北スヱーデンは昨年から今年にかけて、20年に1度とも50年に1度ともいわれる寒い冬を迎えた。直接の原因は気圧配置が少しずれた為だが、本当の原因(何故今冬に限ってそんな気圧配置になったのか)は分かっていない。ともかく、例年なら西風(=暖流の上を通ってくる)の吹くところが昨秋以来北風ばかり吹いて、スカンジナビア山脈を境に、スヱーデン側に雪と寒波を、ノルーヱー側に晴天と雪不足をもたらした。これぞ本末転倒。結果としてノルーヱーのスキーチームが雪不足に悩まされたのは結構な事だが(何と冷淡な事よ!)、代わりに北スヱーデンは洪氷(氷の洪水)で肝を冷やす羽目となった。
 「洪氷」とは、水流の残っている川の途中が何らかの理由で芯まで凍り、逃げ場を失った水が氷の上を流れ出すのも束の間、それが再び凍る現象である<>。再凍結によってまたも逃げ場を失った水は、凍結したすぐ上を流れるから、段々畑の様に積み重なって、仕舞いには土手を越えて氾濫する。氾濫するのは水だが、残るのは氷だ。例えば、扇状地の荒れ川が土砂を氾濫させるのに似ている。
 一旦洪氷を起こすと、薄く広がった流れが直接外気(−10C〜−20C)に触れるので、数時間のうちに再凍結する。だから、どんなに細い流れでも急速に水位(氷位)が上がる。但し、洪氷自体はそう簡単には始まらない。普通の川(湖などから流れ出す川)では、川の表面の厚い氷が断熱材の役目を果たして(加えて、表面に雪が積もると更に断熱効果が増す)、水流は寒波に邪魔される事なく流れ続ける。たとい厚い氷が流れを圧迫しても、そんな厚い氷の張るような大河では流れも強いから、水圧が勝って逆に氷を突き破ってしまう。一方、泉などがら流れ出る細い小川は、秋のうちに水源が凍って完全に枯れてしまう。だから、よほど条件のそろった川でないと洪氷は起こらない。平原地帯の小川で、しかも冬中細々と流れ続ける水流だけが洪氷を起こすが、それも条件のそろった年での話である。例えば、研究所の裏道は都合5本の小川を横切っているが(どの川も土管で流れを通してある)、そのうち洪氷を起こすのは1本だけで、氾濫にまで至ったのは私の知っている限り(1990年秋以降で)1回だけ(1997年3月)だった。
 かくも珍しい洪氷氾濫だが、今冬だけは北スヱーデンのあちこちで発生した。まさに歴史的大洪氷の秋と言えよう。地面の凍り付く前に水源地帯で雪(=断熱材)が大量に降って、寒気から保護された水源が全く凍ることなく保存された為らしい。その流れが、中流で大雪に直接ブロックされたり(冷え切ったかき氷にミルクを少しだけかけると凍ってしまうのと同じ)、或いは雪の少ない下流で厚い氷に圧迫されたりして(これは土管の中でよく起こる)、あっと言う間に流れが淀んで芯まで凍り付いてしまった。それで、例年なら決して洪氷を起こさないような中規模の川まで氾濫したのである。
 じわじわと確実にかさ上げする氷、それは見るからに氷河や溶岩流のミニチュア版だ。だから私の如き傍観者は、観光客よろしく、つい無責任に「面白い」と喝采してしまう。面白いばかりか、見方によっては美しい。山の峡谷での洪氷ともなると天然の芸術品といった趣すらある。例えば、谷に落ち込んで氷滝を作っている洪氷なんか、何故絵葉書になっていないのか不思議なくらいだ<>。でも、どんなに面白かろうとも、どんなに美しかろうとも、生活現場では「災害」である。中規模の川で洪氷が起こると、川岸に家や小屋が建っているので、対策を立てねばならないのだ。もはや鑑賞の対象ではなく脅威の対象である。
