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リハビリ記録その151

2015-5-31
山内正敏

 例年より積雪の多い5月で、タンポポの開花が若干遅れましたが、長距離歩行はきちんとこなしていて、正月の足首故障以来の問題は概ね解消しています。

 5月の最大のイベントは5度目になるハーフマラソン(先週末)です。とはいえ、今年は、正月の足首故障と4月の出張で4月20日過ぎまで全然長距離歩行訓練が出来ず、今まででは一番準備の悪い年でした。確かに年々脚力が僅かなながらも回復しているとはいえ、このままでは歩行器の問題で3時間47分に終わった昨年の記録の更新はもとより、4時間すら切れないかも知れないという不安すら募った程です。
 幸い、最後の4週間は、8キロ以上の歩行を週3回歩くことができて(それが可能な天候だった)、更にレース1週間前にはユッカスヤービ(アイスホテルのある所)からアパートまで17キロ(200m登り)を寒風にもかかわらず3時間16分で歩き(昨夏逆向きに歩いた時より4分遅いだけ)、なんとか3時間50分以内の完歩の見込みをで得る体調にこぎ着けました。もっとも最後の最後まで問題も多く、レース3日前には熱を出し、更にレース10日前に右の足首固定器が割れて(3ヶ月前に割れた左の足首固定器の片割れ)、左の足首固定器も調整がおかしくて運動靴だと足首に傷をつける不良品で、左右共に新品を取り寄せる必要があったのですが(間に合わなければ非常に古いヒビの入ったやつを使わざるを得なかった)、レース2日前にぎりぎり届いて、同時に熱も収まり、やっと万全の体制になったほどの綱渡りでした。ともかくも、あとは、ここ3年の回復が本物なら、これで自己記録は目指せる筈です。逆に言えば、レースのお陰で、一旦停滞していたリハビリが再始動し、かつ補助具の新調も行なえたのですから、このようなイベントは確かにリハビリに大きく寄与しているとも言えるでしょう。
 ちなみにルーレオまでの移動は、行きが汽車で、帰りはバスでした。キルナとルーリオの間をバスで移動したのは初めてです。帰りがバスになったのは、土曜日午後のキルナ行き汽車が廃止されて(だれも土曜午後に移動しない)、更にほぼ同時刻に出るキルナ行き長距離バスが、なんとスタート・ゴール地点のルーリオ工科大学の最寄りバス停(着替えの体育館から800m)に停まることが判明したからです。乗ってみて、非常に便利なこと(アパートから400mのバス停に停まってくれる)が分かり、気楽に使える移動手段が一つ増えました。ちなみにホテルも今回新しく、完全無人型のユースホステル(全額前払い)を使いましたが、こちらは入口のエレベーターが故障していたり、エレベターの無い2階に寝室が設定されていたり(幸い一階の部屋があいていたので、そちらに電話で変更できた)問題もありましたが、泊まれることには変わりなく、良い挑戦でした(しかし余程のことがない限り二度と使いたくない)。これらはレースの恩恵でしょう。

