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リハビリ記録その55

2007-6-3
山内正敏

 2週間前まで陰性梅雨の如く雨・雪ばかりだったキルナに、今度はひとっ飛びに夏がやって来て、木々も例年より少し早く新緑を出し始めています。ここ1週間はずっと夏晴れで、特に一昨日からは3日続きで20度に達し、昨日なぞは7月でも滅多に無い夏日和でした。ただ、こんな感じの春を経た年というのは、7〜8月が不順になり易いので、単純に喜ぶ訳にも行かず、太陽の出ている今のうちにせっせと日光浴を兼ねて歩行訓練をしています。

 その日光浴の障害になるのが膝バンドです。膝バンドを直接皮膚に装着すると皮膚が痛むため、膝バンド=長ズボン着用となるからです。それでは日光浴の効用が半減するので、昨年までは自転車訓練の時に日光浴を兼ねていました。幸い、今年は、その膝バンドを外して歩く事が目標なので、歩行訓練と足の日光浴(もちろん上半身もだけど)の両立が可能になっています。肘歩行器で膝バンド無しと云うのは昨年からもやっていますが、歩行距離が長くなったのは夏の後半で、日光浴にはさほど貢献しておらず、ましてや普通の歩行器を膝バンドなし、というのは昨年の秋にやっと数百メートル可能になった代物ですがら、日光浴には全く貢献していません。
 早速、ここ数日の真夏日(20度以上)を利用して。昨日は肘歩行器で7キロ以上(3時間弱)を、今日は普通の歩行器で3キロ以上(2時間)を歩き、ちょうど良い具合に日焼けをしています。肘歩行器自体の最長距離は8キロ強/2時間50分で、これは2週間前に歩きました。普通の歩行器の膝バンド無しは今日が最長距離で、昨年の最長の5倍程になります。3日前には研究所の通勤(こっちはタクシーですが)でも膝バンド無しに挑戦していて、車椅子無しで研究所の用事をこなしておりました。今までにも研究所から歩いて帰る為に車椅子を使わなかった事はありますが、大抵は滞在時間が短いうえに膝バンドも着用しており、車椅子も膝バンドも無しでまとまった時間研究所にいたのは始めてです。こういう訓練は「訓練」としては目立ちませんが、膝や腰(車椅子は腰に悪い)の為には効果的で、できれば今年の秋には週一回ペースで車椅子無しの研究所行きが可能になるようにしたいと思います。
 ちなみに、研究所に行く他の日は、介護なしの時間を増やすようにしています。例えば、介護が交代する場合は、一人でタクシーに乗ってアパートの前で介護と待ち合わせるというスタイルを始めています。とにかく研究所と街の間のバスが非常に少ないので、研究所から帰る際に必ず介護がいるようにすると、時間の束縛がきつ過ぎて、いろいろ不便を感じるし、介護の時間も無駄になる(仕事開始から40分かかって私の所に現れる)ので、このようなスタイルを始めています。また、週に一回は、介護に午前10時過ぎに一旦帰ってもらって(午前の最終バスが10時10分)、次のバス(と言っても13時30分着ですが)で来て貰う(実質的に4時間近く介護なし)という大胆な事もやっています。その日だけは昼食(セルフサービス)は食堂スタッフに手伝って貰い、トイレは基本的に我慢という事になりますから、介護を帰す前にお腹の調子が大丈夫かどうかの確認が欠かせませんが、2ヶ月近く試した所では、まあ、大丈夫なようです。これらの試行は、まだ介護の仕事時間割には反映させていませんが、秋からは正式に「介護の1時間半昼休み」を週2回入れる事にしています。そんなこんなで、秋から介護時間(現在週96時間)が週5時間ほど減らせると思います。
 一口に介護の時間を減らすと言いますが、現在のように固定介護がいる状態で、これを私の都合のみで減らす事は、雇用の問題から簡単ではありません。介護時間を減らすのは確かに私の権利(そして国の介護保険部としても推奨)ですが、実際に行うとなると、介護の反対の他、市の福祉課も反対するに決まっているからです(というのも国から降りる介護保険の一部を市がピンハネするから)。要するに、国から認められた介護時間というのは市にとっても介護にとっても既得権であって、それを削るのは簡単ではありません。だから、実際に減らす時は、少なくとも介護の雇用時間に影響の無い方法を探る事になります。
 例えば、1年前までは、3人目(100%で無い人)が決まらない事を理由に徐々に3人目のパーセントを減らしていました。それで1年前までに週100時間(2.6人に相当)まで落としました。それを、昨年秋のEU労働時間規則問題が起こった時に、規則上、土日の時間を減らさなければならなかったのと、たまたま2人目の介護が一時的に(アパート不足問題で)いなくなった事を良い事に、12月から96時間(2.5人に相当)に減らした訳です。ところが、この程、その介護が4週間前に戻って来て、仕事時間を100%にするように市の方から話があり、しかも3人目の介護(60%契約、30歳代)が70%に増やせと煩く言い続けるという厄介な状況に陥りました。たまたま夏休み期間である事を利用して、休暇の穴を正規介護で埋める事で、週96時間介護に押さえつつ、仕事自体を2.7人分確保するという形の予定表を5、6、7、8月の4ヶ月間作る事ができましたが、休暇シーズンの終る9月からはこの手が使えません。つまり誰かの雇用を最低でも10%減らさなければならない訳で、それは面倒な交渉します。
 ところが、半月前に状況が一転しました。2人目の(4週間前に帰って来た)介護が、給料の面で市の福祉課と衝突し、更に6ヶ月南に行っている間に彼氏を見つけた事から、夏に辞める事になったからです。当然、その空きを夏の間(そもそも夏休みだから若い臨時介護がぞろぞろいる)に捜す訳ですが、このタイミングを逃す訳にはいきませんので、早速8月分から介護時間そのものを少し減らし、9月からは更に目標値(無理の無い程度で15%削減)にまで減らす積もりです。そんな訳で、9月から2.35人(60%の人を上限の75%に上げて、新たに60%を採用)になる予定です。もっとも、秋には国の介護保険部による介護時間の見直しがありますから、その時にもっと時間が減らされるかも知れません。というか、それを想定して今のうちの減らしておく訳です。というのも、いきなり減らされるのでなく、今みたいに徐々に馴らして行く方が良いに決まっているからで、私が介護や市の福祉課に(自主的な介護時間削減を)説明する際も、これを理由にしています。ちなみに1年半前の見直しでは週116時間から103時間に減らされましたが、その段階で既に週104時間にまで減らしていたので、混乱はありませんでした。
 ちなみに、2人目の介護が市の福祉課と衝突した理由も既得権が絡んでいます。国からの介護保険は毎年据え置きに近いので、年配介護や福祉課担当者(彼らの給料は、介護保険のプールから払われるのが原則)の給料を年功序列で上がる為には、新人の給料を据え置かなければなりません(ちなみに臨時介護の給料に至っては3年前に下げられた)。だから、今では新人(と云っても3年目)とベテランとで2割の差があります(福祉課担当は遥かに高級取り)。2割というのは平等が建前のスウェーデンではかなり大きな差です。ところが、介護の仕事内容を見ると、技術が問われる身の回りの世話の為だけの介護ならともかく、私のようにリハビリが中心になってくると、技量よりも、ちゃんとリハビリ(屋外歩行等)に付き合えるかが重要で、そうなると、体力のある若い介護が自然と有利で、仕事量も増えてしまいます。つまり給料が実際の仕事量を反映していないどころか、逆配分になっている訳です。若い人からみれば、給料をピンハネされている事になり、この矛盾に2人目の介護が気付いてしまって、切れたというのが衝突の原因でした。結局、この問題ば、介護という職業が「体力のある若い人が数年間だけやる仕事」「一生続けるべきでない」性質のものであるところに起因している気がします。というのも、スウェーデンではキャリアを次々に変えているのは当然の事ですから。だから、一生続けるなら、より重度の障害者に順次移って、しかも次第にチーフたる責任を持って行くのが前提でしょう。

