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リハビリ記録その107

2011-10-2
山内正敏

 陽光の弱い極地では、ジェット気流のうねり具合で雨期と乾期が交互(その間に強風期)に年に2回程度やってきますが、ジェット気流で決まるだけあって、雨期・乾期の時期はあまり一定せず、太陽の強い夏ですら数ヶ月ずれることがあります。今年の場合だと、この雨期が8月中旬から9月下旬にかけて続きました。この時期にきたのは、この10年で初めてです。加えて、出張だの介護の風邪(介護は風を引いたら本来は休むべきですが、そこは大目に見ています)とかで、結局9月は研究所から自宅までの歩行が一度も出来ず、週末に2回だけ9キロ程度(全標高差が120mほど)を歩いただけです。
 とはいえ、その9キロを1時間40分という、昨年ベストより7分半速いタイムで歩いて大いに満足しているし、松葉杖でも2キロ半の坂道コースを1時間10分で歩き、これまた大いに満足しています。結局、昨年に比べて松葉杖が4割以上、歩行器でも5%以上速く歩けるようになっていて、去年よりは記録の伸びの著しい年となりました。回復は対数減衰よりやや早いというのが去年までの結論なので、その誤差範囲の上限ぐらいの進展になります。

 このような回復はともかく、9月で一番大きなイベントはベルギー出張(1週間)でした。ベルギーに行くのは病気前を通じて初めてで、しかも汽車を使う部分もあった事から、今回は介護を連れて出掛けました。介護は1月に始めたばかりの人(21歳)なので、彼女にとってはラッキーだったという事になります(会議に缶詰の間や、他の参加者との食事の間に観光が出来るから)。行き先はブリュッセルから特急で1時間離れたBrugge(ブルージュ)です。
 実は会議の開催を知ったのが発表締め切りの直後(6月)で、慌てて主催者に問い合わせたら、締め切りが1週間のびていたので、それでとりあえず発表申し込みをしたというもので、その時は、てっきり会議がオランダ(欧州宇宙機構の重要な拠点のあるところ)と思っており、昔何度も行った事のある街だからとたかをくくっていたら、実はベルギーの街、しかもユネスコ歴史遺産の街だと知って慌てました。というのも、歴史遺産ということは、道路が昔風のタイル敷きばかりに決まっているし、ホテルも旧式の身障者対応の無い所が大いに決まっているからです。ただ、参加が無理かと言えばそんなことは無い筈で、取りあえず、会議場に身障者トイレとかがあるかどうかを確認すると共に、主催者に最寄りの身障者ホテルの有無を問い合わせたところ、一応どうにかなりそうだったので、口頭発表である事を確認した上で参加をきめました。
 その後もいつものように準備して2週間前に出掛けたのですが、実際に行ってみると、歴史遺産ん都市ブルージュ以前に、EUの首都がここまで身障者に対して劣悪な都市であるとは思いもよりませんでした。というのも、汽車が、ブリュッセル空港線も、ブルージュへの幹線特急も、どちらも全然身障者対応からほど遠く、ドアのステップの段差が異常に高いだけでなく、手すりも使いづらくて、これならキルナを走る鉄道のほうがマシなくらいです(そのくせ、全ての車両に身障者マークがついている:羊頭狗肉より酷い)。しかもブリュッセルの乗換え駅のエレベータが昇りだけ壊れていてホームに昇れず、帰りにブリュッセル駅に1時間も足止めを食ってしまいました。その為、空港のチェックインが1時間10分前になってしまい(それでもヨーロッパ内の便なら余裕で間に合う時間の筈)、そのあとの空港内の諸手続きを最速で済ませてすら、飛行機のゲートにたどり着いたのが20分前ギリギリになってしまいました。これがEU首都の現状です。ちなみに行きでも空港列車が2つキャンセルになるダイヤの乱れで、飛行機が19時に着陸したにもかかわらず、ブリュッセル空港を出たのが20時40分で、最終的にホテルに着いたのは23時でした。アパートを出たのが11時30分ですから12時間かかった事になり、私だけでなく介護も疲れたようです。
 ホテルでも問題がありました。道路からホテルの受付まで4段の階段があったからです。もっとも、裏口(車の出入り口)から中庭を経由すると段はないのですが、そこまで石畳の悪路である上、入口が常に施錠されているために出入りの際にいちいち受付に言って鍵を開けてもらわなければなりません。結局、到着の日こそ裏口から入りましたが、他の日は受付の人と介護の肩を借りて階段を登り降りして出入りしました。また、会議場周辺の半径500m程は、車道も歩道もことごとく昔風の石畳道で、しかも昔の街だけに車道も歩道も非常に狭く、そこを車が高速(一方通行なので恐ろしく飛ばす)で通り抜けると言う、歩行器や車椅子にとっては最悪の街でした。よくぞ、こんな街で、昼食や夕食の度に歩行器をガタガタ言わせながら色々なレストランを捜したものです。脚力が今みたいに回復していなかったら、例えば2〜3年だったら、会議参加者と談話できる機会である食事(会議ではこれが重要)を諦めて、一人わびしくサンドイッチで済ませていたと思います。
 会議場も酷く、身障者トイレが別の階の遠く離れた場所(建物で一ヶ所だけ)にしかないばかりか、そのトイレの電球が壊れていて(なんでもずっと誰も使っていなかったそうです)、水道は硬い蛇口、面積も極めて狭く(旅行用でなく普段使っている歩行器だとトイレに入り切らない)、要するに「身障者トイレの設置」という法律要件を書類上満たすためだけのトイレで使い物になりません。今の私だからこそ何とか使用可能でしたが、車椅子時代だったら使う事を諦めざるを得なかったと思います。会議場の事務方も酷く、水曜日にはトイレに鍵をかけて使えなくしたほか(なので、午後まで我慢しなければならなかった)、火曜日には唯一のエレベーターを別の作業(椅子運び)で占有して、それを待っていたら会議に遅れるので他の参加者の肩を借りて階段を登ったり(会議は2階でトイレは3階)、入口に雨水用の小さな溝があって、そこに歩行器に車輪がハマってしまうような代物でした。
 これが世界遺産都市という奴です。もっとも介護にしてみれば素晴らしい旅行だったようで(こんな事でもない限り、世界遺産の街には行かない)、私にしても、これほど酷い環境をどうにか出来たのですから、「回復の一里塚」という意味では結果オーライです。ただし、今後は「世界遺産」という名のある街にはあまり行きたくありません。
 ちなみに次の旅行は5日後の日本行きです(10月7日〜18日:福岡・宮崎)。行きは知り合いと一緒ですが、帰りは完全に単独になります(初挑戦)。ヘルシンキ空港で変な事にならない事を祈るばかりです。

 最後に例によって無駄話です。
 キルナ市(四国の面積)では、住民に対して、バスを無料化する実験を9月から(正確には8月最後の週から)始めました。今の状態では利用者が少なすぎて(空気を運ぶのと同じ)、それをどうにかしようというのが動機のようです。皆がバスを使えば、国全体のガソリン節約になるので、非常に良い試みだと喜んでおりますが、今のところ短距離の利用者はそこまで増えていません(中長距離は増えている)。やはり大都市でないと難しいようですが、そういう実験を行う所がスウェーデンらしいと言えます。そういう意味では、日本の中都市(特に昼間の時間帯)でこそやるべき事なのかもしれません(大都市は採算ベースでも人が乗る)。

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