二度とこのコースは通らんぞ!
 全然楽しくないッ。
 最悪!!
 ブツブツ言いながら湿地をやっとの思いで抜けた一分後、今度は橋なし川が現れてその前に立ちすくむ。本来あるべき渡板が、またも流出したまま放ったらかしになっているのだ。小川とは言え、とても飛び越えられる幅じゃない。大きく迂回して、とにかく渡れそうな処を探す。あった、あった、…枯れ木があった。今にも折れそうな細い幹だが、とにかくそれが差し掛けてある。人ひとりぐらいは大丈夫だろう。強度の方はぎりぎり合格だが、細くて凸凹して、一寸でもバランスを崩したら一巻の終わり、そんな細木だから、そのままではとても渡れない。枯れ枝を拾って来て、水中に杖がわりに立てつつ、バランスを取りながら渡り終える。体中から冷や汗がどっと出る…。
 そんな湿地と沼地と小川が次々に襲ってきて、200メートル全力歩行と一旦停止と1 0メートル徐行の組み合わせが既に延々2時間続いている。世の山路には、俗に「インターバル・トレーニング」コースだの「障害物競争」コースだの呼ばれる超悪路があるが、これはそんな生易しいものではない。川の橋が流されっ放しのみならず、湿地を渡る渡板も大半が流出したまま。いかに近道の裏道だからとは云え、運良く渡板の残っているのが3割だけと云うのは酷い。恐らく過去10年以上全く整備していないのだろう。かくて、時間ばかりが無情に過ぎて、出るはため息、増えるは疲れと靴にしみ込む泥ばかり。あ〜あ、来るんじゃ無かった。
 もちろん、いかなる難所行程も、景色さえ抜群に良ければ全てが許される。だが、この谷と来たら、日本なら国立公園クラスかも知れないが、キルナの住人にとっては郊外の景色に毛の生えた程度に過ぎぬ。その証拠に、いま歩いている35km区間には山小屋も休憩所も何も無いではないか。泊まる価値が無いからに決まっている。只々、アビスコへの近道という理由だけで、道がある。少なくとも今歩いている部分はそうだ。
 それほど酷いコースだが、そんなコースだからこそ戻る気はしない。終バスは2時間後にニカロクタ(入山地点)を出る事になっているから、常識に従えばここで引き返すべきだろう。だが、ここまで2時間の「退屈な景色+難道」を逆向きにせよ繰り返すのはこりごりだ。「2度とこのコースは通らんぞ」と誓った矢先じゃないか。この先どれだけ難所があるか知らないが、ここで引き返すと本当に2度と来るまい。恐いもの見たさに前に進む…日帰りの装備にもかかわらず。
 冷静に考えれば、これほど非常識な判断も無かろう。泊まり掛けにするのが無茶なら、道がもっと悪くなるかも知れない可能性を無視しているのも無謀だ。でも、一応寝袋だけはあるから、山小屋に泊まりさえすれば今の装備でも明日まで大丈夫だし、道が悪いと云ったとて、この夏、友人が通ったばかりのコースに行止りはないはず。よもや一番近い山小屋…といっても入山地点から30km以上あるのだが…にたどり着けない事はあるまい。それに第一、今の私には大抵の無茶は通ってしまうのだ。その原因は、今年、断続的に我が生活を狂わせた日本出張である。

地図
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 ご存じ火星探査機「のぞみ」にはキルナ製の観測装置(質量分析器)も載っており、それゆえ、唯一の日本人たる私は、連絡係として日瑞を行き来して各種の試験に参加してきた。始めのうちこそ年に1〜2回の日本出張で済んでいたものの、打ち上げ(1998年7月)の直前は大変で、昨冬12月以来、過去9ヶ月間に7回も日本に行って、その度ごとに数週間滞在した。ゆえにキルナの冬もキルナの春もキルナの夏も楽しまずじまい。しかも、その間ずっと緊張が続いた訳だから、ストレスは溜まりに溜まっている。
