電車の間に架ける渡し板を準備して貰う事がありません。歩行でそのまま乗るという訳です。この時、東京の人ごみに驚いた介護に精神的余裕がなかったせいか、後輪が電車とホームの間に落ち込んでしまい、たまたま車輪がその隙間よりも僅かに大きかったお陰で大事には至りませんでしたが、問題を感じたのは事実です。全てにコンパクトな私鉄の方が安全なのかも知れません。
より大きな問題は電車の中です。車掌に近い最後尾に乗ったものの、そこにシルバーシートはなく、しかも座席に座っている乗客が譲る事すらなかったのには、介護の方が驚いていました。もっとも、私としては、膝バンドを着用していた事を自信に、3駅ぐらいなら立ったままでも大丈夫な筈だと思って、譲ってくれという声をかけずに済ませたのですが(実際、何の問題もなく大井に着いたし、本当に必要だったらお願いしている)、それでも、車掌に近い車両(=身障者とかが乗り込む可能性が高い)に、シルバーシートぐらいはあるべきでしょうし、それ以前に一人ぐらいは『譲る』声を掛けるものではないか、と思った次第です。いや、東京は怖い。
(7)介護
今回は3都市で現地介護をお願いして、都市による違いとか、習熟度の違いとかを実感しました。宮崎は紹介所から来た人(時給800〜1000円)、福岡はNPOの雇用者(時給1500円)、東京は介護の資格を持たない人(時給1500円)で、今の私には介護の資格のない人でも困らない事が再確認された他、資格を持っている人と持たない人とでは、細かい所(靴の履かせ方とか歩行器の支え方)とかで違いがある事も実感しました。あと、中にはスウェーデンの福祉事情についても興味を持って下さった人もいて、こういう『プロ』の熱心さは私の回りの介護には無い、日本の美点だとも感じました。
一方、スウェーデンから介護を連れて行く無意味をつくづく感じた旅行でもあります。前回は旅行好きの33歳の男の子だったので(毎年海外旅行に行っていたぐらいの人)、ほっといても不安は無いし、買い物を買い過ぎるような事も無かったのですが、今回は旅行に余り縁のない人で(なんと前回9月のフランス出張の際にパスポートを取得したような人)、言葉ばかりか、外国での過ごし方にも慣れておらず、それゆえ、私が介護をサポートするような面もかなりありました。こういう介護は、連れて来ない方が私の疲労は少なくなると思います。それでいて、旅費は全額私の負担ですから、あまりにもバカバカしい。介護に気遣うのは私だけでなく、私に会いに来てくれる人も介護へのサービスをしてくれて、ときどき『おいおい、介護は私をサポートする為に日本に来たのであって、介護の慰安の為に日本に行ったんじゃ無いんだよ』と思ってしまいますが、まあ、これは日本の美点なので不問に付します。
それから、今回は介護の交代時刻を12時とか15時に設定した(時差の厳しい午前が現地介護で午後がキルナから連れて来た介護)のですが、その時間帯、私は大抵外出中で、介護の交代の為だけにホテルに戻るという無駄な事を何度かやっています。前回に比べて(歩行器での)行動範囲が飛躍的に広がっている為ですが、それを台無しにするような話です。この点が出張(一ヶ所でじっとしている)との違いで、従って、次回の日本行きからは介護は連れて行きません。その事は、日本から戻って来たあとに残り2人の介護にも伝えています。ただ、だからといって介護を連れて行ったこと自体は(先月にも書いたように)介護へのお礼という意味で良かったと思います。これで5年前の介護への負債を完済した気分です。
(8)買い物
それにしても、介護の買い物の量は凄まじいものでした。今回は前回と違って原油の高騰で手荷物の重量制限が厳しくなっています。国際線20kgに対して21kg〜22kgは大目に見て貰えるかも知れませんが、二人で 45kg 以上だと問題でしょう。ですが、何度『20kg』言い聞かせては買い過ぎてしまい、結局、彼女が5kg以上オーバーすると踏んで、私は『殆ど何も買わない』に徹して、18kg程度に抑えて空港に臨みました。結果は44kgだったので、私の判断が正しい事になります。この数字からすると彼女は土産だけで15kg近く買っている事になります。彼女の買ったのは、食料品は私の買うような乾物等と重なり、しかも。餅の様な重いものも平気で買っていて、これに土産の小物/衣類が加わりますから、これでは重くなる筈です。
もっとも、私の場合は頼めば親戚とかが送ってくれるますから、ここで彼女(おそらく二度と日本に来る機会は無いでしょう)の為に重量を明け渡したのは、よい落としどころと言えるのかも知れません。とは言え、私も何も買わない訳ではなく、いの一番にランニングシューズ(日本製の4Eサイズしか履けない。ちなみに中国製は4Eとあっても実際には狭いので役に立たない)を買い、あと、乾物や調味料や衣類(汗吸いが全然違う)の定番の他に、今回はツツジとキキョウを買いました。キキョウは土の着いていない根っこ(だから植物防疫法に引っかからない)で、ツツジは買ったものを出発の日に枝切りして、その枝から挿し木するべく現在挑戦中です。実は病気になる1年前にも同様にしてサツキを持って来たのですが、私が入院している間に枯れてしまい、その雪辱となります。一本でも生き残って貰いたいものです。
(9)航空券、接続
最後に、前回と今回の航空券の違いについて。前回は、航空会社は『接続保証』というのをしていて、例えばキルナーストックホルム便が欠航したり遅れた場合、ストックホルムー日本間の分を他の便(翌日とか)に振り替えてくれていましたが、今年は事情が違って、キルナに来ている2社とも接続保証をしなくなりました。これは名古屋空港での福岡便への乗り換えでも同様で、ようするに格安航空券は『ギャンブル』要素が強くなった訳です。
出発までの一番の不安がこれで、これは日本からヨーロッパに来る格安航空券にも当てはまります。ただ、もしも機材がキルナにあれば(前夜到着)、その段階で飛ばない確率が極めて低い事と、最悪、タクシーで300キロ南の街に行けばぎりぎり間に合う接続があるという事から、ストックホルム泊という馬鹿な事をせずに予約しました。今回こそ問題ありませんでしたが、一応冷や汗ものですので、キルナ旅行を考えている方はご注意下さい。
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