 介護を減らす話のついでに、3週間前のストックホリム出張の顛末です。事実上、マトモな介護の助けが殆ど得られなかった旅行でした。1泊2日ということで現地介護を頼んだのですが、市の福祉課の不手際(今年に入ってからの彼女は仕事の手抜きが激しい)で、出発2日前まで介護をアレンジする現地責任者すら分からない状況で、最後になってギリギリ責任者と介護が決まりましたが、こういう直前アレンジによくある話として極めて質の悪い介護に当たりました。若干の不満を感じた1回目や異常な未熟を感じた2回目の方がまだマシで、結局、帰りは、空港で知人と待ち合わせしている事を良い事に、彼とはストックホルムを出る際(タクシーに乗る際)に別れました。もっとも、悪い介護というのは、その分、私自身の回復を実感させてくれる存在でもあって、次回の現地介護が大きく減らせる筈だという思いを強くしたという面(=反面教師)では良かったのかも知れませんが。
 今回の出張のタフさはそれだけでありません。出発の日に同じ飛行機に乗っている(直接の)知り合いが一人もおらず(幸い空港のチェックインスタッフが日本人の知り合いしたが、他は助けになる知り合いが皆無)、更に飛行機の出発が50分も遅れた(季節外れの雪のせい)のも加わって、結局、アパートを出てからストックホルム空港に着くまで4時間半近くを完全に単独で行動した事になります。その後は、空港から会議場(ストックホルムでもっとも有名な島)に行く時にタクシーの運転手がこの会議場を知らなかったという愛嬌はともかく、問題は会議場で、昔の王侯貴族専用の監獄だったというこの建物は、入り口から会議室にたどり着くまで3つのエレベーターを乗り継がなければならず(会議室は2階)、会議室に一番近いトイレも、格好良い手すりの付いた「身障者用」と銘打っているのに、私がどんな手段を講じても便器に移動するのが不可能なデザインで(階下にマトモなトイレがあったから事無きを得たけど)、しかも朝食室には2段の段差があって車椅子や歩行器で入れるものではありませんでした(朝食室の手前にたどり着くまでに更にもう1個のエレベーターがある)。
 問題は施設だけではありません。一番酷かったのが、私が会議室にいる事が分かっているのに、その日に限ってエレベーターのメンテを昼食の時間したという事です(食堂は階下)。皆に取り残された私は昼食を会議室で一人わびしく食べる羽目になり、さすがに腹を立ててスタッフに抗議しました。そもそも会議での食事というのは相談事や議論をする為の場であって、発表よりも重要な事が多いからです。結局、罪滅ぼしに、一番の責任者が直々にお土産とかをくれましたが(僕には役に立たないものばかりだが、謝罪の気持は充分に汲める)、ともかく二度と行く気はしないし、人にも薦めようとは思いません。もっとも「元監獄」を売り物にしている会議場/ホテルですから、その意味では完全な監獄状態を経験出来たとは言えますが(丸2日間、一歩も外に出る時間が無かった)。
 前回にしろ今回にしろストックホルムの現状というのはこんなものかも知れません。住んでいる身障者には素晴らしい街でも訪問する身障者には良いとは限らない事を実感しました。もっとも会議自体は非常に有意義で、色々新しい事を挑戦した事も相まって、出張そのものについては大いに満足しています。