 最後の出張が終わって待望のキルナ定住生活に戻ったのが今週頭だが、帰り着くや日本人ビジターの世話や別の研究会があって、全く休む間もなく一週間が過ぎてしまった。だから、「今週末こそ何かキルナらしい事をして、溜まり溜まったストレスを発散したい」と云う思いは強烈だ。その思いのみで、今ここにきている。楽しい山行きなぞ初めから期待する筈が無い。ただただ、ストレスという強烈なエネルギー源が体を動かしている。そんな状態だから、世間一般の常識はもちろん、私の設定した個人的「常識」すら今は機能していない。それは今朝の行動からしてそうだ。ほとんど閃きだけで行動している。

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 昨晩は夜遅くまで友達のところで飲んでいた。研究会のメンバーとの懇談である。
 今朝も何も考えずに目を覚まして、しばらく寝床で朝寝を楽しんでいた。
 突然「確か午前十時頃に汽車とバスがあったな」と閃いて、日帰りで山に行くことに決めた。日帰りでも十二分に食料を持って行くのは私の癖で、取り敢えず部屋にあるものをバタバタと詰め込んだ結果が以下のとおり。
* ムスリと云って、コーンフレークに毛の生えたような物を200グラム。
* 粉ミルクの一種(正確には胚芽)で、お湯に溶かして飲むもの。
* 過去数年間打ち捨ててあったスポド粉末2袋。
* 5日前に買って、まだ手をつけていないチョコレート(100グラム)。
* 赤飯3袋(うちボイルしたのは1袋だけ)。
* 梅干し10個。
* お茶1リットル。
* オレンジジュース 0.5 リットル。
* パン数枚。
* チューブ入り携帯チーズ。
 何の脈絡もない組み合わせだが、その心は「夕食までは十分、たとい泊まり掛けになっても、山小屋のコンロ(プロパン)で明日の朝食・昼食までは確保できる」という量である。量の多いのに満足して、ついでに寝袋も入れた。この寝袋が諸悪の根源だった、と今にして思う。寝袋さえなければ、無条件に日帰りにしていただろう。というのも、キャンプの道具は、テントはおろか、マットも火器も懐中電灯もわざと省略したからだ。忘れたのではない。持っていかないという判断をしたのだ。あくまでも日帰りの予定であって、もしも泊まるとしても山小屋や山ホテルと云う前提である。懐中電灯すら省略するなぞ、全く山の常識を無視しているが、異常に溜まったストレスは、往々にしてこういう悪戯をする。
 行くべき候補はニカロクタ方面とアビスコ方面(拙著の地図を参照して下さい)。どっちでも良い。否、そのどちらかに限る必要すらない。よって汽車の時刻に間に合わねばならぬという焦りも無い。悠々と9時40分に家を出て、悠々と駅に向かえば、アビスコ方面行きの汽車は既に10分前に出た後。それもよし。それならバスでニカロクタだ。月曜日にビジターを連れて行ったばかりだが、そのとき初めて見た「ビスタス谷」デルタ地帯への感動が今も心を揺さぶっている。そんな訳で、鉄の熱いうちにカメラを持っての再行となった。細かい行程は向こうについてから考えれば良い。
 バス停で待っていると、同類の輩が三々五々にやって来る。スヱーデン南部から休暇にやってきた連中らしい。山行きのバス停といえば、天気の話から雑談が始まるのが相場だから、そこで天気予報の最新情報が得られる。なんでも昨日の予報の「今日崩れる」が修正されて明日まで天気が持つとか。傘を持ってきたのは無駄だったかも知れない。いや、傘があるからこそ、泊まり掛けも可能になったと言うべきか。日帰りと決めていた人間に迷いが入る。
 天気と共に会話を飾るのが行き先である。聞けば、大概の人が「どのあたりまで行きたい」という大ざっぱな計画しか持たない。まあこんなものだろう。当地ではバス停や山小屋での会話で計画の空白を埋めていくのが常道だ。バスまで時間があるので、地図を拡げて話をする。
 或人曰く
「儂はケブネカイゼ山荘だ」
