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重症ギランバレー
記憶・幻覚の世界
2001.11.3~5
(痛みを感じるところは恐らく全部事実。痛みを感じないのは幻覚)
(記憶の上では水曜10月31日、実際には土曜(3日)か日曜(4日))
目が覚めたねと英語で言われた(確か目はあいていないから幻覚の可能性あり)。
気がついたらオウルで、看護婦の説明によるとルレオで乗り換えてウメオに行く予定だったが、荷物と一緒にオウルに来てしまったとのこと(幻覚)。身体が全く動かないことがわかった(おそらく事実)。この音楽はリッカルドの差し入れだとの説明つきでヘッドホンでバッハのアダージョ集を聴かされる(そのCDは確かにあるから、これは幻覚では無く事実)。この段階で意識が戻った。目はあいていないと思う。
(記憶の上では水曜10月31日、実際には土曜(3日)か日曜(4日))
初めて目があく(誰もいない)。天井が二重に見える。薄く見える。ぼやけてはいないがなんとなく暗い。強度が足りない。世の中に緑色のフィルターがかかっている(1月まで)。感覚神経もおかされている。触覚は正常に働いている。呼吸器をしているらしいということはわかるがそれを感じない(モルヒネを投入していたらしい)。目が覚めたのは確かだが、音楽(差し入れCDの1つで事実)を聴くうちにまた寝る。
(記憶の上では水曜10月31日、実際には土曜(3日)か日曜(4日))
初めてスタッフの前で目を開けた時、yes(ja) なら瞬きをしろと言われる(no については何も言われなかった)。
どこかの段階で触覚のテストをする。
(記憶の上では木曜11月1日、幻覚かも知れないが、事実だとしたら土曜(3日)か日曜(4日))
目が覚めると、医者から(英語だったから医者だ)僕の姉と親戚の医師(勝手に従妹と思い込む)が来る予定であるとの連絡が入る(正確には連絡を取ったという事だろう)。寝ている姿勢がとても勝手が悪かった(腰が痛かったような、、、?)が、それを伝えることができないので、姉が来てくれたら助かるのにと思った。
(記憶の上では木曜11月1日、幻覚かも知れないが、恐らく事実で土曜(3日)か日曜(4日))
目が覚めると所長の RL がいた。戸惑ったような表情で「君が研究所で働いていたことは非常にすばらしいことだった、われわれは非常に満足している。これは支部だけではなく組織全体としてのことである」と言って、まるでこれから死んでいく人間に対するようなことばだけを投げかけて、病気については一言も語らなかった。
また寝る。
(記憶の上ではオウルなので、この時の幻覚で、彼はわざわざ船でウメオからオウルにやってきたらしいという噂を聞く)
(記憶の上では木曜11月1日、現実には上の直後)
目が覚めると RL がいて、この音楽はとりあえずの贈り物だとの旨を言う。
イングリッドは今ストックホルムだが、ストックホルムに行ってから(車で)こちらに来ると RL が言う。
何度も寝ては目を覚まし、その間に、姉と親戚の医師の来る日が来週の月曜日になったとの話を聞く。この記憶は恐らく事実で、月曜と言うのは実際には12日に当るが、この時は5日の事だと思い込んでいた。
(記憶の上では月曜(11月5日)で、まだオウルにいる)
隣の部屋(実際には同じ部屋)でひそひそしゃべっているのが聞こえる。それで、親戚の医師が来たらしいが医者と話をして僕に会いもせずに帰ってしまったように思っていまう。
(記憶上の週の中、実際には恐らく日曜(4日)か月曜(5日))
目が覚めたらウメオだった(ウメオ大学病院のICU)。
