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Kungsleden スキー旅行 / 1992年4月 

山内正敏

 スウェーデン人の真似をして春の大型連休=復活祭(ポースク)にスキー旅行に行って来た。
 北部スウェーデンでは、復活祭の4連休(金ー月)の、その少なくとも一日を山で過ごす事(もちろんスキーする為)が半ば常識となっている。特に私の様な若者なら必須に近い。それを何もせずに4日間とも町に居たのでは、へたすると気違い扱いされかねない。日本人から気違い扱いされるのは何とも思わないが、キルナ住人から「ありゃ気違いだ」などと思われては少々困るので、ここは常識に従って何処かへ日帰りで出かける事にした。実を言えば、まだ車の免許を持たず、しかも体調に不安がある今年は、あまり出かけたくなかったのだが・・・。
 車を持たない私に行ける範囲は限られている。日帰りとなると鉄道沿いしか考えられない。バスは休日は一往復しか運行してないので、行くとなると泊まりがけになるが、汽車だと一日三往復もあるから一日だけでもたっぷり楽しめる。結局、百キロ程離れたアビスコ(Abisko)でノルディック・スキーをする事に決めた。ここは「将来のオーロラ観光客誘致の最有力候補地」とかねてから私が踏んでいる村で、オーロラ以外のアトラクションも多く、春先にはスウェーデン中からスキー客(ダウンヒルとノルディックの両方)や釣り客(アイス・フィッシング)がやってくる。
「お前は何処に行くんだ」
これは北欧随所で聞かれる質問(日本のゴールデン・ウイーク前と同じかな・・・)だが、これに対して、私が「アビスコに行く」と云う無難な答えを得てほっとしていると、更に余計な事を尋ねて私をそそのかす友人がいる。
「じゃあ、ニカロクタ(Nikkalokta)まで行くのね?あのコースは素敵よ」
「山小屋に泊まるのかい、それともテントで寝るのかい?」
 スウェーデンでもっとも代表的なスキーツアー・ルートの一つにアビスコ→ニカロクタの通称「王道」(110 km)があり、私のスキーの実力から言って、これを走破するのは簡単な筈だというのだ。聞けば
「アビスコの日帰りコースは最長でも片道13kmしかないわよ」
という話で、この春すでに30kmと24kmのレースを完走している人間にとっては確かに日帰りコースはもの足りない。せっかくアビスコに行くのなら、この際スウェーデン式の山小屋とか云うものも経験して、将来のオーロラ観光客誘致の際の広告文作り・・・どうせ私がやらされるのだろう・・・に備えておくのも悪くはなかろう。泊まれるものなら山小屋に一泊ぐらいしてみるか、と段々気が変わって来て、ついでだから例のアビスコ→ニカロクタの走破もやってしまえ、という気分になってしまった。ノルディック・スキーの選手は50kmのレースを2時間余りで完走する。私だって一泊すれば百キロ余りのコースぐらい走破できない事もあるまい・・・。もちろん40kmを2時間余りで完走するマラソン選手といえども、バックパックを背負って山道を歩くとなれば、必ずしも一日に40km行けるとは限らない訳で、それを考えれば今の私の見積りも非常に甘いのだが、まあ、駄目だったら引き返せば良いだけのことだ。

 と云う訳で、当日朝7時の汽車に乗って出かけた。バックパックは出発の前日にあわてて購入したという代物。外に括りつけてあるスコップもそうだ。他に旧式のテントやポールまでが不格好に外に括りつけてあるので、誰が見てもスキー・ツアー客だと云う事は一目瞭然だろう。汽車は片道93kr(週末割引料金)で、往復でもあまり値段は変わらないらしいが、車掌が忙しそうだったので詳しいことは聞かずに片道切符にする。これは後で知った事だが、日帰りなら片道も往復も同じ値段で違っていたとしてもほんの3~5krらしい(注:この往復サービスは1996年に廃止され、今は往復は単純に片道の2倍)。
 汽車は一時間半でアビスコに着く。スキー客は結構多いのに、アビスコで降りたのは私の他には夫婦連れが一組だけである。そういえば、昨年ナルビクまで日帰り旅行した際、同じ日(復活祭連休初日)の同じ汽車に乗ったっけ。その時の記憶をたぐり寄せると、次のアビスコ・ツーリスト駅(そういう名前の駅がある程だから、アビスコがどういう村だか想像がつくだろう)での降客が多かった。・・・まあ、私にとってはどちらでも同じ事だ。これから入って行く谷は木々の疎らなU字谷で、どこからスタートしても2~3キロ先では一つになる筈である。日本の山登りでこれをやるとひどい目に逢うが、北極圏では雪嵐ででも無い限り入口で道に迷う心配がない。案の定、十分ほど歩いたら正規コースにでた。
 この正規コースは、確かに「正規コース」と言うに相応しい代物だ。約50m毎に踏切マークの様な×印の標識が立っていて、あいまいさの微塵も無い。これほど道標の整備された山道は、日本ではお目にかかれないのではないか?成程、雪嵐の名所でありながら遭難者が殆ど出た事がない筈だ。とは言え、もちろん此処の雪嵐を馬鹿にしてはいけない。聞くところによると、昨年の復活祭連休の時の大嵐ではこの道標すら見えなくなったと云う。その為、何十組ものパーティがまる一昼夜消息を絶ったそうだが、いずれもテントを張って息をひそめていただけであって、翌日元気にスキー・ツアーを再開したとの事である。まあ、今年はそんなに酷い事は無かろう。少なくとも今は晴天で風も弱い。
 キルナでスキー・コースと言うと必ず二本溝が掘ってあって、その上を滑って行けば良いようになっているが、山ではそこまで整備されていない。大抵はスノー・モービルと共用で、溝が無いどころか雪面自体も凸凹が多く、足もとがいつもぐらつく。この違いは、例えば陸上競技トラックと砂浜との違いの様なものだ。しかも背中には荷物・・・20kgぐらいだろうか・・・があって上手くバランスが取れない。歩くのとはどうも勝手が違う。こういう所を滑るには幅の広いスキー板に限る。そう気が付いたのは後の祭りで、迂闊な私はいつもの細いスキーで来てしまった。そのほうが軽くて速いだろうと思ったからだが、これは浅はかな考えだったらしい。キルナで滑るのなら雪面の如何に関わらず確かに細いスキーの方が楽なのだが・・・。とかくに荷物はやっかいだ。
 しばらく行くとハイキング風の団体に会った。オバサン・オジサンばかりの一行を、年配の案内人らしき人がしきりにしゃべりながら先導している。アビスコ山荘に泊まっている連中向けの「スキー散策」であるらしい事は明白だ。せいぜい10km程度滑るだけのだろう、と日本風に思いながらさっさと抜いて行く。後から知った事だが、この一行は往復26kmの標準コースを一日がかりで滑ったらしい。さすがスウェーデンだ。

