小猟犬
『ナノいぬ製作所では、蚤・虱・ダニ駆除の切り札として、超小型・犬型ロボット「小猟犬(c)」を開発しました。これは、当社の
ナノ・テクノロジー
とロボット技術の双方の粋を集めた1センチサイズのロボットで、かの聊斎志異(
りょうさいしい)
第4巻24話
で報告された超小型猟犬を再現したものです。これさえあれば、バルサンは要らない! 化学ホルモンアレルギーにお困りの方は是非どうぞ!』
かような宣伝文句と共に市場に現れた害虫駆除の犬型ロボットであるが、その機能は害虫を食い殺すだけではなかった。或るペット機能も備えていたのである。それについて、開発したチームの室長はこう述べている。
「我々は伝統ある日本の職人です。最低限の機能に満足する筈がありません。だから、実際に犬を思わせる製品を目指しました。そういう犬の仕種のうちで、一番難しい機能に挑戦した事は言うまでもありません。それは片足を上げる機能です。ああ、もちろん老廃物の排出の為ですよ。せっかくですから詳しく申し上げましょう。害虫を殺しただけでは、その死骸が病原菌とかの巣窟になりますから、それを処理しなければなりません。となると、害虫の死骸をロボット体内に取り込んで、それを分解する事になります。これは我々のナノ技術をもってすればさほど難しくありません。問題は、その時の老廃物をどうやって排出するかです。もちろん完全な無機物になるまで分解させますから、糞は出ません。しかしアンモニアというか尿素というか、そういう無機物は残ります。それの排出です。で、せっかくだから、犬のスタイルに似せようと思った訳です。いや、我ながら上手く出来たと思いますよ。とにかく、要所要所の全てに放尿してくれる訳ですらね。ペットはこうでなければなりません。この機能こそ、わが開発チームの自慢です!」
このペット機能は、しかしながら蛇足ではないかという意見も会社内部にはあり、その評価について結論は出ていない。但し、評価はともかく、少なくとも、この機能ゆえに後発の企業に付け入る隙を与えた事だけは確かである。その機微は、後発組の先陣を切った『ねこナノ』社の広告に如実に現れている。
『ねこナノ技術工業では、害虫駆除の切り札として、猫型超小型ロボット「こみ毛(c)」を開発しました。これは、当社のロボット・テクノロジーとナノ技術の両方を結集させた1センチサイズのロボットで、鼠を取る猫よろしく、蚤・虱・ダニ等を捕まえる他、寝たふりをして小鳥ならぬ蚊をも退治します。これさえあれば、蚊取り線香もバルサンも要らない! 犬の小便に悩まされている方は是非どうぞ!』
かくして、仁義なき闘いが始まった。
放尿機能に対するネガティブキャンペーンによって不利な立場となった『ナノいぬ』社は、その職人気質の粋を結集して、猫型超小型ロボットを見たら、害虫よりも何よりも、それから先に駆逐する機能を「小猟犬」に取り付けた。この開発にあたっては、先述の開発室長が「我々職人気質の誇りにかけて、無差別放尿機能は守らなければならない!」と大号令をかけたそうである。一方、これとは独立に『たかナノ』電機工業が、蚊や蠅を重点的に駆除する飛行型ナノ・ロボット「ニコニコ毛(c)」を発表し、「こみ毛」のシェアーを奪いにかかった。ニコ毛とは云うまでもなく孫悟空の分身専用毛の事で、西遊記第72回で、孫悟空がにこ毛を7種の鷹に変えて虫を退治した故事にちなんだ命名である。更に「ニコニコ毛」は鷹狩りの要領で床の上の害虫をも駆除するので、『ナノいぬ』社にとっても脅威となった。
状況を更に複雑にしたのは、『たかナノ』に1週間遅れて市場に参入した『さるナノ』商事の捜索型ナノ・ロボット「にこざる(c)」である。これは猿の蚤取りの要領で、畳や布団の中に潜った害虫駆除を得意とする製品だが、その商品名に関して悶着があり、それが新たな闘いを生んだのである。と云うのも、実は『さるナノ』社としては、商品名を孫悟空の分身小猿にちなんだ「ニコニコ毛」にしたかったのに、『たかナノ』社に商標登録の先を越されてしまって、やむなく「にこざる」にしたという経緯があるからだ。それゆえ、もともと犬猿のライバルである「小猟犬 」のみならず、名前を奪われた「ニコニコ毛」に対しても対抗意識は強く、鷹型ロボットの巣によじ登って、その留守を荒らすいう機能が取り付けられている、
