ということで、色々な用事が重なり、ここはいいタイミングだということなので 一時帰国を決意する。半年ぶりの帰国で、約一ヶ月の滞在である。
帰国便の手配はストックホルムのネットトラベルというところにお願いする。 なぜここかというと、日本語が通じるからである。電話で手配するときに 日本語が使えると、語学に起因するトラブルが避けられる。 ただでさえ航空便のシステムなんてわからへんのにさらに繁雑さを増やす 必要はないのである。
ということで日本語で航空券を予約、キルナとストックホルムの往復は 1ヶ月を超えるということで非常に高い。約5万円である。 (一ヶ月以内なら多分半額ぐらいである。) やむをえず、夜行列車での往復にする。17時間以上の夜行列車なら 旅の風情も味わえるし、お金の節約にもなるしで一石二鳥である。
それにしてもキルナ出発の一週間前から落ち着かない。やはり故郷に帰る時のは 不思議な気分である。そういえば京都に出てきてから初の帰省の気分に似ているのか。 あれはゴールデンウィーク、京都に出てから一ヶ月しか経っていなかった。 一週間前からJRの予約をしたりおみやげを物色したりしてた気がする。
出発の日は雪である。8月30日に一度降った後は少し暖かくなっていたのだが 9月23日の午後に降り始めた。雪を後目に列車に乗り込む辺、 まさに伊勢正三の「なごり雪」である。
キルナからルーレオ行きの列車でボーデンまで行き、ボーデンでストックホルム行きの夜行列車に乗り換えである。夜行列車は一番安い3段式のベッド。6ベッドのコンパートメントである。同じコンパートメントで泊まったのはアメリカ人夫婦。 歳の頃なら40-50歳程度だろうか。 仕事を長期休んでのヨーロッパ大行脚だそうだ。ローマから出発し、ドイツ、フランス、イギリスはじめ10ヶ国以上まわっているとのことだ。優雅でいい。
翌日以降のことを考えるとこの日は早めに眠るがよろしいということで10時過ぎには床につく。まあ、外はまっ暗なので旅情に浸るわけにもいかない。
翌朝目覚めると一面の深緑。一目で南に来たということがわかる。 どちらかといえば暑い。それもそのはず、昨日までの気温は摂氏0度程度である。 陽光が燦々と降り注ぎ、緑が栄える。 やはりキルナは北極圏である。
ストックホルムに到着したのは予定通り一時間遅れの24日13時頃。まあ17時間半の旅が18時間半になろうともそれほど大した問題ではない。 ストックホルムの第一印象はとにかく明るい。海が近いからなのか温暖だからなのか、何故かキルナにくらべて明るい気がする。昔ナルビクに行ったときにも感じたがこれは気分の問題なのだろうか。 街を歩くとレンガ造りの建物や高層ビルなどが街の雰囲気にフィットしていて あー、これぞ北欧、といった感じである。 宮崎駿の「魔女の宅急便」の街並のモデルはストックホルムだと言う人がいるの頷ける。
なお魔女の宅急便のモデル都市については、北欧説の他にニュージーランド説もあるらしい。スタジオジブリは公式見解を避けているみたいだ。
翌日は朝4時発なので、宿を取るべきか、取らずに空港に赴き空港で仮眠かの選択に迫られるが、少しでも横になれるかどうかは違うので、観光案内所にむかいユースの情報を仕入れる。駅に近いところに滞在決定。参考までに、費用は3000円。6人一部屋で、インターネット端末が全部で4台あるというところだ。
さて、午後から時間があるのでちょっとブラブラ、どこへ行こうか「地球の歩き方」やら観光案内書でもらったガイドを見ていると、「ヴァーサ号博物館」なるものにビビッと来た。 もちろん博物館やら美術館でもよく、ストックホルムには数多くのものがあるのだが、フタアナ的にはある特定の一個の展示物やテーマがあって、それが中心に鎮座しているようなところが好きなのである。
ヴァーサ号、1618年から始まった30年戦争を背景に、1628年グスタフ=アドルフの命による作られた帆船である。処女航海出発直後に突風を受け1300メートルを行ったところで沈む。333年後の1961年に引き上げられ、修復作業の結果1990年、博物館としてオープンしたようである。
「何故沈んだのかは誰も知らない」と書いてあったが明らかにバランス悪すぎ。70メートル位の長さで、50メートルのマストに対して、喫水線がすごく低く幅が10メートルちょっと。どんな設計しとんねん、っていう話。
ヴァーサ号を調べていて出逢ったページ。ピンポン玉って笑ってしまう。
で、北欧で観光しているときに思ったこと。博物館では、特に有名なところでは、現地語と英語だけでなく、北欧4ヶ国語、フランス語、スペイン語、はては日本語のガイドがあるところが多い。観光客としては非常に助かる。やはり日本語と英語では同じ理解を得るのにかかる時間が数倍違うのである。
意外とヴァーサ号博物館で時間を使ってしまったことに気付く。もう夕方の5時である。 ユースに帰って御飯を食べて眠ることにする。翌日は出発が4時。3時に起きるため9時には床につく。 既に出発から27時間。ほぼ半分の旅程は過ぎたわけである。が、まだ国境は跨いでいない。
しかし床についてみたわけだがなかなか眠れない。 寝過ごすと困るというのが最も大きな理由だ。 結局1時ごろにのそのそとロビー(?)に出て、フリーのインターネットで サーフィンし、4時のバスに乗るために3時半にユースを出ることになる。
バスは早朝まだ暗い中を走り空港へ向かう。 空港までは電車で30分程度。空港には予想通りの一番乗り。 そしてオランダのアムステルダム経由で関空へ向かう。
アムステルダムでは約4時間の待ち。この程度の待ちは既に慣れたもの、 いくつかの残されたお土産を仕入れ、飛行機に乗り込む。
考えてみれば当然のことだがアムステルダムからの便は日本人客が大半を占める。 それも雰囲気としてはツアー客、つまり団体客である。 日本語が会話の多数を占める。 スチュワーデス、ではない、フライトアテンダーも日本人が数人乗っていた。 こうなると、もうすでに気分は日本である。 12時間(?)のフライトも夜行列車に比べればどうということはない。
ついに関空へ到着。京都へ向かい、「おくだ」へ行く。 見慣れた雰囲気、なつかしい気分、おいしいトンカツ、やはり日本はいい。