 1時間ほど滑ると川の上に出た。遮るものが無くなって景色が良くなるのは嬉しいが、風通しまで良くなるのはあまり有難くない。ただでさえスキーに向かい風は大敵だと云うのに、今や荷物までが帆の如く風を受けて、前に進むのもバランスを取るのもしんどい。その上、体の熱まで奪ってしまうので、体力の消耗が普段の数倍も激しい。しばらくこの風と格闘していたが、どうも段々強くなって来るように感ぜられる。ここで考えた。いま風はきっと5メートル毎秒である。さっきも5メートル毎秒だったに違いない。つまり現実に風が出てきたのではなく、体が疲れてきて風が強くなったように錯覚したのだろう・・・。
 数字に振り回されて正しい数量感覚が失われている。私にとって大切なのは、この風が私にとって強い風なのか弱い風なのかという事であって、それが毎秒5メートルであろうが毎秒10メートルであろうが、どうでも良い事なのだ。数字というのはあくまで強弱の目安に過ぎない。毎秒15メートルでも楽に感じるのであればそれで良いのだし、毎秒3メートルでもきつく感じるなら、それは強い風と言うべきだろう。錯覚を理性的に修正しようなどとするから、このように思考が非実用的になってしまった訳だが、この悪癖・・・何でも数字化したほうが『客観的』で正しいだろうという考え・・・は私の職業がら一生直るまい。が、別に直らなくてもかまわないだろう。この悪癖を持つ石頭は私だけでは無い筈だ。現に最近の裁判官ときたら法律の条文にとらわれすぎて、一般感覚に反する判決をしょっちゅう下しているし・・・。
 山に必ず川がある如く、川の向こうには必ず湖が待っている。泉ではなく湖である。これは当地では常識だ。湖の風は強い。あえぐように湖を渡る。湖の上だから風が強いのか、それとも本当に嵐の前ぶれとして風が強くなって来たのかは定かではないが、とにかく私の体験としての風が強くなったのは『客観的』にみても事実だろう。風にあおられると疲れる。疲れると見通しが悲観的になる。すると、心なしか雲まで出てきたような気がする。
「こりゃ、日帰りツアーにしておけば良かったかな」
と後悔したが、幸か不幸か、汽車の片道切符は片道にしか通用しないと思い込んでいたので(注:今は片道にしか通用しない)、ここで予定を変更して日帰りにするともったいない気がして、とにかく行けるところまで行く事にした。