 最後にしょうもない無駄話です。十年程前から、千一夜物語(岩波文庫全13巻)を少しずつ集めていましたが、この4月に3巻を加わって全巻がそろい、少しずつ楽しんでいます。で、その550夜前後を読んでいたら、高野聖の元になった話がありました。いいかげんなウェブサイトとかでは、これが幻異志(9世紀、中国)の板橋三娘子にアイデアを得たなどと憶測で書いているものもありますが、泉鏡花自身はアラビアンナイトにアイデアを得たと云っていて、それはさもなりなん、と思っていたのですが、中々見つからなくて、どれが出典だろうと訝しがっていた訳です。この千一夜物語の話を読むと、オデュッセイア(ギリシャ神話)のキルケ(紀元前)→千一夜物語の545-547夜(10世紀) → 高野聖(19世紀) & 幻異志の板橋三娘子(9世紀)という流れが見えて来て、それだけでも感激ものですが、更に、これらの流れの中で、千一夜物語が一番淫乱な事と(次がキルケ)、これが中国(唐)に来ると性的なものが完全に除去されてしまっているところにも興味を感じました。
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追記:コムスン問題
2007-6-14

山内@スウェーデンです。

 コムスンの話が新聞を賑わせて10日程になりますが。スルーするのも難なので。
 こちらの介護事情(というか介護予算との関係)と比較すると、コムスンの不正も確かにあるけど、その根底に、不正が必要なシステム(家事とか、身障者が生活を維持するのに必要な時間が認められていない事)があると感じます。つまり諸悪の根源は厚生労働省であって、それで、ずっとマスコミの「叩けば良い」主義の報道に非常に不満だったのですが、ようやくマトモな解説が出たようなので、お知らせまで。
 もちろん、これが出るのに10日も掛かった事には不満ですが、朝日みたいに未だに(15日の社説)コムスンとNOVA(これは本当に悪質)を同じレベルの悪として議論しているのよりはマシだと思います(朝日が酷過ぎるのか?)

毎日新聞6月15日付『発信箱』(中村秀明)です。
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