攻撃的機能の拡充は防御機能の拡充を促す。その防御機能の方向性を決めたのは『ねこナノ』社である。まず、犬や鷹らしきものを見かけたら、獲物たる害虫を無視して直ぐに逃げる機能を「こみ毛」に取り付けた。警戒の相手をロボットに限らなかったのは、より本物の猫らしくしよう、という職人気質のなせる技だったという。更に、それだけでは不十分と考え、『ねこナノ』社で「こみ毛」にペット機能を与えた。具体的には、人間に甘えたり、コタツで丸くなったりする機能を追加したのである。『ねこナノ』社の動きにペット機能の創始者である『ナノいぬ』社が黙っている筈がなかった。「小猟犬 」のペット機能を大幅に拡大して、お座りをしたり散歩したり長さ1ミリしかない尻尾を振ったりする機能を取り付けた。これらの機能はナノ技術をもってすれば放尿よりも遥かに簡単だが、それ故に、かえって職人気質をそそらせずに、それまで機能として取り付けられていなかったものである。
ペット機能の拡大競争はエスカレートし、『たかナノ』社は「ニコニコ毛」に鳥目の機能を付け、『さるナノ』社は「にこざる」に仕事をせずに遊び呆ける機能を付け、それらを受けて、『ナノいぬ』社も「小猟犬 」に惰眠をむさってゴロゴロする機能を付け、『ねこナノ』社に至っては1日14時間眠らせる機能を取り付けた。いずれのナノ・ロボットも、それまで1日24時間害虫を追っていたのであり、各社ともそれを止めると言う大英断に出たのである。この競争の末、いつしか害虫駆除の機能は殆ど使われる事がなくなり、現実の犬猫猿と変わらなくなった。但し1センチサイズではペットの代わりにはならない。
闘いの結果についてはここで改めて述べるまでも無いだろう。肝心の消費者に見捨てられて、各社ともに倒産の憂き目に遭ったのは周知の通りである。倒産の際に、かの開発室長が、岩波文庫の聊斎志異の前に跪いて、何度も「蒲松齢先生に申し訳ない」と涙を流した姿は全てのテレビで放映されたから読者の記憶に新しいと思う。
ちなみに、このナノ戦争に唯一生き残った会社……それが今、世界を席巻している『ブタなの』産業である。生き残ったの理由については意見が分かれている。即ち、死骸処理と埃処理に専念して敵を作らなかった為であるという説や、ペット機能を考えなかったお陰だという説、1センチサイズとは思えない重さで競争の嵐に耐えたという説、どのような環境にも耐えられる設計で生き残ったと云う説、そして、カナとかなを入れ替えた会社名の親しみ易さのお陰だという説である。いずれも尤もな意見であり、挫折した『ナノいぬ社』以下の会社は会社更正の指針とするべきであろう。
20**年*月*日 「ざっしナノ」編集部
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*1) ナノ技術は現在世界で最も開発競争の激しい技術の一つで、ナノという言葉(マイクロの更に1000分の1という意味)が示す通り、顕微鏡で製作・運用する世界です。その代表的なものがMEMSで、既に現段階で髪の毛程度の太さの棒を弁がわりに使う事が可能となっています。詳しくはナノ技術とMEMSをキーワードに検索して下さい。
*2) 聊斎志異のこの話については、未だに青空文庫ありませんが、若山秀夫という人の開設している古典(日本と中国)の画像サイトの中に概訳がありますので、御存じでない方は、その中の
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を御覧下さい。
written 2005-5-18 (revised 5-21)
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