 勧善懲悪の三文小説ではないが、山に必ず展望台があるが如く、苦労の後には必ず安息の喜びがある。湖を渡るとそこは一つ目の山小屋、休むに最適の場所だ。ここで初めて腰をおろし足を延ばす事ができる。雪の上ではすわる事も容易でない。
 今回私の滑るアビスコ ~ ニカロクタはスキー銀座とでも言うべきコースで、山小屋が12 ~ 14kmおきに点在しており(ただし一ヵ所だけ例外的に23km離れている)、しかもどの山小屋も予約なしにいつでも利用できる。友人も
「山小屋にはベッドもあるし、色々な人に会えるし、それに、行けば絶対に泊めてくれるから安心よ」
と山小屋をほめている。スウェーデンの法律によると山小屋は客の宿泊を断ってはいけないそうだ。ベッドが足りなければ床にごろ寝、それが小屋いっぱいになって足の踏み場がなくなっても(そんな事は絶対にありえないのだが)、やはり新しい客の宿泊を拒んではならない。宿泊すら断れないのだから休憩なら尚更の事だ。つまり、絶対確実な休憩所と言える。
 一つ目の山小屋・アビスコヤーレ(Abiskojaure)には11時過ぎに着いた。ここは日帰りコースの折り返し地点でもあって、アビスコからは13km(地図の解説では15km・・・こういうのは、自分の速度を知り今後の予定を立てる上で非常に困る)しかない。それに2時間半もかかった事になる訳だから、この先が思いやられる。小屋に着くと管理人が出てきて
「今日は何処までいくの?」
と尋ねて来た。口調からするとアビスコに戻る客かと思ったらしい。私が
「とりあえず次の山小屋まで」
と答えると、管理人は
「この風じゃ大変よ。いっその事、ここに泊まったら?」
と云う。この言葉にはさすがに驚いた。私の当初の予定では、出来れば一気に60km走破してしまおうと云う魂胆で、いくら先程からの風に閉口しているとは云っても、せめてその一つ前の山小屋(47km地点)までは行きたいと考えている。それを、たった13kmで止めてしまうなんて馬鹿げている。風があるとは言え、空は晴れているのだから、むろん私は昼食後すぐに出かける積もりだ。が、管理人は土地のベテランである。この言葉は馬鹿には出来ない。もしかすると、今日は47km地点の山小屋も断念して、すぐ次の山小屋(36km地点)で我慢したほうが良いのかもしれぬ。
 昼食はインスタントの赤飯。私の過去のマラソン(=アラスカの登山フル・マラソン)や登山の経験からすると、モチ米ほど腹もちの良い食べ物はない。理由は知らないが、とにかくそうである。この話をキルナの友人(=スキーの名人)にして、ついでに
「北欧じゃ長距離スキーレースの前には何を食べるんだい?」
と尋ねたら、
「朝スパゲッティを食べるんだ。あれが一番腹もちが良いからね」 と云う答えが返って来た事がある。成程言われてみれば似てる。とすれば、イタリア人は『餅』小麦ばかり食べている事になるのかも知れない。

 次の山小屋はアレスヤーレ(Alesjaure )と云って、地図の解説によるとここから20km先(実際には23 ~ 24km)にあるらしい。この区間だけが異常に長い。加えて前半が上り坂、後半が湖ときている。登りは私の得意とする所だが、今日は荷物があるから何とも言えない。湖については今しがた苦しめられたばかりなので、これは言うまでもない。まあ、4時間かかると云った見当だろう。そう思いながら出発しようとした間際に、アレスヤーレからのスキー客が到着した。私を見るなり
「アレスヤーレまでいくのかね?追い風で下り坂の俺ですら4時間かかったのだから、君は最低でも6時間覚悟しなければならないぞ」
と言っておどす。
 急坂を快調に登る。木が遮ってくれるのか、風がないのが嬉しい。が、可成り登りつめると、いきなり木がなくなって、急に足が重くなった。森林限界だ。夏に来たら気持ちの良いところに違いなかろうが、今は逆だ。風通しの良さが恨めしい。登りと風と荷物のすべてが私を後ろから引っ張り、ややもすると転倒してしまいそうになる。こんな時は、無理するよりもさっさと横に転んだほうが安全なので、実際そのようにすると、今度はなかなか起き上がれない。急坂が終わっても坂はまだ続く。見通しが更に良くなって風はますます強い。いつの間にか空からは青いものが消え去り、雪さえ降り始めた。俗に云う雪嵐の状態に近い。空も山も地面も白・しろ・シロ。人間の目は光の陰陽に反応するものだから、こうも一様に白くては、陰の無いところに陽は無し、何も区別できなくなる。もはや足もとすら良く見えない。
 向こうからはアレスヤーレからのスキー客が脇目もふらず降りてくる。とてもスキーを「楽しむ」と云う風ではない。やがて私が1時間目の休憩をとっていると、スキー客の一人が親切にも
「装備はしっかりしてるか?いつ大嵐になってもおかしくないぞ」
とか
「無理せんと引き返した方がええ」
と言ってきた。・・・そう、無理なら引き返せば良いだけのことだ。緊急時の装備だってある。このくらいの風雪なら私は平気だ。しかもスノー・モービルが頻繁に(20分おきぐらいに)走っているので、いざと云うときですらどうにでもなるだろう。
 それから30分程滑ると、だだっ広い所に出た。突然風が冷たい。視界も悪くなって、今や200 ~ 300m先がやっと見える程度だ。こんな酷い嵐はキルナでも年に2 ~ 3度しか無いだろう。友人の話によるとスキー・ツアー必需品は
「防寒寝袋と食料・着替え・非常用テント」
だそうだが、成程この天気では、いくら山小屋に泊まるつもりでも、テントは必需品だろう。持ってきたのは正解だった。そうは思うが、私のテントときたら、旧式の3 ~ 4人用なので、やたら嵩張って重い。コンパクトな一人用テントの必要を感じた。重いのはまだしも、こうも嵩張っては逆風をまともに受けるから、それが苦しい。テントさえ無ければ次の山小屋まで簡単に着くのだがなあ、とついボヤいてしまう。それでも今回はコンロや鍋を持ってきていないだけマシと言えよう。これらは(ついでに食器も)山小屋にあるから要らないそうだ。単独行の時は全部一人で持って行かなければならないので、少しでも荷物が軽減出来るのは有難い。