ニカロクタからケブネカイゼ山荘までの20km(うち5kmはボートも可能)は、北スカンジナビアでもっともハイカーの多い区間で、このコースを知らないキルナ人はもぐりと言われる。私自身何度も往復しているし、ある時なんか、生まれてこのかた10km 以上歩いた事が無いという日本人をガイドしていった事すらある。
「あら、私たちもよ。でもゆっくり行く積もりなの」
女性ハイカー(年齢は関係なし)の多いのがスカンジナビアの特徴で、特にこのルートでは半数は女性だ。しかも、その半分が女性だけのグループ。日本には無い光景だろう。
「俺たちなんか、明日ケブネカイゼ山荘に入りゃええから、あわてる必要はねえんだ。どっかいいとこ知らねえかい」
どうやら、初めてラップランドに足を踏み入れた若者らしい。こう聞かれては地元民の意地で何か教えてやらねばなるまい。
「じゃあ、この丘へ迂回してごらんよ。そこから見えるビスタス・デルタが素晴らしいから」と、早速先週の感動を説明する。一旦誉め始めると、そこは勢いだ。
「そいで、僕はこのビスタス谷沿いに歩いて見ようと思っているんだ。まだ泊まり掛けにするかどうかは決めていないけど」
と口走ってしまう。今日の入山路が決まってしまった。
 やがてバスが来たので、ニカロクタの2km手前で降ろして欲しい旨を告げる。バス停なんか無関係で、好きなところでバスを降り、好きな所を好きな方向に歩く。邪魔立てるものは何もない。アメリカのように私有地の柵(それを越えると銃で撃たれても文句が言えない)が張り巡らされている訳でもなし、日本のようにゴルフ場に遮断されている訳でもなし、まさに本物の自由がそこにある。人類共通の財産たる「自然」や「景色」に勝手に鉄線をめぐらせて私物化し、力づくでハイカーを排除するような国のどこが「自由の国」なものか!
 『自然を楽しむ自由』
 これがラップランドの山を楽しむ為のキーワードと言えよう。

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 スキーにしろ、徒歩にしろ、山歩き(滑歩き)の贅沢には手順と云うものがある。始めは簡単でかつ景色の良いピクニック・コースに始まり、次が最高峰、その次が標準路縦走、と段々マニアックになってきて、スピード縦走、裏山、悪路、難所、等々の挑戦に心を燃やす。燃すべき脂を失って枯れの心境に近づくと、今度は一見何の変哲もない山にも喜びを感じる。この事情は山歩きに限らず、あらゆる趣味活動に共通かも知れないが、ともかく贅沢は常に進化する。だから、古来人を引きつけている著名な山塊は、これら全ての要素を持ち合わせているのが普通だ。
 キルナ西域の山塊もその一つで、スウェーデン最高峰ケブネカイゼや無数の氷河を含むこの山塊は、ヨーロッパ中から自然に飢える老若男女を引きつけ続けてきた。充実した山小屋ネットワーク、適当に手入れされた本道と手抜きされた裏道、蛇やのら犬などの危険な動物のいない安全さ、ツンドラ帯特有の眺望の良さ、そして何よりも、数十キロ四方に渡ってアクセス道路が全く無いと云う自然がその魅力となっている。「ヨーロッパ最後の自然を残した山々」と云われる所以だ。
 主な入山口は3つ。アビスコとニカロクタとストーラ・シェファルト(地図参照)。これらの拠点を結んで、本道と裏道、抜道、けもの道がネットワークを組んでいる。アビスコ⇔ニカロクタの縦走路を例にとると、先の会話に出たケブネカイゼ山荘を経由するルート(110km)が本道で、これから踏み入れようとしているビスタス谷ルート(85〜90km)が裏道のあたる。
 本道は昨夏2泊3日で縦走した。露石とぬかるみの連続で、「ああ、またか」と溜め息をつきながら、それでも豆足に鞭打って3日目の行程35kmを頑張った事を今でも覚えている。日本の基準では悪路だろう。でも、ともかく完走はした。完走したばかりか、途中、ケブネカイゼ山頂へ迂回までしている。いくら豆が出来ようが、生爪が剥がれようが下山後1週間足を引き摺ろうが、2泊込み46時間でのスウェーデン最高峰+標準縦走路完走は上出来と言えよう。現に完走後はキルナの連中に対して随分威張れたものだ。
