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リハビリ記録その60
2007-11-4
山内正敏
ここ3週間程、雨が乾かないうちに凍結したり雪が半分融けてそのまま凍ったりで、歩くのに最悪の(と云うか酷いときは歩けない)季節を迎えておりましたが、昨日、ようやく冬のさらさら雪が積もって、やっとマトモに歩ける季節がやってきました。そんな訳で、今日は1ヶ月半ぶりに長い距離(7キロあまり)を歩いて来ました。但し雪で危険なので低い歩行器+膝バンド付きという完全装備ですが。
発病から6年が経ったので、今週はビデオを撮ったり、まとめ記録を更新したりしていました。上記ホームページからリンクしています。ビデオは何とか
mpeg
にしましたが(quick time形式で済みません)、全体像を把握するのに便利な写真のほうは、抜き出すのが大作業なので休暇にします。
このビデオページを更新する際に昨年と比較しましたが、5年目から6年目にかけて、全ての項目(歩行、床運動、プール、指)で進展が見られていました。一番大きな進展は太腿の筋肉(と脚力)が急速について来た事でしょう。ビデオに撮らなかった自転車や日常生活にも進展が当然あって、5年を過ぎても回復が全く止まらない事を示しています。
お勧めのビデオを抜き出すと
1. 膝バンド無しで歩行器を使う
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
昨年は肘歩行器でしたが、今年は普通の歩行器で同じ事が可能になりました。ちなみにビデオでは壁で歩行器を停めて、その歩行器に座り、さらにサイドブレーキをして固定した上で立ち上がる様子を示していますが、これは壁か車止めがないと歩行器を駐車出来ません。
2. 腰を支えて貰っての歩行
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
昨年(非常に遅く不安定だった)に比べると腰が伸びているのが分かります。
3. 床運動でブリッジになって足を上げる
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
今年ようやくブリッジらしくなってきました。
4. 腰痛対策に始めた腹這いでの腰運動
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
効果は確かにあって、なかなか(腰を伸ばしたままでは)持ち上がらなかった右足がすっと上がるようになりました。
5. 膝の上に立つ練習
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
手を遠くについても上体を起こせるようになりました。きちんと正座出来るようになったのもこの1年の事です。
6. ブールでの手放しバランス
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
段が1つ上がりました。プールでないとバランス出来ないのが不思議ですが。
7. プールで膝に両手をあててバランスを取る
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
昨年より安定感が増して、プールばかりか外でも自在にバランスが取れるようになるのも遠くありません。
8. 潜水
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
昨年は腰が全く沈みませんでした。
9. 右親指の付け根
【昨年=発病5年、
今年=発病6年】:
ビデオでは分かり難いですが、動く部分が3倍程太くなっています。
ちなみに生活での一番大きな進展は食事と衛生面で、冷蔵庫からの出し入れとかオーブンや電子レンジからの出し入れは殆ど問題がなくなり、アイスクリームに至っては、自力でコーンに盛りつける事すら出来ます。両手でハサミを使うのも少し進展して、口ひげを自力で切るほか、かなり色々な紙を切る事が出来るようになっています。ただし、揃えるというところ迄は行きませんが。あと、脱脂綿に消毒液をつけて患部(特に尿管用の穴)を洗う事が自力で出来るようになったのは助かります。
来年の目標は転んだ時に自力で歩行器に復帰する事で、これが出来ると外出(1時間以上の歩行では介護は同伴しないので、長い距離は安全のため(介護が把握出来る)同じコースだけを歩いている)の自由度が高まります。
発病6年と云う事は退院(介護サービスの受けはじめ)から5年と云う事です。その間に正規介護を15人(3人は現在も)、臨時介護を、3度以上お世話になった人だけでも30人近くも経験してしまいました。内訳は男が正規介護5人、臨時(3回以上)9人で、共に3分の1。介護になれる最低年齢の18歳は正規1人臨時4人以上(年齢は正確には分からない)で1割程。外国人は、北欧以外に限っても、正規では移民3人、移民子女2人、臨時(3回以上)では移民が4人です。これらの人々は研究所とは全く別世界の、ごく普通のキルナ市民で、病院や介護を通じて、研究所が如何に特異な世界であるかを実感した訳ですが、それ以外に、これだけ知り合いのベクトルが広がると普通に無い情報とかも入って来ます。
例えば介護の一人は連れ合いがスウェーデン国軍の元キルナ支部のお偉いさんらしく、国連の要請でアフガニスタンに何度か行っています。スウェーデンはアフガンには派兵していませんが、国連の職員としてならアフガンに行ってもおかしくはありません(実際にどういう立場なのか私には分からないけど)。お陰で、アフガニスタンの情勢の変化とかも知る事が出来る訳で、話によれば行く度に危険になって、2回目以降は外出が出来なかったそうです。こういう話は、長期滞在の特派員を出さない日本の報道機関では得られないのではないでしょうか?
そう言えば、日本では、『現場を知らない』国会議員やマスコミがアフガニスタン支援の方法を議論しているようですが、議論をしている人が、こういう長期モニター情報をどの程度知っているか気になりました。というのも、もっと身近な話、この手の『現場を知らない』人間による身障者施設(=役立たず)に何度も煮え湯を飲まされているからです。実はつい2週間前にもキルナ市の道路課に文句を云ったばかりでした。文句を云われるような工事は始めからするなと言いたい所ですが、都市計画関係の役所に身障者がスタッフとして加わらない限り無理な気がします。逆に言えば、行政・立案の全ての部門(私の場合は特に都市計画の役所)には、是非とも『定常的に現場にいる人間』(都市計画の場合は身障者)を採用して欲しいし、もっと言えば、こういう形で現場人間(身障者)に計画の内容を吟味してもらう制度が出来て欲しいものです。
他に変わった話と云えば、2週間前に研究所の50周年を祝った時、ウーミオ(ここから600km南)の部署のプログラマーから、彼が2005年12月のインド洋大津波の時に、まさにタイの海岸で津波を経験したと聞いてびっくりしました。津波は3波あって、3つ目が大津波だったそうで、そのお陰で近くの高台に逃げる事ができたそうです。ほんの100キロほど北のプーケットでは第1波が大きく、それで多くの犠牲者を出した事はニュースにもある通りで、たまたま、やや安いリゾートを選んだお陰で彼は大きな危険を感じる事なく避難出来たとか。例の大津波がこんなに身近な話とは思いもよりませんでした。
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