トロムソ旅行記

とある金曜日、風間さんが部屋を尋ねてきた。
「エリザベスが来週末の食事、選んどいてって言ってた」

は? 何のことですか? 来週末の食事って?
実は5月16-18日にIRFのいわゆる慰安旅行があるということだった。山内氏が私の分まで勝手に申しこんでいていただいたようだ。

ちょうど予定もなかったので、当然参加することにした。旅行先はトロムソ、ノルウェー領内で、電離層観測用のEISCATとよばれるレーダー観測所があるところである。北緯は70度、フタアナの最北端到達記録をさらに更新することになる。ちなみに現在の記録はもちろんキルナである。キルナからは400km程度、バスでの行程だ。

ノルウェーに行くので、通貨の両替が必要である。スウェーデンもノルウェーも通貨はクローネであるが一緒なのは呼び方だけである。銀行に行き、480スウェーデンクローネを400ノルウェークローネに両替した。日本円にすると7000円弱だろう。

ちなみにノルウェーの200クローネ札に印刷されている人物が、すごい。知る人ぞ知るビルケランドなのである。そう、あの有名なビルケランド電流のビルケランドである。

写真を公開したいのだが、お札ってデジカメで撮ってインターネットに載せてもいいもののだろうか?

出発は金曜朝7時にIRF。なのだが、町の各停留所をまわってくれるらしい。ちなみにフタアナのアパートの目の前がバス停である。7時10分ごろに待ってろと言われたが、研究所からアパートまで、直接走ったとしても15分ぐらいかかるのに、色々と回ってからくるのだから絶対に7時半以降だよな、と思いつつ、置いていかれるのもいやなので、7時10分にバス停に向かう。予想どおり7時40分ごろにバスが到着。最後のバス停で風間さんが乗ってくる。やはり30分以上待ったらしい。やはり時間感覚が日本人とは違うことを再確認。

電子小物好きの風間さんはGPSを持ってきた。それほど派手なものではないが、自分が今どこにいるか、や、周辺のおおまかな地図がわかるので、非常に重宝した。フタアナはGPSやカーナビに必要性を見出していなかったのだが、かなり便利そうだったのでちょっと欲しくなってきてしまった。

雪の残るかなり壮観な山々を超え、視界が開けたと思うと湖のような風景の海岸線が現れる。これがフィヨルドである。ここからほんの少し南に行くとナルビクという、世界最北の客車駅がある町である。ストックホルムから夜行電車で丸一日かかる行程であるが、今回、ナルビクには寄らず、海岸線の道をさらに北上する。

EISCATレーダーサイトに到着。トロムソの町からは離れた山の中にひっそりとあるレーダーである。パラボラと、それより大きな長方形の送受信機を見学する。ここまで大きな機械を設計し観測する地球物理現象の壮大さを再実感。

トロムソでの宿泊は、キャンプ場である。こっちでキャンプ場というと、テントを張るサイトというよりは、車でのりつけるログハウス群の方を言うらしい。IRFという国立の研究所の慰安旅行の宿泊がキャンプ場というのも、なかなかすごいと思う。日本で研究室単位でならまだしも、研究所単位で慰安旅行がキャンプ場というのはなかなかないでしょう。

到着日の晩御飯は、トロムソの街の中のレストラン。フタアナはノルウェーということで、サーモン料理を選択。単純だったか? まあ、おいしかった。そして一杯目のビールは研究所から出るらしい。デザートも終わり、バーに行く。バーの店員さんは日本語が話せるということで、日本語での会話が弾む。アクアビットという、北欧の焼酎を飲む。かなり強めだが、かなり旨い。

翌日は午前中、山に登る。ロープウェイで中腹まで登る。山頂まで行こうと思えば行けそうであったが雪が残っており、断念。靴が普通の運動だったし。地元の人だろうか、スキーを持ってロープウェイに乗る人もいた。

午後は、予定なし。結局のところ、慰安旅行というのは、ゆっくりのんびりするためのものだから、そんなものなのだそうだ。フタアナは街を歩くことにした。昼御飯を適当に食べる。実はこの日、ノルウェーの独立記念日である。街中は民族衣裳を着た家族連れで一杯である。

夕方キャンプサイトに帰ると、既に酒盛が始まっている団体もあった。晩御飯のバーベキューの後、酒盛2次会、なおフタアナは1次会。フタアナはワインを持ってきていたのでそれを提供、ビールやジン、ウイスキーなどが出された。したがって、、、フタアナは完全に酔っぱらい、記憶を飛ばす。

翌日は完全な二日酔い、午前中に寄った極地研究所ではかなり苦しかった。昼御飯を食べ、ようやく楽になってきたが、午後はほとんどバスにゆられて帰るだけ。キルナに来て初の旅行は自己嫌悪で幕を閉じた。