スウェーデン最北の町にして世界第2位の面積を誇るキルナ市(人口2万人余り、人口密度1人/平方キロ)は、今から丁度百年前(西暦1900年)に鉄鉱山で産声を上げ、一時は世界最大の産出量を誇った鉱山町である。現在でもヨーロッパ最大の産出量と世界最良の品質を誇り、その生産体制は世界に類を見ない超近代的なものだが、キルナの先進性はそれだけではない。近年は地球超高層研究(オーロラ等)や成層圏研究(オゾン破壊等)の世界的メッカとして、或いは宇宙開発関係のサービス(無重力実験や人工衛星の管理)の中心地として第二の発展期を迎えている。キルナと云えば日本では網走か石垣島に当たる僻地だが、産業・研究の内実は21世紀を担う充実したものだ。
 最先端研究・産業の一例に超小型人工衛星(Micro-satellite)の開発がある。スウェーデンは小国だから、NASA(米国航空宇宙局)やIKI(ロシア宇宙局)、ESA(欧州宇宙機構)のような大規模な宇宙開発は望めないが、その分、全精力を衛星や観測装置の小型化に費やしてきた。その努力が実って、今や、「安い・小さい・早い」超小型人工衛星と云えばスウェーデンの代名詞にすらなっているほど世界を大きくリードしている。その開発の拠点がキルナ市の研究所(スウェーデン国立スペース物理研究所:略称IRF)である。山椒は小粒でもぴりりと辛い(注1)。
 IRFが中心になってスウェーデン初の超小型科学衛星(アストリッド1号)を作ったのが1995年で、約40cm立方の衛星に観測装置を4つ載せた。それには最新鋭の観測装置も含まれる。但し、どちらかといえば試験衛星としての性格が強かったので、科学的な新発見はない。それでも1億円以下で科学衛星が上げられる事を証明して、ともかく大成功ではある。
 アストリッド1号の成功を受けて、2つの流れが生まれた。一つは更なる小型化で、その名もマイクロよりも小さな「ナノ」サテライトという。サイズは約20cm立方で重さわずか 6kg という極超小型衛星ながら、3つの観測装置(1つは完成品、一つは最新モデルの試作品、一つは市販品の性能テスト)を載せる予定で、その小ささと、身軽さ、千里眼にちなんで「ムーニン」と命名されている。北欧神話の主神オーディーンの肩に止まる小さな神の事だ。このムーニン衛星はキルナの研究所のみで開発しており、併設している宇宙工科大学の卒業プロジェクトに組み込みながら、なおかつ世界トップレベルの科学衛星を目差す(注2)。
 もう一つの流れは超小型科学衛星の高性能化である。アメリカの最新衛星に対抗できる性能をマイクロサテライトに与えようと言うのだ。その成果がアストリッド2号で、宇宙開発公社がストックホルムの王立工科大学やIRFと協力して作り、昨年12 月10日にロシアから無事打ち上げられた。紫外線の簡易望遠鏡でオーロラをモニターしながら、その上空の電場、磁場、波動、プラズマを最新鋭の観測装置で測る。世界で一、二を争う高性能の癖に安価というのが売り物で、アメリカや日本なら最低でも 50億円はかかる代物を、総費用4億円足らずですませた。衛星は順調に初期テストを終えて、現在はデータ解析が始まっている。
 アストリッド2号の実績を踏まえて次のターゲットも既に模索されている。科学的価値と技術的可能性を勘案した結果、当面の目標として脚光を浴びているのが「オーロラ・カルテット」のプロジェクトである。これは同時に4つの衛星を隣接させてコントロールしようという、世界にも先例のないものだ(注3)。ただし、4つ同時となると、いくら「超小型」でも予算上の制限がある。そこでフランスに協力を呼びかけているところだ。
 かくも精力的な宇宙研究の結果、当然科学成果も世界をリードしている。たとえばIRFでは惑星科学も盛んで、現に火星大気の研究では、この「田舎」研究所が世界で最も進んでいる程だ。惑星科学が盛んになった理由はもう一つある。伝統的中立政策のお陰で、ロシアの惑星探査機のプロジェクトにも加わることが出来たという事情だ。かような実績が買われて、日本の火星探査機「のぞみ」にもキルナ製の観測装置(質量分析器)が載ることになった(注4)。そして「のぞみ」の打ち上げの終わった昨秋には、ESAの火星プロジェクト「Mars Express」(2003年打ち上げ)にも観測装置を載せる事が決まった(注5)。もちろん超軽量かつ高性能だからこそ数ある中からキルナ製が選択されたのである。小型衛星の開発の他に、日・欧・露の火星探査プロジェクトに加わって、研究者たちは席を暖める暇もない。

1999年2月 「Swedish micro-satellite "Astrid-2"」  山内正敏

 注1)IRF の観測装置の載っている人工衛星リスト
 注2)ナノ衛星「ムーニン」は、国からの予算ゼロで作成、打ち上げ(2000年11月)、運用され、その成果は科学成果、技術成果ともに学会でも評価されている。観測装置の内訳は、世界で一番小さいイオン/電子計測器(600g)、高エネルギー(MeV)中性粒子測定器(900g)、小型CCDカメラ(100g)で、総費用は人件費込で5千万円以下で、東京のアパートよりも安い値段で高性能人工衛星が打ち上がった事になる
 注3)1年半後の2000年夏に打ち上がった欧州宇宙機構(ESA)のクラスター(Cluster)衛星が世界初の隣接4衛星プロジェクトで、この成功で「オーロラ・カルテット」の意義が半減したので、現在は別のタイプの低予算高性能小型衛星を模索している。
 注4)「のぞみ」の4年遅着ですが(注2003年:結果的には駄目でしたが、以下は1999年段階の情報です)、これは当方にとっては予算管理の面で頭が痛いものの、サイエンスに関しては「塞翁が馬」という面もあって、もしも観測装置がちゃんと6年間働けば、当初の予定より大きな成果が上がることが予想されます。というのも欧州宇宙機構の火星ロケット「Mars Express」とのランデブー飛行になり(アメリカのミッションは着陸が中心で大気の研究は近い将来では「のぞみ」と「Mars Exp ress」だけ)、しかもキルナの研究所に至っては同型の観測装置(イオン質量分析器)を双方に載せる事になっているからです。まあ、一般的に言って、4年延期なんてのは最先端では当り前のことですから、失敗でない限り海外の研究者は困りません。歓迎する声もあるくらいです。もちろん4年延期の影響をもろに受ける観測班もあり、一番大変なのは日本の電波観測チームだそうです(注2003年:そして結果は……全く残念な!)。
 注5)火星探査機「Mars Express」は、着陸船こそ失われたものの、母船のほうは大成功で、次々にデータを送り続けています。