 小川の細い流れの洪氷の場合、蒸気で溶かして水路を作る(大抵は土管の通りを良くしてやるだけ)のが普通の対策だ。ところが流れの盛んな川だと、蒸気などという生温いやり方では埒があかない。とうとう、12月には軍隊が出動して川を爆破する騒ぎにまでなった。爆破のあとの流れがどうなったかは知らないが、研究所の裏の小川では、蒸気で土管を通した後もすぐに洪氷が再開して、半月後には土管が塞がっていた。その度ごとに蒸気で土管を通したのは言うまでもない。
 洪氷騒ぎが一段落した1月には(洪氷自体はまだまだ続いているが)、今度は記録的な大寒波に見舞われた。
 最大の山は1月23日の強風付き−15Cで始まり(私のアパートは高台にあるので、気象台より10〜15度暖かい)、第1波が1月24日〜29日(研究所で−42C、アパートで−31C)、第2波が2月4日〜10日(研究所で−35C、アパートで−24C)、そして第1波と第2波の間も(更には第1波の前や第2波の後も)平年より低い気温で推移して、非常に長い寒波となった。北極圏では太陽が弱いので、一旦寒波となると昼夜関係なく寒い。だから、第1波、第2波とも、ピークに至るまで一本調子で温度が下がり続け、その意味ではアラスカの同じクラスの寒波よりも酷しいとは言えよう。最も寒かった日(1月27日)のメモが以下のとおり。
(1)街から研究所(8キロ離れている)に来る途中の道でアイスフォッグが発生した。これは私がキルナに来て以来初めて。
(2)空の便は、ジェット機は運行したものの、プロペラ機やヘリコプターは欠航した。
(3)普段なら自家用車で通勤する連中もバスを使っていた。
(4)コップのお湯を空中にほおり投げる「簡易アイスフォッグ作り遊び」が楽しめた<>。
(5)研究所に 1958 年から勤めている人の話によると、彼の知っている最低気温(研究所近辺)が−43Cで、今回はそれに1Cだけ及ばなかったに過ぎない。
(6)キルナの 40 km 東のロケット発射場エスレンジでは−45Cまで下がり、しかも前日には−43Cの中、気球の打ち上げ作業(数時間以上も外に出ての作業)を決行している。
(7)キルナの 150 km 東の集落・カレスアンド(フィンランド国境)では−49Cを記録して、1月の最低気温記録(過去百年のデータによる)を更新した。今までのスウェーデン記録は 1956 年の−48.9Cである。但し12月や2月の最低記録たる−54C/−55Cには届いていない。
(8)キルナ近辺で一番寒いユッカスヤービ(冬は研究所より 10度C近く、町より 20度C近く寒い)では−47Cを記録した。なお、寒波中には強い逆転層が起こるので、同じユッカスヤービ内でも、受付の建物と、そこから目と鼻の先のアイスホテル(川の上)との間で数度の差が出来る。その先の犬ぞり出発点(川の真中)となると、風まで吹いて体感温度は更に低い。アイスホテルには例によって観光客が沢山いるが(日本人も2〜3割いる)、連中がこの寒波を堪能したか、それとも単に震え上がったかは知る由もない。
(9)寒さもここまで来ると、かのアラスカですら珍しい。
(10)この寒さにもめげず Winter Festival のメインたる雪像作りコンテストは決行するので、芸術の争いよりも寒さとの闘いになりそうである。
(11)研究所の温度は http://tempo.irf.se/cgi-weather/weather_page で見られる。

 と云う訳で、まさに記録的寒波ではある。ただし、これを「寒い」と云って文句言う馬鹿はいない。いつもなら散歩に出ない様な連中まで「体験」と称して散歩に出かけていた。翌日の新聞記事も浮かれた内容で、要するに 「待望」の大寒波なのである。もちろん−40Cが常時続いたら大変だが、たまに1日2日訪れるのは全然構わない。唯一被害者といえるのはトナカイや野生動物ぐらいなものだろう。