「言葉の分かるところに来たね( V"alkomen till Umea, Du kan f"orsto sprak)」 みたいな事をスウェーデン語で言われる。医師団から見たら、このときが初めて目が覚めたときではないかと思う。それまでは半うつつ。
次に目が覚めると「welcome to ウメオ大学病院×××部」と英語で言われた。ベッドを別の部屋に動かされたように感じたが、現実にどれだけ動いたのかはわからない。
(記憶上の週の中、実際には恐らく月曜(5日))
同僚の LE がやってきて「君がウメオに来たことは良かった。なぜならここには良い薬があって良い医者がいるから」と言う。ウメオで用事があったのでここに寄ったとの事。
(幻覚)
同夜、若干よくなったので僕をキルナに運ぶという話を看護婦さんがしている。そのためにヘリコプターの中に僕をベッドごと運ぶ準備をしていた。なぜなら見込みがないから最期ぐらいはキルナで過ごさせてあげようということで。そうこうするうちに体調が悪くなったのでキルナ行きは中止になった。
(記憶上の明らかに水曜日(7日)、実際には恐らく月曜日(5日))
プラズマ血漿交換をやって全身が踊るような感じがする。骸骨の踊りのように、操り人形みたいな感じで全身が勝手に踊るように感じる。プラズマの説明図が見えるが視力がないので良く分からない。 RL が同席。「これはすばらしい、プラズマこそわれわれがやっていることなんだ」みたいな事を確かに彼が言う。記憶の上では初めての血漿交換だが寝ているうちに何度かやっているらしい。
nesta onsdag に会いましょうと言って技師が帰っていった。
(記憶上の水曜日(7日)、実際には恐らく月曜日(5日))
ベッドを動かしてどこかの部屋に入れられる。それは夜になって入れられたと思ったが夜ではなかった。Rickard はいつのまにかいない。
(記憶上の水曜(7日)の夜、実際には恐らく月曜(5日))
記憶の上では一番苦しい夜を迎える。呼吸がとまった。心臓だけが動き続ける。完全に肺の動きを探知する神経が止まってしまって人工呼吸の音も耳が遠くなって聞こえないし、かすかに心臓の音が聞こえるだけ。看護婦さんの声で「だんだんだんだん弱くなって…」というスウェーデン語が聞こえる。死ぬというのはこういうことかとぼんやり思っていたら呼吸を感じ始めた。強力な心臓に感謝する。
目が覚めると看護婦さんが着替えさせに来てくれた。着替えるのがものすごく痛い。
(幻覚)
医者が血漿交換器を始動させようとするがうまくいかない。
(記憶上は明らかに木曜(8日)の朝、実際は??)
再び着替えさせてくれて、朝のカラダ拭き(丁寧だった)でシャツを着替えさせてくれる。一人の看護婦がこっちのほうが格好いいといって何度もシャツを着替えさせる。そのたびに何度も痛い。
(記憶上の水曜(7日)の夜、実際には恐らく月曜(5日))
やがて地元のLLがやってきて(彼は明日からアメリカ行きだと言っていた)沈痛な顔で帰っていく。
血漿交換の機械を昨日使い損ねたので、その専門家のいるところに僕を運ぶためにベッドをヘリコプターに入れようとするがうまくいかないのであれやこれややっている。いろいろとサイズを測っている(幻覚)。サイズを測る声が聞こえたのは正しい。そのときにベッドを移し変えたので(これは事実)体勢が痛みを感じる体勢になったが、それを痛いと言うことができないのでずいぶんほったらかされて、苦痛。そのうち医者が寸法を測るのが面倒くさくなって「今日の晩飯はチリを食べよう」と騒いでいる声が聞こえた。
ストックホルムの日本人が見舞いに来て隣の部屋で大騒ぎをしているように思われる(幻覚)
(雑音が日本語に聞こえたりスウェーデン語に聞こえたりするが遠くてわからないということ。)
(記憶上の木曜日(8日)の夜、実際は??)
