2010-6-5
山内正敏
時々小雪がパラついたりするものの、例年より早く原野の雪解けが完了して、ここ数日は木々の新緑も目立つようになってきました。歩行シーズンも本番です。
ここ1ヶ月も週2回のペースで長距離歩行(8km以上)をして、一番多い研究所からアパートまでの片道では安定して昨年のベストよりも速く歩けるようになりました。現在、少し遠回り気味(景色も歩道もそちらの方が良い)の 8.5km でのベストが1時間36分(時速 5.3km/120m登り)で、比率にして3%の所要時間短縮です。3%という数字は少ないように見えますが、このくらいの速度になると歩幅(序盤が95cmで、終盤が90cm)やピッチ(序盤が105歩/分で終盤が95歩/分)を少し上げるのに相当の腹筋力や脚力が必要で、その意味では筋力の回復は速度が示すもの以上です。実際、そういう変化はプールの手放しでの段差訓練で如実に現れています。
6年前に水深135cmから水深120cmへの移動が出来たあと、水深120cmから水深105cmへの移動がもう少しの段階でずっと出来なかったのが、ここ1ヶ月ほど、急にスムーズに昇れるようになりました。具体的には、3〜4年前に左足だけ辛うじて昇れるようになっていましたが、右足は何度挑戦しても昇れず、膝が曲がったまま体勢が崩れないうちに左足も上の段に移動させて、両足そろった段階でようやく膝を伸ばす、というのが何年も続いていたのに終止符が打たれた訳です。6年越しの挑戦が成功したという事に加え、純粋に筋力の回復の賜物だから、嬉しさも少し違います。例えば、手を使って段差訓練なら、今ではプールどころかバスにすら乗れるようになっていますが、これは脚力の不足を腕力で補っているので、どこまでが腕力のお陰で何処からが脚力の回復のお陰かわかりません。脚力部分を確実に示すのが手放し昇降です。他にも平行棒での手放し訓練などで脚力の回復が感じており、回復は本物で、それを長距離歩行に直すと3%になるのです。
その長距離歩行ですが、先月の最長は先週末の14kmでした。これは、裏山のその裏の池(鉱山の堀跡)まで片道7kmを往復した時(折り返しで10分余りの休憩)のもので、距離だけでなく坂道も厳しく、行き帰り合わせて150m以上登り下りしたと思います。目的地にあたる所は、昨今の資源(鉄鉱石)ブームで、近い将来、採掘が再開されるかも知れない場所で、もしも採掘という事になったら立ち入り禁止になります。そう言う意味では今年が見納めかもしれません。ちなみにこのコースは4年前に膝バンドをつけて一度だけ歩いた事があります。今回はこの時よりは1割ほど速く、膝バンドの有無の差が大体2年(歩行器でも松葉杖も、膝バンド無しになって2年前後で膝バンドを付けた時と同じタイムになっている)であることを差し引くと、実質2年で1割速くなった勘定になります。それは研究所からアパートまでの歩行でも同じ事が言えます。
さて、長距離歩行も2ヶ月になると、筋肉の方にも疲労が溜まって来ますが、その疲れを感じる場所が昨年よりも広がり、膝まではいかないものの太腿の表のかなりの部分で疲れを感じるようになりました。逆に言えばそれだけ筋肉が広がった事になります。もっとも、病気前にランニングレースなどの後に感じた疲労に比べるとまだまだ範囲が狭く、特に膝の直ぐ上が全然違っていて、この部分が今後も課題の様です。もちろん進展が全く無い訳ではなく、筋肉の筋が見え始めているのですが、あくまで筋で肉には至っていません。
手指のほうは、外力でほぐした後なら自力で中指、薬指、小指の先端が掌に届くようになり(昨年までは薬指と小指だけだった)、現在、人差し指でそれができるようにと、人差し指の付け根の関節の柔軟(あと当然ながら親指も)に重点を置いています。筋力の訓練はもちろんですが、それ以前に柔軟が大切で、関節が柔らかくならないと筋肉は出来ません。その問題が人差し指と親指だけに絞られて来たのは進展と云えるでしょう。
リハビリ以外では、介護メンバーが大きく変わって1ヶ月が経ちましたが、大きな問題も無く、特にハンドボールの子(スポーツ少女その2)とは遠足とかのハードな訓練も楽しくやっています。もっとも彼女らも2人とも9月から上の学校(大学と軍事学校)の予定で、その後釜の目処は立っていません。訓練に喜んで付き合ってくれる人という条件を除けばいくらでもいますが、まだ時間はあるのでゆっくり捜そうと思います。ちなみに鉱山で働き始めた介護(スポーツ少女その1)の方は、臨時採用期間の為に100%以上働いている状態で(というのも臨時期間は月給でなく時間給だから)、手のあいた日に他の仕事をするような余裕は全く無いとの事でした。それは4年前に鉱山に移った元介護も同じ事を言っていて、正規採用までの期間(最大で約1年半)が一番馬車馬みたいに働かされるのだそうです。そして正規採用になると週38時間だか週40時間だかがきちんと守られるとの事です。まあ、正規の労働者は一生ものだから健康管理を優先するけど、臨時の人間は金が優先だから仕事を多く回す、って所でしょうか。
最後に、例によって無駄話です。
数日前、研究所から2km弱の地点をアパートに向けて98m/min (2%誤差)で歩いたところ、突然、向こう側の車線(歩行者と同方向)の車が止まり、人が出て来て『Can you speak English?』と尋ねてきました(Do you speak ではなかったからドイツ人だろうと思う)。その後方からもう一人ビデオを回しているのが見えたので(歩行に専念していたのでちらっとしか見ていない)、相手はもしかしたら紀行もどきでも制作しているテレビ局(の子会社)ではないかという嫌な予感がしたものの、まあ、人家のないハイウェー(90km/h 制限)の広い路肩を、足に固定器をつけた歩行器使用者が、歩行器とは思えない速度で歩いているのを見たら、普通の旅行者だって物珍しく思って、中には記念にビデオを回す物好きがいてもおかしくないし、何よりも、田舎に長く住む者として、人に何かを尋ねられたら取りあえずは答えるべきだという固定観念を持っているので、『Yes』とだけ答え、そのままタイムトライアル(アパートまでの歩行はいつもストップウオッチを回している)を続けていたら、車の人が走って来て、国境近くの街の名前を書いた紙を見せて『どういけばよいのか』と尋ねて来ました。
この日は1.4km地点の通過がベストだったのと、体調が思いのほか良かったので、一週間前に出した記録を破るべく頑張っていたですが、しかたなく5秒ほど立ち止まって『このまま真っすぐ120km 行けば良い』とだけ答えて、タイムトライアルに戻りました。しかし、災難はそこで終わらず、今度はカメラの人がやってきて、使用許可のサイン(名前ではない)が欲しいと云ってきました。調理用の大きなストップウオッチを歩行器にくくり付けているところから、こっちが何をやっているか察して欲しいものですが、こうなっては仕方ありません。少なくとも、相手は、こっそりビデオを使うのでなく、肖像権を守りつつ、しかも「無名の通行人』として使う事を言って来ているのです。
結局2度も立ち止まってペースが大きく崩れ、後半に再び回復したものの、ベストより1分遅く終わってしまいました。1992年のバルセロナで谷口弘美選手が8位に入ったのが如何に凄い事なのかを実感しました。