 となると、次の目標は裏道のアビスコ⇔ニカロクタ、即ちビスタス谷経由の近道だ。足を踏み入れた事の無いルートだから、道の善し悪しは知らぬ。昨年の本道よりも良いとは思えないが、さりとて酷くもあるまい。そう思うのが普通だろう。少なくとも地図によれば山腹の平坦なコースで、見るからに楽そうだ。ほとんど無意識のうちに「行けるところまで行って、行けそうだったら縦走してしまえ」と言う気分が支配してしまった…本当にアビスコまで90km行けるのか、或いは装備は十分なのか等々、再考する事もないままに。
 11時40分、入山口に立つ。約90km先のアビスコを汽車が出るのは25時間後だから、夜間(暗闇)の山小屋滞在9時間として平均時速5キロ半で歩く必要がある。とすれば、入山直後の元気の良いうちに平均時速8キロは稼ぎたい。悪くても平均時速6キロは必須だ。
 歩き始めの30分は予想通りの路面である。渡板の失われた湿地が2〜3ヶ所あったが、これは良くある事で大した悪路ではない。日本の山路だって似たようなものではないか…始めの数kmさえ難路を我慢すれば、そのあとは往々にして乾燥した山路になってくれるものだ。
 でも、楽天的予想はむなしかった。いま履いている靴…ツンドラでの常識たる長靴ではなく普通の運動靴…の許容範囲をはるかに越えている。否、仮に脛まである長靴を履いたところで小川ごとにはストップせざるを得まい。悪路以上の何かだ。ともかく、入山から2時間の間、相当頑張ったにも拘わらず、まだ10km程しか来ていない。坂のない平坦道でこれだ。このコースに比べれば、あれほど悪路の(と昨年は思っていた)本道も高速道路に思われる。かような超悪路は、普通なら、ちゃんと長靴なり合羽なりの悪路対策を施して、ついでに食料も充実させた上で、余裕ある日程を組んで挑戦すべきものである。今日のような「思いつき山行き」の超軽装で無闇に前進するものではない。にも拘わらず、終バスのチャンスを無視して前進を続ける。いくらストレスに駆り出されたとはいえ、ストレスだけでは、こんな無謀には至るまい。実は他にも理由がある。
 (1)裏道や近道における多少のハンディーキャップは無意識のうちに折り込み済みで、私のようにこの山塊に何度も入ったことのある人間にはとっては、むしろ挑戦の対象という面も持つ: 『バラエティーに富んだ山塊だからこそ、こういった悪路に挑戦できる。』
 (2)面倒だったら約20km先のビスタス小屋で泊まって、明日同じルートを戻る事も可能である: 『どこに行っても山小屋があるからこそ、多少の無理も効く。』
 (3)ビスタス小屋の2km手前で、左に岐かれてケブネカイゼ山荘方面に向かう高原ルートが存在し、途中適当に山小屋があるから、そこを経由して明日ニカロクタに戻る事も可能である: 『ネットワークが充実しているからこそ、自由に予定が変更出来る。』
 (4)雪解けで道のぬかっていた7月に、同僚+1が逆コースでスピード縦走したばかりで、その時の同僚のタイムが30時間、もう一人に至っては十数時間だったから、私の足でこの季節なら、1日(=25時間後に汽車が出る)で縦走出来ないはずがないという確信ある: 『ルートに関するデータが豊富だからこそ、未知への不安が少ない。』
 (5)森林限界ぎりぎりで、しかも真っ直ぐなU字谷だから、道に迷う心配が無い: 『常に眺望がきくからこそ、安心して山奥深くに入り込める。』
 (6)たとい食料不足に陥っても、40km先のアレスヤーレ小屋に山食品が置いてある事は昨年確認済みである: 『世界で最も整備された自然歩道だからこそ、いざと言うときの不安すらない。』