 肝心のレースですが、実は17km手前で棄権しました。もっとも、悔しさは全くありません。
 正確に言えば、よくぞ17kmも歩いたものだと我ながら感心するほどです。それほどに酷い悪天候でした。
 天気予報では、閉塞前線の通過に伴って朝に雨が降って、それがスタート時点で少し残る(時間雨量僅か0.2mmのパラパラレベル)ものの、1時間以内に止んで、そのままゴール時刻まで晴れ間の見える天気(その後再び雨)という予報だったので、スタート時点で「予報より絶対に強い雨だよなあ」と思いつつ歩き始めたのですが、20分もしないうちに時間雨量4mmの本降りとなり、道路は水たまりだらけで、しかも気温5度の寒雨で、まるで秋山(キルナ基準)の山歩きで雨に襲われたような感じとなってしまいました。それを帽子だけで歩くのだから、とても楽しいとはいえないものです。ただただ「どうせ濡れてしまったのだから、それならスタート地点に戻る10kmまで歩いた方がマシだし、天気予報では確かに上がると言っていたから」という感覚で歩き続けた次第です。
 しかし雨脚はほとんど弱まらず30分過ぎたあたりからは風も出て来て、更に1時間を過ぎたあたりからは雹が混ざるようになってきました。雹が混ざることで時間雨量が2mmにまで落ちましたが、その分風はますます強くなり、介護(ちゃんとレインコート)に大丈夫かどうかを何度も確認したほどです。とはいえ、9km地点のタイムは(オーバーペースの昨年よりは5分遅いものの)、2年前、3年前と比べて実質で2分ほどしか違いません。つまり、天候がこれ以上悪化しなければ、21km完歩することも十分に可能なタイムで、予報さえ正しければ、これから雨は上がっていく筈です。なので、10km目で風が風速10m/sを超え、気温も2〜3度に下がって、大きくペースダウンしたにもかかわらず、取りあえず続行しました。実際、一旦は落ちたペースも直ぐに回復して、10-15kmの5キロは過去3年と1分しか違わないベースで歩いています(15km地点は2時間41分)。
 しかし天候は更に悪化し、なんど2時間を雪まじりの雨となって2時間半の時点では猛風の吹雪となってしまいました。歩き始めからの冷雨の積算雨量が7mmという状態で、雪が襲って来るのですから急速に腕が冷えます(体が冷えていないのは朝食に食べた赤飯のお陰です)。問題は手首で、歩行器でっ体重を支えるべく、2時間半以上しっかりと固定しています。なので握り替える度に、きちんと掴むまでに時間がかかるようになって(手が凍えているから)、とうとう、16kmを過ぎた当たりで完全に駄目だと判断し、コースの中で唯一雨よけになるガード下(ゴール近くの2ヶ所を除くと他に3ヶ所しかない)の16.8km地点(3時間余り)で棄権しました。
 これを日本に普通の人に例えると、雪まじりの本降り雨の中を3時間、半袖で自転車を漕いでいるようなものです。歩行器では腕は常に下向き(体を支えるから)になるので、どんな服を着ようが、どんな手袋をしようが雨は防げません。もちろんカッパ着用ならアリかもしれませんが、そこまでしてスタートすることは有り得ず、要するに、こんな天気だと始めから分かっていたら始めから参加を見合わせていたでしょう。幸いにして、直ぐに回収車が着て、バスの前に着替えが出来たお陰でレース後に体調を崩すこともなく済みましたが、来年からは天気予報で僅かでも今回のような危険があったら、始めからルーリオに行かずに済ませようと思います。
 後からニュースを見ると、1980年に大会が始まって以来、最悪の天候だったようで、試しに気象データを調べてみると、一日雨量が20mm(実は雨はゴール2時間後に止んで、その後は気温も上がった)で、これはこの街の5月の1ヶ月雨量並みで、年に5回程度しかない大雨(多くは夏)のようです。翌日介護と話をしたのですが、大雨+気温2〜4度+強風+雪のどれか一つでもなかったらゴール出来ていただろうという結論に達しました。
 ともあれ、リハビリと言う意味では、これほどの悪条件で2時間半以上もハイテンポで歩き続けたというのは、相当に自信になります。二度とやりたくはありませんが。

 最後に例によって無駄話です。
 病院でトイレに行った際にトイレの紙が普通に取り出せない容器に入っていて、事実上、身障者トイレとして用を成していないことに吃驚しました。一番ありうるのは、トイレットペーパーを持ち出す者が(EUの拡大で)増えて来たということでしょうか。実は、EUの拡大で、ルーマニア在住のロマ人(昔はジプシーと言っていた、ルーマニアの被差別民族)が欧州に広がって、差別各地で物乞いなどするようになって、ついにキルナでも物乞いを始めるようになってしまいました。EU外の中東・アフリカからの移民はきちんと審査・教育・労働斡旋ができても、EU内の一ヶ国の差別政策の被害者が難民化して物乞いなどのトラブルを起こすのは止めようがありません。イギリスのEU離脱の国民感情もそういう面が無いとは言い切れません。その意味で、無料で使える公衆トイレの備品も十分に狙われる余地があります。
 もちろん犯人が分からないので断定は出来ませんが、何度もトレペを盗まれる病院側にあっては鍵をかけるしか無く、結局、使えないトイレとなってしまっています。
 自衛は簡単で、外出時にトレペを持ち歩くことです。これは、それこそ45年前に小学校で習ったことであり、今後の海外旅行ではそういう準備が不可欠になってくるかも知れません。

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