火星探査機「のぞみ」関連の度重なる日本出張も(今年だけで7回!)おおむね収束し、9月に入ってやっとキルナに落ち着きました。とにかく、一回当たり3〜4週間の出張と出張の合間のキルナ「滞在」が平均2週間(最長4週間、最短5日!)だから酷い。故に今年は日本にいた期間の方がはるかに長く、研究は殆ど出来ずじまい。でも、かわりに長年の懸案だった出版(「生命の起源」に関する論文と、単行本「北極圏からの手紙」)を2つとも片づけ、「のぞみ」打上げと合わせて、肩の荷だけは下りました。
 「のぞみ」関連の仕事では、日本のやり方とスヱーデンのやり方の違いを痛感しました。それはトラブル対策(打ち上げ前の2月と打ち上げ後の8月)に大きく現れ、機械仕事が始めての私には良い勉強でした。日瑞どちらのやり方も「正しい」から話がややこしい。扱うプロジェクトのサイズの違い(日本の宇宙研は200億円規模の衛星プロジェクトを管理するが、スヱーデンでは1億円〜30億円規模)もありますが、それ以外に民族性の違いも効いているようです。それには、得意分野、個人管理と集団管理、トラブルがあった時の納税者(大蔵省や政治家)の反応、対策にかける時間など色々ありますが、一番感じたのが、個人の専門家を何処まで信用するかという事でした。
 スヱーデンでは、良いエンジニアは一生「職人」として第一線で仕事をします。今回のプロジェクトでも、現在64歳のエンジニアが当研究所担当の機器(最先端)の電気回路を全て一人で組みました。彼は研究所のエンジニア部門(約20人)の主任ですが、日本の管理職のように事務書類に煩わされる事はありません。あくまでエンジニアなのです。日本式の「昇進」=「部署や仕事内容の変化」と云う馬鹿な形式主義から全く無縁なまま40年間過ごし、それゆえ最先端のエンジニア技術を毎年学びなおす余裕が出来て、結果的に本物の職人となっています(注1)。
 だから、トラブル発生の時も、トラブルの内容さえ彼に告げれば、あとは彼が全て解決してくれる筈だと云う安心感があります。もちろん、たとい彼がいなくとも他のスタッフで何とか対策は立ちますが(このいわゆる集団対策が日本の十八番である)、現に餅屋が目の前にいるのに餅屋に任せない手はない。これは、学歴優先がゆえに一般職人を失いつつある現代日本には無い感覚かもしれません。
 ここで面白いのは、高齢かつVIPクラスの彼ですら、出張にはエコノミークラスを使ったと云うこと。 「のぞみ」関連で過去6年間に13回も日本に出張したうち、ビジネスクラスは一回きりで、それは今年2月のトラブルの際に、わずか20時間でトンボ返りする為に使いました。株・土地「ギャンブル」にうつつを抜かした挙げ句不良債権ばかりを残すような連中なら、赤字にあえぐ現在ですら毎回必ずビジネスクラスでしょうが、本当に現代技術を支えている連中は大抵こんなものです。
 話は変わりまして、「生命の起源」(正確にはプラズマ生物学)について。アイデアは既に7年前からあったものの、余りに大胆かつ平凡な内容なので時期尚早とばかり棚上げしていたら、数年前の火星化石「事件」(これは科学ではなくて事件)以来、宇宙生物学なる怪しげな名前の分野(注2)が急成長して、ようやく僕のアイデアを発表できる気運が生まれて、念願の論文に漕ぎ着けたと云うわけ。普遍な筈の科学にも時節というものはあります。で、その内容ですが、これは我がライフワークの一つなので、説明は別の機会に譲ります。
 もう一つの懸案たる「北極圏からの手紙」単行本(今までの雑文から3分の2ほど選び、ついでに地図や写真も加えた雑文集)は、2年前の夏に出版社へ原稿を渡したものの、ずっと放置されたまま今年春まで校訂すら始まらず、その後も遅れに遅れて、結局発売は私の日本滞在(8月上旬まで)に間に合いませんでした。でも、幸か不幸か8月後半にもう一度日本に行く羽目になって、その時やっと完成品を拝みましたが、帯は酷いし、宣伝の為にと8月頭に準備しておいた(大学生協等への)手紙と配布リストは棚上げにされたままだし、全く締まらない話ですが、この、商売っ気の無いのんびりさ加減が、逆に宮崎の良さとも云えます。そういう訳で出版社は販売活動をしておりません。
 なお、日本の本の流通機構というのは日販のほぼ独占状態で、日販と契約していない地方出版社は疎外されること甚だしいので(注3)、宮崎市以外の書店では注文以外に入手方法が無いかも知れません。にもかかわらず敢えて地方出版社を選んだ理由については本書の「ウルバノビッチ」を読んでいただければ分かります。
1998年8月 山内正敏

 注1)日本の文部省にはこの発想が全然無く、「職人不要説」なる珍妙な考えのもとに大学や研究所から有能な職人(技官)が年々失われ、その穴を埋めるべく研究者に研究以外の仕事が押し付けられている。結果的に日本の研究環境は(政府の「予算増加」宣伝とは裏腹に)年々悪くなっているので、現実問題として有能な研究者が次々に企業へ逃げる現象が起こっている。
 注2)元来は非常に真面目な赤外線天文学・星間高分子化学だったが、「生命」という名前をつけた途端にマスコミがたかってきたと云う、まさに社会生態学の好例。
 注3)丸善や紀伊国屋などの大本屋に置いてないのはまだましな方で、生協で全国唯一取り扱っている宮崎大学生協すら3冊しか入荷しなかったそうです。また、注文も時間がかかって、丸善や大学生協で3週間、紀伊国屋だと1ヶ月以上待たされます。日本では知的情報すらごく一部の組織によって管理されているらしい。