 (7)たとい野宿になったとて、ラップランドには蛇も熊も野良犬もおらず、霊長類ヒト科と云う尤も凶暴な動物すら、ここでは常に親切になる: 『危険な動物がいないからこそ、寝る場所に困らない』…もっとも、この可能性だけは全然考えてはいないが…。
 という訳で、日本の感覚ならありえない決断も、この山塊なら可能となる。とはいえ、異常な選択であることには変わりない。

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 地図によると、ビスタス小屋までに鉄橋が2ヶ所ある。1つ目が小屋までの3分の2弱の地点(約20km地点)で、2つ目がその3キロ先。当地の山地図は、日本の4倍も粗い十万分の一縮尺だが、地形(なだらかな丘とU字谷)と植生(森林限界ぎりぎり)との関係で、それでも十分に用が足りている。だからこそ、アビスコ⇔ニカロクタのような長距離が一枚の地図で済んでしまうのだが、かくも大ざっぱな地図でも、鉄橋だけは全てしっかり記載されている。それほどに橋の情報は重要だ。というのも、ツンドラ草原や岩山が大半を占めるこの山塊では、地図上の道を無視して勝手な方向に真っ直ぐ歩くことが多く、通れないのは傾斜の急な崖(これは地図ですぐわかる)と大きな川だけだからだ。特に鉄橋の記載されている川は、橋以外では渡れない。ただでさえ冷たい流れが深い急流を作っており、無理に渡れば溺れ死ぬか凍死の危険が高い。いくら自由歩行の山塊とはいえ、川の渡渉地点だけは押さえておく必要がある。
 今回は正規ルートを通っているから川や崖によるどん詰まりの心配はないが、それでも橋はありがたい…行程の良い目安になるから。スケールの大きな、悪く云えば変化の少ないU字谷の山路においては、目安になるのは人口建造物ぐらいなもので、その殆ど唯一が(山小屋を除けば)鉄橋なのだ。もちろん地図を丁寧に読めば、どこに立っていようと大ざっぱな現在地は割り出せるが、常に1〜2kmの誤差は免れず、とても「**合目」という区切りの良い気分にはならない。
 山奥に入るにつれて道はますます悪い。橋なし川は丸木を渡れば済むが、湿地はそうは行かない。長靴ならバシャバシャと平気で踏み込めても、普通の運動靴だと、水の浅そうな石や草を捜しながら、それこそ飛び石ずたいにトントンと進まなければならない。はやる心を押さえて、注意深く「安全な」飛び石ルートを捜す。もちろん、時には草地の水たまりを見損なう事がある。飛び損ねる事もある。かくて靴が泥をかぶり、靴下も濡れ始める。それでもひたすら我慢我慢。
 でも、とうとう我慢が切れて、確認不十分なまま飛び石を跳んでしまった。バシャッ! 靴と靴下が完全に濡れる。あ〜あ、やってしまった。泥んこだ。
 昨年7月の忌まわしい思い出が頭をよぎる。ニカロクタ→アビスコの本道の方を2泊3日で縦走した2日目、残雪や雪解け水で靴下が完全に濡れたのをそのままにして豆を作ってしまった事だ。しかも替え靴下がアメリカ製の安物だった為に足の裏全面が豆になってしまい、その痛みを無理して歩いた3日目には豆の下に更に新しい豆まで作ってしまった。靴下は馬鹿に出来ないという教訓だ。だから替え靴下はアウトドア用の高級品(といっても一足千円だが)を数足持ってきている。
 ただし、果たしていま靴下を替えるべきかとなると話は簡単ではない。靴が濡れているから替える意味が殆ど意味がないし、第一この悪路では、この先何度も靴を濡らすことになるだろう。もちろん、替え靴下を使いながら同時に濡れた靴下を乾かして、それが乾いた時点で再使用すると云う手法があるが、これは泥路では逆効果である。というのも、泥が少しでも残った靴下は乾いた時点でごわごわとなって、濡れてふにゃふにゃになった足先を擦る。昨年の豆の原因の半分以上がこれなのだ。その徹は踏むまい。小川のほとりで、洗って、絞って、そのまま再使用する。これが良いかどうかは分からない。一種の実験といえよう。問題と言えば少し冷たい事だが、困る程ではない。豆が出来ないことを祈るばかり。