 ところで、−30Cや−40Cともなると、普通の人は「ものすごく寒い」と十把ひとからげにして全然区別してくれないが、0Cと−10Cとが10度の大差であるのとの同じく、−30Cは−20Cよりも遙かに寒く、−40Cは−30Cよりも更に10度分寒い。例えば、スキーなどの野外スポーツで気持ち良く汗が流せるのが大体−10Cぐらいまでで、−20Cともなると外気を直接深呼吸したら肺が凍傷になってしまう。更に下がって−30C以下になると、散歩のようなごく軽い運動すら辛い。それでもアラスカでは−32C以上だと完全防寒(目だけを出す格好)でランニングのレースをしていたから、全くの不可能ではない。もっとも、そんな体験は一度で十分だろう。約十年前、一度だけ−32Cで13kmの草レースを走った事があるが、二度と走りたいとは思わなかった。人間のみならず犬も−30Cは好まない。現に、大抵の犬は−30C以下だと長い散歩をねだらず、直ぐに家に入りたがる。
 そして−40C。かのアラスカですら「厳寒」と呼ぶ世界である。
 意外な所が凍り付く。まつ毛や髪の毛の凍るくらいは可愛いもので<>、無機物たるワイヤーや金網、果ては赤煉瓦の建物の外壁まで白模様を呈して<> 、およそ、熱を放射する物すべてが霜付く。特に目立つのが煙突の煙だ。普段は微かにしか見えないのに、この時ばかりはもうもうと激しく白い蒸気を噴き出す。これは暖房を強めている為ではない。断熱の良い家ばかりだから、外の寒暖に関わらず暖房は一定で、故に煙突から吐き出される熱気の量もほとんど一定だ。ただ、外気が冷たいという理由だけで、−20Cなら透明の蒸気が−40Cだと一躍白い氷霧に変わる。人の吐く息もしかり。車の排ガスもしかり。町にアイスフォッグが出来る所以である。もっとも、−40Cでは車を動かす人も激減するから汚染自体は酷くない。
 車は動かさないほうが賢明といえよう。どこがどう壊れるか分かったものではないからだ。代わりにバスとタクシーが繁盛するが、儲かる筈のタクシーにも盲点があって、それはプロパンガスが−42Cで液化すること。従ってプロパン(LPガスにも含まれている)を使うタクシーやコンロは、大寒波では使いものにならない(当地では殆どのコンロが電気コンロ)。凍ると言えばアイスクリームもそうだ。−40Cの外気に30分さらしただけで石みたいに凍り、ハンマーでも持ってこなければ歯が立たない。これを冷蔵庫のフリーザーに入れて「暖める」と、もとの柔らかいアイスクリームとなる。−30Cと−40Cとはかくも違う。ちなみに、日本の最低気温は旭川市の−41 Cで、富士山頂ですら最低気温は−38Cに過ぎない。
 こんな寒さに外気を直接吸うなんてもってのほかだ。浅い呼吸ですら喉が痛む。目は瞬きした瞬間にうっすら凍り、たとい目の機能を損なうほどではないにせよ、あけ続けるのは難しい。それでも−40Cはまだマシで、マスクさえすれば外が歩ける。これが−45Cまで下がると、もはやほんの10分間だけ外に出ているのがやっとだ。目は瞬きしたが最後、氷でくっついてしまう。マスクも完全に口に凍りつく。
 −45Cともなると、滅多に経験できる寒さではない。私ですら一回きりで、1989年1月のアラスカ大寒波(3週間連続して−40Cが続き、場所によっては−60C以下にもなった)の時に−46Cの中を歩いた経験があるだけだ。という訳で、これ以上の寒さを経験したかったら、シベリアか南極に行くしかあるまい。

1999年2月 「ラップランド:氷と−40Cの世界」 山内正敏