 山小屋を出て2時間半。地図に依ればやっと中間点だ。2回目の休憩を取る。リュックを風上側に立てて、その陰に隠れながらチョコレートを食べる。風はどうしようもなく強い。この分ではアレスヤーレまであと3 ~ 4時間はかかりそうだ。そもそも楽しいからスキーをするのであり、楽しそうなコースだったからこそ行ってみようかと云う気になったのであって、こんな嵐の中を滑っても何の面白味もない。危険だとは思わないが、さりとて無理して更に進む価値も無いように思える。嵐の中をすべると云う経験は十分にした。これだけ苦しめば話の種としては申し分あるまい。ニカロクタまでの全コースは今回断念しても、来年走破すれば良かろう。
 そう思っておいてから更に前に進んだ。これを誰かが『慣性の法則』と言った事がある。私もそう思う。5分程で最後の丘を越えて湖のほとりに出ると猛烈な風雪となった。瞬間「アホらしい」と思って引き返した。私が決断してそれを実行する時は大抵こんなものだ。やがて、先ほど私が抜いた親子連れに出会う。彼らはアレスヤーレまで行くと云う。ご苦労な事だ。私よりも遅い連中だから、あと4 ~ 5時間も歩くつもりなのかな。まあ私の知った事ではない。
 先ほど急坂を登って来た訳だから、今度はそこを下る事になる。幼稚園生でもわかる道理だ。しかもスキーで下り坂なのだから楽な筈である。が、時として世の中はそれほど甘くない。坂は急坂、路面は・・・雪が風で吹き飛ばされて・・・コチコチのツルツル、しかも追い風ときている。とてもじゃないが、私の細いスキーではスピードがコントロール出来ない。結局スキーをはずして担いで降りる羽目となった。テレマーク・スキーで来なかった罰だ。それでも行きの半分の時間でアビスコヤーレの山小屋に着いたのだから、風のすごさが良くわかる。小屋には行きしに出会った連中が外で薪割りをしていて、その誰もが
「矢張り帰って来たのかい。それは良い判断だ」
とか言って慰めてくれた。

 ここアビスコヤーレの山小屋は二つの部分に分かれていて、それぞれに寝室が付随している。私がその一つ、あまり込んでいない方(立てかけてあるスキーの数でわかる)に入って行くと先客がいた。熟年の穏やかな顔をした男と、その子と思しき、子供と大人の中間ぐらいの娘である。私はこの父娘が気に入った。父と娘が気に入ったのではなく、この二人が一組として気に入ったのである。理由もなくその雰囲気が気に入ったのである。私には殆ど直感でものを判断する傾向がある。もちろん、この癖ゆえに痛い目に逢った事は何度もあるのだが、それで懲りないところが私だ。聞くとアビスコの住人で、先週末から約二百キロのスキー・ツアーを殆ど終えて、明日はアビスコに帰るばかりだと云う。成程、気に入る筈だ。我ながら我が直感は正しかったと安心する。当然の成り行きとして雑談する。但し何を話したかは全く覚えていない・・・雑談とはそう云うものだろう。
 キルナの友人によれば
「山小屋では毛色の変わった人と話が出来るから面白いわよ」
との事だが、確かにこうやっていろいろな人と話をするは山小屋の楽しみの一つだと思う。スウェーデン語の携帯辞書を持って来なかった事を後悔した。持って来ようと思っていたのを、つい忘れてしまったのだ。・・・完全装備のつもりだったが、残念ながらそうではなかったらしい。
 山小屋は古典的(食事=自炊型の)ユース・ホステルのようなものだ。・・・水くみ・薪割り・ストーブの管理など、すべて宿泊人が自主的にやるもので、当番だとかいったものすらない。お仕着せのミーティングなんかしなくても、見知らぬもの同士が自然に談笑する。寝室は6 ~ 14人ぐらいの部屋がいくつかあって先着順に好きな部屋&ベッドを取る。ベッドに毛布が一枚置いてあるところまでユース・ホステルそのものだ。日本のユースとの違いは特製シーツの代わりに寝袋を使うと云う事だろうが、これにしてもアラスカのユース・ホステルとは同じである。ただ一つだけ決定的に違うこと・・・成程やはり山小屋だなと驚いたことがある。・・・「男女同室」だ。
 現実問題として考えるなら、あまり不思議ではない。それほどに夫婦客が多い。女性だけのグループも勿論あるが、大抵は(スキー・ツアーの)経験をつんだオバさまたちで、まあ、危険(?)は無い。若い女性だけのグループ・個人があったとしても(今回は出くわさなかったが)、そんなのはチョッカイを出した方が大怪我をするような猛者に違いないから、夫婦客や家族客の便を考えて男女無差別の部屋割りになっているのだろう。で、その夫婦客だが、観光地なんかで見るとやっかみ半分に「世界は二人の為にあるに違いない、勝手にしてくれ」と言いたくなる様なカップルも、こういう場所で見ると利害そっちのけに「ああ、いいなあ」と素直に感心してしまう。ましてや「スキー旅行が新婚旅行」などという連中は羨ましい限りだ。私もあやかりたい気分ではあるが、日本人相手だとしたら、まあ難しいだろう。
 ストーブは薪ストーブで、これはアラスカでもお馴染みだ。但し、いつも友人が使うのを見るばかりで、実際に火をつけて管理するのは今回が初めて。こう云うものは理論よりも実践である。実際にやって見ないと、なぜ薪の皮をいちいち剥ぐのか、いかに簡単に火がつくか、一本の薪でどのくらい効率よく暖まるか、その他いろいろな事がそう簡単に分かるものではない。やってみると実に良く分かる。面白い。