 それにしても人に会わない。いくら裏路とはいえ、一応はビスタス小屋に向かう一番大きな路なのだ。それなのに、初めて逆向きのハイカーに出会ったのが入山3時間後。しかも連中…単独と老夫婦の3人ばかりだが…は、テント持参の重装備である。山小屋のネットワークは確かに充実しているが、そもそもが日本の山塊とはスケールが違うのだ。当然、テントを張るのも全くの自由である。ただし、この自由だけはラップランドに限らない。
 スウェーデンの法律によると、いつでもどこでも(私有地ですら)キャンプする権利が万人に認められている。ルールはプライバシーを侵害しないことと、24時間以内に立ち退くことだけ。その24時間ルールすらもちろん単なる原則である。ましてや単に私有地を突っ切るのは(生産活動を邪魔しない限り)全くの自由。例えばオリエンテーリングという北欧起源のスポーツがあるが、これは野山を真っ直ぐに突っ切るという原則のもとに成り立っている。
 自然の中を自由に歩いたりキャンプしたりする権利は、昔の日本にもあった。今でこそアメリカの悪影響で、自然豊か林野を「私有地」と称して柵で囲う連中が(大抵はゴルフ場やスキー場関係だけれど)日本にも出てきたが、そもそも「自然」はコミュニティーの財産であって、資本主義における「土地の私有」の「土地」は、何かを生産する為の手段としての土地に過ぎず、土地に付随した景色や自然まで私有を許したわけではない。これは東洋でも西洋でも共通の認識だった筈である。しかるに、これを法律として明文化した土地は北欧だけだ。「自然享受権」という。日本で一時期脚光を浴びた「入り浜権」はその一部に過ぎない。自然や景色を私物化するアメリカ型資本主義と、それを共有する北欧型資本主義。そのどちらに今の日本は近いのだろうか?

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 ビスタス小屋までの中間点を過ぎても悪戦苦闘は続く。靴下は何度も濡れ、何度も絞っては再着用している。足がふやけては大変なので、靴下を絞る度に足も拭いて2〜3分乾かす。そもそも長靴で来なかった罰だ。標高は依然として入山地点と同じなのに、体力だけは確実に消耗していく。この分だと、ただでさえ遅い行程がますます遅くなろう。切り札の赤飯を食べて、なんとかペースを保つ。もっとも、良いことが無いわけではない。1つ目の鉄橋の手前、突然目の前に赤紫の花畑が広がった。釣鐘草の素晴らしい群生だ。いつもながら美しいものはとんでもない所に隠されている。心洗われる思いを花畑に預けて、1つ目の橋に着く。午後4時過ぎ。20km余りに4時間半もかかっている。少々焦り始めた。と云うのも、裏道だけに山小屋が少ないからだ。
 本道なら12〜15kmおきにある山小屋も、ここでは1つ目が入山地点から35km弱(ビスタス小屋)、その次までが17〜18km(アレスヤーレ小屋)、更にその次までが20km 強(アビスコヤーレ小屋)と離れている。だから、今夜泊まるとしたら、ビスタス小屋かアレスヤーレ小屋だ。ところが、前者だと明日の行程が55km近くとなって、とても昼の汽車までに終点アビスコには着けまい。一応その5時間後にもう一本だけ汽車があるが、日帰りの装備で2日目の夕方まで歩くのは気が引ける。第一、明日の行程のほうが今日の行程より20kmも長くなると云うのからして嫌ではないか。だからこそ、入山以来ずっとアレスヤーレ泊を目指して頑張ってきたのだ。でも、今はまだアレスヤーレまでの中間地点にすら至っていない。日は既に傾きかけている。夏の白夜とは違って秋分近くの9月上旬となると8時には暗くなるのだ。不幸にして懐中電灯はアパートに残したまま。今夜はどうしよう。ビスタス小屋に泊まるべきなのだろうか?それとも、行けるところまで行くべきなのか?