ふたたび夜がやってきて呼吸が非常に苦しい。呼吸器に薬を入れる間が特に苦しい。酸欠状態になって特に苦しい。脈拍も異常に高いらしい。このときの呼吸数などの記録がウメオにあるはずだがまだ入手していない。医者のアシスタントはその苦しいようすに気がついてくれない。ほとんど植物状態で伝える手段がない。息苦しくて動悸が激しくなっているのに医者もアシスタントも全然気がついてくれない。
しばらくすると爽快な空気が入ってきた気がして二人の医者が機械の使い方について話をしているようすが聞こえる。この時は血漿交換と思っていたが、実際には呼吸器の調整だったらしい。
再び呼吸器に薬(気管拡張剤)を入れて苦しくなるが今度は医者が血圧の値が異常値になったみたいで医者のアシスタントが医者に進言したが、医者は現在測定中だと言ってそれを続ける。
医者が呼吸器のチューブを一生懸命探してアシスタントをどなりつけているが、やがて気に入ったチューブを見つけて僕に接続してくれた。でも全然変わらない。
(記憶上の木曜日(8日)だったか金曜日(9日)だったか定かではないが、実際には月曜(5日)か火曜(6日))
sjukgymnast=体操療養師がはじめてやってきた。熱心なキリスト教の信者で、「あなたには運動よりも聖書が必要です」と言って、なぜならば、You must realize that your life is not long.「もう長くもない命だから」などという。宗教者は必ず言うが、病人に対していう言葉じゃない。こちらは腹を立てて、やるべきことはやれという目ぶりをしたら通じて、体操をはじめてくれた。
彼女は平日に来ていたが、終わると「聖書を読みましょうか」と言う。3、4回無視したら言わなくなった。有能な体操療養師ではあったが、問題がある。
(記憶の上では金曜日(9日)、事実か幻覚か不明)
朝になって看護婦がからだを拭いてくれて服を着替えさせてくれた。
血漿交換をやる順番として僕が一番たいへんなので僕を最優先にするという医者のコトバが聞こえる。
(ここから幻覚)
別の部屋に運ばれてしばらく待っていると血漿交換が始まったが、今日はそれほど踊るような感じはしない(幻覚:血漿交換はしていない)。終わると次の人が待っているような気配がする。
(記憶の上では金曜日(9日)夕方、幻覚)
僕への見舞い客がカーテンの向こうでたむろしていると思われる(幻覚)。見舞い客の中には研究所の秘書だとか同僚・子連れだとか(幻覚)。子供が描いた絵を残して帰る(後日その絵を探すが全然ない。幻覚だから)。
(記憶上の金曜日(9日)深夜、幻覚)
エレベーターで別の部屋へ移される。ここからは Vardcentral が面倒を見る。
--------------- ここからは幻覚がないと思う(日付けはずれているが) ----------------
(記憶上の土曜日(10日)朝)
まばたきひとつが yes、まばたき二つが noの意味でやれ、とはっきり言われて、この段階からそれを守る。が、まばたきは非常に難しいので yes が no になったり no が yes になったりして誤解される。それまでは単純にまばたきが yes だった。
(記憶上の土曜日か日曜日(10 or 11日))
医者がやってきて治療の説明をした。5日間だけヘンな薬(実はIVIG)をもらった。それは効いた。ごく普通にベッドに寝たきりで終わる。移動もなし。薬を貰った翌日(だろうと思う、いずれにしても記憶上の日曜日)から息苦しさが減った感じで、このときはじめて助かったと思った。右横にカーテンがあるのをはじめて感ずる。
(記憶上の月曜日(12日))
Welcome (back) to Umea University Hospital Intensive と言われるが、ベッドは全然動いた気配がない。
(記憶上の月曜日か火曜日(12/13日))
医者が来てカラダの動くところのチェック。そのときに左足の親指がかすかに動くだけであることが判明。
--------------- 以上、記憶の世界は現実とずれている ----------------
(記憶上の月曜日(12日)、実際には5日)
医者のアシスタント(それでもDr.)がやってきて看護婦に「このドキッドキッという心臓音は力強くて良いものだ」と聴診器を当てながら説明する。他にほめるところがないから心臓をほめたんだろう。ただしかなりの高血圧になっても耐えられたのは普段の健康的な生活のおかげであることは確かである。下手をすると卒中になっていた。心臓が普通以上に丈夫だったからよかった。
--------------- 11月6日朝から記憶と現実が一致 ----------------