 夜、地図を見る。既にニカロクタまでの全コース完走は断念したので、明日の予定を考えなければならない。外は嵐が吹き荒れている。この嵐が明日も続けば諦めて帰るしかないが、もしも止めば、めぼしいコースは他にもある。明日ここに荷物の大半を残し、純粋に40 ~ 50km程スキーだけをして、その後ここで荷物を取ってアビスコに帰る・・・これが楽しそうだ。が、いま一つ乗り気になれない。嵐の場合が怖い。やはり荷物と苦楽を共にするのが正当と思われる。何処で一泊しても構わないぐらいの気分でないと前に進むのはまずかろう。それに、実を言えば今日断念したアレスヤーレに再挑戦したいと云う未練がある。・・・荷物を持って、昼までに行ける所まで行ってそこで引き返したら、アレスヤーレに行けて、かつアビスコで最終の汽車にも間に合う筈だ。そこまで決めて夜は早々に寝た。寝室は既に満員となっている。
 明けると、皮肉なぐらいの好天である。一番に起きてストーブをつけリュックの整理を済ませた頃、昨日の父娘が起きてきた。朝食を終えて出発準備をしながら今日の予定を話すと
「そりゃ、君、ニカロクタまで行かない手はないよ」
とそそのかす。のみならず、・・・好意というものは以心伝心に通じるのか、その見返りとして・・・食料を「もう要らないから」と提供してくれた。嬉しい。これで予備日が一日増える。

 快晴の無風である。昨日と同じコースだと云うのに、景色は雲泥の差だ。昨日、私が猛風に閉口した所・・・そこはやはり高原だったのだが、そこから見る湖や山はとりわけ美しい。加えて、昨日の嵐による天然の雪像があちこち立っている。高さ1mもあるそれら雪像は、それだけで現代抽象彫刻を遥かに越えていると思われる程だが、更に、真横からの朝日を照り返して雪原の数倍も白く輝く姿は、我が目を疑ってしまう程に非天然なものだ。もしもこの姿がそのまま絵葉書になったとしても、私は「なあに、人工照明か何かさ」と言って天然物とは信用しないであろう。が、現に目の前にある。我が目を信じるしかない。カメラがあれば、と一瞬思ったが、スキー旅行では携帯用のカメラぐらいしか持って来れないだろうから、とうてい役に立たない事は明らかだ。
 言わば流体力学・・・風と雪の相互作用・・・が芸術を作り、固体物理・・・光の反射率・・・がその芸術を更に高めている。こういうものは一日見ても見飽きまい。つくづくと見ながら「ああでもない、こうでもない」と理由付けをすれば、どんなにか楽しい事だろう?こんな所では自然発生的にサイエンスをしてしまう。但し、これが正規のサイエンスにかかると「気温*度における水の**状態の数百μm級結晶と酸素20%窒素80%混合気体との圧力*hPa下における集団的混合運動の境界層内特異点の近傍での振る舞いの研究」などと云う味気ない名前になってしまうから困ったものだ。・・・たしかに「強い吹雪の作る芸術の研究」と云った名目では、文部省が研究費を出してくれるとも思えないが。
 可成り気楽な気分で宿を出たのだが、こうも天気がよいと矢張り全コースを完走してみたくなる。とすれば今日の行程はシンギ(Singi)までの59kmと云う事になろう。一寸大変かもしれぬ。こんなことなら昨日は苦労してでもアレスヤーレまで行っておけば良かったな、などと後悔した。そうすれば今日の行程は36kmで済む。それなら更に次の山小屋=ケブネカイゼ(Kebnekaise)までの14kmを加えても50kmにしかならないから、これも可能に違いない。と云う訳で「損した」「損した」を連発しながら滑っている訳だが、だからといって不機嫌な事は全然無い。上々の機嫌なのである。心の底では「だからこそ、今日はアビスコヤーレからシンギまでの59kmに挑戦できるんだ」などと訳の分からぬチャレンジ精神を燃やしているから始末に終えない。天気が良いと性格まで楽天的になってしまうらしい。