 2つ目の鉄橋に夕方5時過ぎに着く。暗くなる前にアレスヤーレ小屋に着く可能性はますます低い。靴下と足を乾かしながら、地図を開いて今後の方針を考えた。
 今夜は満月だから、月明りを頼りにアレスヤーレまで行けるのではあるまいか。これから先は峠道のツンドラ帯だから、山路を照らすには月明りで十分だ。だが、不幸にして、この時期の満月は南の地平線近くにしか出ない。ここは北緯68度なのだ。太陽のみならず月の高さも全然違う。だから山かげに隠れる可能性が高い。空には雲まで出ている。月に期待するのは難しい。
 ビスタス小屋とアレスヤーレ小屋の途中に、どこか泊まれるところは無いだろうか? 簡易小屋があれば一番だが、それほど上等でなくても夜露を凌げれば良い。例えば、トナカイ放牧をしている原住民が泊まる「ラップ小屋」という土のかまくらがある。まるで土饅頭だが、夜露を凌ぐぐらいは出来るだろう。地図で調べるとアレスヤーレの4〜5km手前、峠の上に1つだけある。ここからまだ20kmほど先だ。今のペースだと9〜10時頃になろうか。それまで夕方の残光が果たして残っているかどうか。
 問題はこの先の道の具合である。ここまで異常にペースが遅いのは、すべて湿地と川のせいだ。でも、これから先は高度が高くなるから、乾いた道が増えるだろう。とすればチャンスはある。ともかく、ビスタス小屋まで頑張って、それから距離と夕闇とを天秤にかけても悪くはあるまい。
 午後6時40分。入山から7時間たったのに、まだビスタス小屋に着かない。平均時速5キロすら守られていない勘定になる。さっきの橋から後の行程が全然はかどらなかった為だ。悪路は依然として厳しい。お先真暗。これではいけないとい楽観材料をさがす。ある、ある、1つだけ良い事がある。足先の具合が非常に良い事だ。濡れ靴下ながらも、靴下が良いのか固く絞っているのが良いのか、足にすっかりなじんでいる。この分なら、行けるところまで行っても構うまい。そう思った頃、いきなりビスタス小屋についた。不幸なタイミングだったといえよう…止まる心構えが完全に出来ていないから。慣性で真直ぐすすむ。6時45分。
 せっかくの待望の山小屋、しかも完全に孤立した山小屋に、既に暗くなり始めた時分に到着したのに、それを、懐中電灯もテントも持たずに通過してしまうなんて少々無謀の気があるが、ただし、無条件で山小屋をパスした訳ではない。いくら強引な私でも、そこまでの無茶はやらない。この先の偵察がてらに少し進んでみたのである。この泥々の悪路がどこまで続くか、どうしても気になる。ここで一旦止まってしまうと、ほっとした弛みでのんびりしてしまい、道を偵察したい頃には真っ暗闇になっているかもしれない。私のような重厚長大型のエンジンは、一旦火を落とすと、再始動するのに時間がかかる。
 ビスタス小屋を過ぎても悪路は続く。1kmほど歩くうちにまたも靴下が限界になったので、例によって「乾足」休憩にした。太陽はとうに山かげに隠れている。明るいのは、せいぜいあと1時間。もしも更にすすむなら、こんなところでゆっくり休んではいられない。今こそ即断即決が求められている時なのだ。今日中に出来るだけ距離を稼ぎたいという欲望と、日没という現実との勘案は、過去2時間に渡って頭を支配し続けてきたから、この天秤は既に簡素化されている。要は野宿(ビバーク)を是とするか否とするかだ。
 この天秤をビスタス小屋で考えたら、おそらくそのまま小屋の泊まることにしただろう。でも、ここだと違う。わずか1kmでも、とにかく来てしまうと、これから戻ってまた明日出直すのが億劫だ…なんせ酷い悪路なのだから。ついに「ビバークやむなし」の結論を出した。一応、山小屋か土かまくらになんとかたどり着く事を期待はしているものの、直感的にはビバークになるだろうと思っている。懐中電灯なしのビバークである。しかも私はかつてビバークした経験が無い。少々強引ではあるが、それが全くの無謀と言えないところに、この山塊の良さがある。

続く