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リハビリ記録その113

2012-4-1
山内正敏

 雪解けが早く始まって3日ほど水が勢い良く流れておりましたが、ここ数日は平年並みの寒さに戻ってスキーが出来るようになっています。

 そのスキーですが、今春は9回滑りました(まだ滑るかもしれないけど)。回数自体は初めてスキーをした一昨年と同じですが(昨年は天候不順で4回だけ)、距離が3割ほど伸びていて、まずまずの進展ではあるものの、劇的という程ではありません。新しい挑戦の割に進展が劇的でないのは、足首の運動神経が全く回復していないからで、膝の力が多少戻ったところで、足首を捻るのが怖くてはスピードは出せません。これがスキーの難しいところです。足首をしっかり止める最新型の靴ならかなり楽になるのでしょうが、使っているツアースキーのバインダー(旧式)に合う靴で、足首固定型の靴が見つからず、まだ買うのを見合わせています。あくまでもリハビリトレーニングの一環なので、今の段階では、そういう補助云々よりも、膝バンドを外せるようにする方が優先だと思うからです。なので、今のところは捻挫をしないように気をつけながら距離を伸ばしております。
 一方、松葉杖を使った階段の昇降訓練では、膝バンドを外すプロセスが1月以来続いていて、先月はついに踊り場まで膝バンドなしで昇り切ることが出来ました(下りはまだ)。ただし、膝バンドをつけている場合と同じく、杖の片方を手すりに寄りかからせる形なので、完全に松葉杖だけで昇っている訳ではないし、その寄りかかせる向きも、手すりが右側の場合しか出来ていません(これは私が左利きだから)。他の松葉杖の訓練では、両杖を上げて歩く訓練も、距離訓練も進展があります。問題は、退屈な廊下を何度も単調に往復しなければ距離が稼げない事で、先月はとうとう10往復(3.2km)までしてしまいましたが、屋外のトラックと違って半地下の廊下は退屈なことこの上ありません。
 松葉杖での階段昇降が順調に回復している理由に、足が強くなっているだけでなく、腕の力がついてきている事が挙げられます。そして、それと同じ事が指にも言えます。実際、筋力が付くと柔軟性も高くなるようで(因果関係は逆だと思いますが)、例えば拳骨(不完全なグー)を握るのもかなり楽になっているし、介護による柔軟で腕を背中に回す訓練では、介護に支えて貰いながらも、背中の真ん中をかなり強く掻く事が出来るようになっています。
 今は松葉杖とスキーの訓練が中心になっているので、歩行器による長距離(6キロ以上)はほとんどしていません。歩行器と言えば、ここ数年は乾燥した冬場の静電気が大問題でしたが、それに変化が起こっています。2年半前に歩行器のタイアを交換した後、冬の静電気が酷くなって、アース線をつけたのですが、そのタイアが傷んだので昨夏に2個だけ交換したら、今冬はほとんど静電気が発生しませんでした。但し、今冬は乾燥した大寒波というのもほとんど無く、その意味では静電気が無くなったのがタイヤの為かどうかわかりません。なので、来年、再来年の冬も調べる必要がありそうです。

 仕事は相変わらず25%病休で、実労時間も週に33〜35時間程度だと思いますが、その割には非常に忙しく、今春は予算申請書(本文10ページ程度+事務書類)を4本と、人工衛星の申請書(30ページ)を1本、それぞれ全く違うトピックで出す予定になっています。その他に4月22〜27日に欧州地球科学連合総会に11年ぶりに参加して4件発表する予定で、そのうちの福島放射能汚染を調べた発表は、 4月24日の記者会見 (ネット中継)で話す事になっています。とても25%病休の人間のスケジュールではありません。そもそも、この病気にかかったのは、忙し過ぎる時に他人の都合に無理やり合わせた事だったので、それを考えると、私自身がどうしても出したい申請書(2本)以外はパスすべきなのかも知れません。まあ、そのあたりは今後の調子で決めます。こんな事で病気が再発しては馬鹿馬鹿しいですから。
 仕事といえば、1年半前に札幌でやった会議に関連した 雑誌特別号 (Open Access)も出版されました(編集担当)。専門が近い方はどうぞ。

 最後に例によって無駄話です。今日は4月1日という事で、それにちなむ小話を2つほど書きましたので、暇を持て余している方は
(1)今年の分
(2)昨年の分
をどうぞ。ちなみに昨年の分は、1年前だと日本では不謹慎と言われそうな気がして今まで公開してませんでした(研究所の同僚だけにしか出さなかった)。風刺・ジョークを考えるぐらいの余裕が無いと物ごとの対処は難しいと思うのですが、日本では時にしてそれが出来ない事があり、公開が怖かったというのが本音です。

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