 昼食休憩の時間になった。場所はアレスヤーレを越えた所。時に11時半。
 ここにブルーベリー・スープがある。ジュースではない。入れ物にはちゃんとスープと書いてある。但し甘い。アラスカには無かった代物だ。これをどうやって料理に使うのかは未だに知らないが、それでも私には非常になじみがある。・・・スキー・レースの給水所によく置いてあるから。つまるところ非常に有難い飲み物である。ここまで大切に持って来たが、いよいよパックから明けて水筒に移し変えた。午後の行程はこれに頼るつもりだ。
 アレスヤーレまでは殆ど誰にも会わなかったが、その後はあちこちで人に会う。大抵は例によって家族や夫婦連れだ。その中には犬を一匹だけ連れている組も多い。アラスカでもそうだったが、キルナでは 「犬が家族の一員」と云う所が多い。比して猫は非常に冷遇されて、存在するチャンスすら殆どないのだが、その話は別の機会に譲るとして、ここではその犬である。これが荷物の運搬役として重要な任務を果たしている。なるほど、総重量の四分の一でも良いから犬に荷物を引かせたらさぞかし楽だろう。猫では無理だ。猫がソリを曳いている様を想像してみようとしたものの、どうにも想像できない。やはりここは犬で無ければならない。実は私は非実用的な猫の方が現実に走る実用的な犬よりは好き(だからこそ工学ではなく理学をやっているのかも知れない)なのだが、スキー・ツアーの間だけは実用的な犬へ浮気をしても悪くはないな、などと考えてみたりもする。そういう犬連れのカップルが一組、私の休憩中に抜いていったので、あわてて後ろから追いかけたが、連中は速い。元来カップルは遅いものと相場が決まっているものだが、犬の差で、どんどん先にいってしまう。このうち男の方は先週のスキー・レースで私よりも少し速くゴールした人だったみたいで、私の顔を覚えていて(私が覚えている筈がない)ちょっと立ち話をした。聞くと今日の目的地は同じシンギだそうだ。無論、これは「行ければ」の話ではあるが、こういう連中と同じ小屋に泊まるのは楽しいだろう。
 やがて雪道は本格的上り坂にさしかかった。今度の峠はシェクシャ(Tj"aktja)峠と言って全行程中では一番高く1170mある(ちなみにアビスコは400m)。とは言え、標高差だけを見ると今朝の峠よりは遥かに楽な筈という事になっている。なってはいるが、今は既に35km・・・普通で言えば一日分の行程・・・を7時間かけて滑って来たばかりだから、体が疲労してかなりきつい。シェクシャの山小屋を横目にひたすら登る。悪い事に、どこかの馬鹿が雪道の上をズボズボ歩き回って、スキー用の溝を1kmほどズタズタにしている。メチャメチャ滑り難い。腹が立つ。この最悪の区間を過ぎても登りは遥かに長い。結局1時間半もかけて峠に着いた。
 その待望の峠ではスノー・モービルの連中がコーキーを沸かしている。何となくむなしい。別に腹を立てている訳ではない。ただ、むなしいのである。休憩する気も失せて、そのまま急坂に突っ込んだ。昨日地図を見た時「こりゃスキーをはずして歩いて降りなければならないかな」などと不安に思ったほどの傾斜だが、昨日の坂と違って雪がふんだんにあるので・・・南風の多いこの谷では、峠の南面は雪の吹き溜まりになっている・・・転んでも怪我する心配がなく、そのまま一気に・・・と云っても一度だけ転んだが・・・滑り降りて、そこで休憩にした。
 さっきまで「気持ちの良いそよ風」だったのが急に冷たくなった。風が出てきたらしい。もしかすると・・・いや、まさか・・・夜には次の嵐が来るかも知れない。実を言うと、峠を越える前から南空に雲が少し出たのが気にはなっていたが、今朝こそやっと嵐が収まって天気が回復してきたばかりだったので、こんなに早く天気が崩れるとは思ってもいなかったのである。こうなると、今日はどうしてもシンギまで行っておかなければなるまい。その手前のセルカ(s"alka)止り・・・ここからは7kmほどしかない・・・では、明日の行程が45kmになってしまう。天気が良ければ明日の午後3時(一日一本のバスの時刻)までにこの行程を走破する事も出来ようが、嵐の中では無理だ。昨日の例がそれを証明している。しかし、今日のうちにセルカ ~ シンギ間の12kmをかせいで置けば、明日が嵐でもなんとかバスに間に合うだろう。
 そう考えながら滑ると急に疲れが出た。スキー・ツアーに「どこどこまで行かなければならない」というプレッシャーは禁物のようだ。それまでの極楽行程が一転して地獄の苦しみとなる。セルカはまだ遠い。シンギとなればはるか彼方だ。疲れはたまる。向かい風は刻々と強くなる。もはや一刻もはやく横になりたい。シンギに行くも行かないも、とにかくセルカで1時間の休憩を取ろう・・・心理とはそのようなものかも知れない。

 雪砂漠の中のオアシス。セルカにもっとも適切な表現を与えよと問われたなら、私は躊躇なくこの言葉を選ぶ。うねるようにやって来るなだらかな丘群のいくつ目だったか、その丘の上から数キロ先に茶色いぽつぽつとしたものが見えたとき、始めは蜃気楼かと疑った程だ。ここはだだっ広いU字谷だから、そのくらい遠くからでも見える。やがてそれが紛れもなくセルカの建物であると分かった時は本当に嬉しかった。今回の旅行の全行程中でも最も嬉しかったのではないだろうか?それから更に20分程かけてやっとセルカに着いたが、部屋に入るが早いか、すぐにお茶を沸かして腰を下ろした。夕方の4時半だから既に先着者も10名近くいて、いずれもここで宿泊することを決めている。私も、もしも疲れが全然回復しなければここに泊まっても構わない気がする。
 20分すわるだけでも体力は可成り回復するものらしい。そうなると心境はころりと変わる。地図によればシンギまではゆるやかな下りで、しかも中間点に簡易小屋がある。こんな所で更に30分も休むよりも、さっさと出かけて早くシンギに着いたほうが得策の様な気がする。疲れたとしても、6 ~ 7km先には簡易小屋があるから、そこで少し腰を下ろせば良かろう。意を決して再出発した。結局30分しか休まなかった勘定になるが、それでも足は可成り軽い。この調子の良さに更に気が変わって、こんなに効果があるのなら次の休憩でも長々と休んでやれ、と思う。
 簡易小屋には丁度一時間で着いた。建物自体は閉鎖していたものの、玄関の縁台が風下でしかもぽかぽかと日当たりが良く、そこでしばらく横になると実に気持ちが良い。子供の頃、冬の寒い日に部屋の日当たりの良い所で干したての布団の上に横になった時の、あの極楽気分(但し親に見つからなければの話だが)なのである。加えて空腹ときている。空腹に食い物が無ければこれは地獄だが、今はふんだんに食料がある。おやつの食パンを塊のまま貪り食いながら、午後の牛の様にゴロンとする。極楽の自乗だ。と、やがて後方に犬連れの男女があらわれた。5時間前に、同じく私の休憩中に抜いていった、あの連中だ。とっくに先に行ってしまったものと思っていたのに、さては峠の手前のシェクシャ小屋で休んでいたなと見当をつける。自分だけが取り残されたと思っていたのが、そうではないとわかると何となく嬉しいものだ。この犬付きカップルが行った後、更に10分程してスキーを履く。結局セルカと此処とで合わせて一時間休んだことになるが、その効果は絶大で体が軽くスイスイ滑れる。これならもっと早目に長い休憩を取れば良かったと思う。僅か15分程でシンギの小さな村が見えて来た。
 ここで私は詰まらぬ失敗をした。村が間近に見えたのにつられて、近道とばかり、スノー・モービル道を村の方にまっしぐらに降りて行ったのだ。もちろん正規ルートを逸脱しているのは承知の事だ。天候が良いと、調子に乗ってよくこういう事をする。村はあくまで村だった。そこに山小屋はなく、ようやく私は失敗に気が付いた。すべて後の祭り。「この馬鹿」「この馬鹿」と何度も自分自身をののしりながら坂道を再び登っていくさまは、あまり見られたものではない。
 結局到着は当初見積より1時間遅れの7時。約60kmを12時間で走破したわけだ。これがスキー・レースなら2時間半で先頭集団がゴールしてしまっている事だろう。私でも5 ~ 6時間もあれば完走できそうに思える。荷物と雪面の影響はやはり大きい。雪面の悪さで5割増し、荷物にせいで更に5割増しの時間がかかったと云う事になろうか。シンギの山小屋は二棟に分かれていて、それに気付かず片方に入った私は、結果的には先の犬ぞり組と違う建物になってしまったが、ここに泊まっている客も楽しい連中だ。但し、さすがに疲れ切った私は殆ど寝てばかりで、あまり会話は出来なかったが・・・。シンギに着いて1時間もすると風がすっかり冷たくなり、夜寝る前には、とうとう恐れていた通りの嵐となった。

 昨晩も嵐だった。今晩も嵐だ。このくらいの事は何の不思議も無い。まる2日嵐が吹き荒れる事なんて山ではザラだろう。が、その間が絶好の晴天だったとなると、これは尋常では無い。「女心と秋の空」などと云うが、その一つ上のランクに「スキー気分と山の空」というのを提唱したくなる。これに匹敵するのは猫の目玉と某国の政治家の弁明ぐらいだろう。
 僅かの晴天をついて59km滑ったのは、今にして思えば賢明であった。おかげで、2度の嵐にも拘らず2泊で全コース完走が出来そうなのだから。もちろん明日になって見なければ、明日じゅうに完走出来るかどうかは分からない。が、昨日と同じ程度の嵐であれば、今度は自信がある。次の山小屋ケブネカイゼまでの峠道14kmさえ乗り切れば、残り19kmはスウェーデン最大のスキーのメイン・ストリートで問題のあるはずがない。この区間はワイルド・スキーのコースの一部と言うには余りに世俗的なコースで、昨晩逢った例の父娘もここだけは避けたと云う程だ。所要時間を6時間と見積り、予備1時間を考え、3時のバスに間に合うために8時出発と決めた。
 翌朝も嵐は続く。出発の時、小屋で朝食を取っていた他のスキー客が
「もしも道標が見えなくなったら、引き返して来い」
と心配した程の嵐であるが、一昨日の嵐に比べれて今日のがとりわけ酷いとは思わない。特に今日は、食料が減った分(−5kg!スキーは腹が減る)荷物が軽くかつコンパクトになったから、一昨日よりは楽に決まっている。これから登る峠も、高さ自体は一昨日の峠ほどではない。そう思って、かなり楽観して出発した。
 が、問題はそれだけでは無かった。路面である。激しい向かい風に雪がすっかり吹き飛ばされて殆どがツルツルで、坂道は登りづらい。やや平坦な所になると、今度は雪の吹き溜まりとツルツルの路面が交互に来て、これまた全然前に進まない。もどかしいほどにのろい。今日は制限時間というものがあるから、気分的にだんだん切迫してくる。峠さえ越えれば、と念じてやっと登ったが、峠を越えると別の困難が待ち構えていた。今度は吹き溜まりの新雪の海で、何処を走れば良いのか全くわからない。ここだけ雪解けが早かったのか・・・もう4月中旬だ・・・新雪の下は地面になっていて、しかもその地面と言うのが、もともと岩ぼこだらけの所に雪解け水が再凍結してツルツルだから、コントロールが効かないまま岩に乗り上げることがしょっちゅうである。一度は思い切りつまずいて、かすり傷まで負ってしまった。仕方がないから出来るだけゆっくりと下る。

 どういう訳かスノー・モービルに一台も逢わない。スノー・モービルと云うのは迷惑であると同時に有難くもある存在だ。昨日ははっきり言って邪魔だった。スキー・トレイルの溝を潰すわ、排ガスをまき散らすわ、騒音を立てるわ、隣国ノルーヱーがスノー・モービル禁止令を出しているのも頷けた程だった。今は違う。むしろ待ち遠しい。スノー・モービルが一台でも通れば、このふわふわした新雪の海にもなんらかの路が開けるだろう。少なくとも雪の下に隠れている岩につまずいて投げ出される事だけは避けられよう。江戸時代の医者の言葉に
「どんな薬草も毒になる事があり、どんな毒草も薬になる事がある」
と云うのがあるそうだが、これはスノー・モービルにも良くあてはまる。この「毒草」が薬になる瞬間を先程から待ち侘びているのだが、こういう時に限ってなかなか現れないものだ。結局ケブネ山荘の間近になって、やっと一台出会ったに過ぎない。
 ケブネカイゼ山荘はスウェーデン最大級の山ホテルである。と云うのも、スウェーデン最高峰ケブネカイゼ(2117m)登山の拠点だから。冬も例外ではない。この山を眺めながら気楽にスキー散策をしようと云う連中はいくらでもいるし、それどころか、スキーでこの最高峰に登って来ようなどと云う輩も多い。そんな訳で、ケブネカイゼ山荘から先はやたら人が多い。特に今は午後3時のバスに合わせて移動する組で「込んでいる」と言っても良いくらいだ。もちろん、そんな連中の1組目を追い抜いた時は「これでバスに間に合う」と思って嬉しかったが、こうも次々に人に逢うと少々煩わしい。それほどの区間だから、ここだけはどんな嵐でも切り抜けられるだろう、と思っていると、こういう時に限って嵐は収まるものらしい。風がすっかり止んで、雪だけが降り続いている。但し視界は相変わらず悪い。とうとうケブネカイゼ山を拝む事なくニカロクタに着いてしまった。所要時間は昼食込み6時間弱で、嵐の峠越えを含む33kmの行程としてはまずまずと言えよう。
 バスにゆられて今回の旅行を振り返る。1日目35km(うち22kmは嵐の中の単純往復)、2日目59km、3日目33kmの合計 127kmを、2度の嵐に逢いながらも2泊で完走した事になる。コースそのものは上々で、特に景色に関しては申し分無い。さすがKungsleden(王道)と言うだけの事はある。毎年来ても良いし、夏にも来てみたい気がする。ただし嵐だけは御免被りたい。・・・満足感に浸ってウトウトしていると、いつの間にやら空が晴れてきた。何となく損した気分がする。

 スキー旅行はこれで終わらない。
 翌日、何だか調子がおかしい。体の節々の痛みと云うのなら話は分かるが、そうではなくて目が痛い。開けても閉じてもひりひりと痛い。どうにも我慢ならなくなって、同僚に電話すると、「snow blind(雪目)に間違い無い」との事である。2日目の晴天下に12時間も滑ったのが悪かったのだろう。結局、病院の時間外診療を訪ねて薬をもらって来た。snow blindである事が明白だったせいか、医者すら出て来ず、看護婦だけの応対だ。それほど当地ではsnow blindにかかる不注意者が多いらしい。看護婦の忠告に従って部屋を暗くして、さらにサングラスを室内で付けて、2 ~ 3日アパートに籠っていたが、とにかく痛いものは痛い。元はと言えばサングラスを持っていかなかった私が馬鹿なのだが・・・。でも、ここは考えようで、3日目の嵐のお陰でなんとか痛みが出る前に帰り着いたと思えば、幸運である。3日目が晴天だったら、それこそ目も当てられなかったに違いない。そう思って自分自身を慰める。・・・どんな状況でも楽観的な解釈は出来るものだ。
 病気(今回のは単に日焼けのしすぎで別に病気ではないが)になるとスウェーデンのありがたみがわかる。友人は毎日電話をかけてきて買い物・食事の心配をしてくれる。ボスも「だいたいお前はタフ過ぎるんだ。まあ、とにかく寝てろ。夕方なにか差し入れに行ってやるから」などと言ってくれる。別に食事に困っている様な酷い状態ではないが、やはり嬉しい。このあたり、スウェーデンはアメリカよりも遥かに日本に近いと感じる。結局、このボスはやって来なかったが、翌日「いや、帰る直前になってお前のところにピザを持って行くのを忘れたんだ」と言っていた。確かに忘れっぽい男だ。まあ、おかげでこのボスは私にとって気楽な事この上無いのだが。
 目の方は三日目には痛みも取れ、サングラス付きなら何とか文字も読めるようになった。目の色が黒でよかった。これが青い目なら一週間は何も読めない所だったろう。その点、西洋人は可哀相だ。で、サングラス付きで研究所に行くと、こういう時に限って郵便物がたくさん来ている。考えてみれば4連休+2日間のお休みで、郵便物が多くてもおかしくはないのだが、それにしても今週だけはやたら多い。ボスは「仕事なんかせんで、ぼやっとしとけ」などと云う・・・誰かさんとは大違いだ・・・が、どうも仕事の方が閑居を許してくれないらしい。
 研究所の友人は皆笑いながら心配してくれる。確かにサングラスを持っていかなかった私が馬鹿なのだが、人間、多少、間の抜けた所が或るほうが他人の共感を得るものと見えて、会話は弾む。それで私が
「アラスカでは全然何とも無かったのに何故ここじゃ駄目なんだ」
と言うとさすがに皆、不思議そうな顔をしていた。この違い、或いは研究の価値ありや?

1992.4.19~21
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