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病気後、初めての米国コロラド出張(介護1人)の記録

2004年8月21日〜29日(米国7泊、機内1泊)

 病気後はじめての長距離出張(米国コロラド州での会議参加)をして、過去1ヶ月はそれに明け暮れました。
 この会議は昨年の出張(フィンランド5泊)の直後から最優先目標にしていたものです。それに向けてリハビリを励んできたわけですが、それでも、今の私の身体では余りにも懸念が多く、最後の最後まで参加を決めきれませんでした。出来るだけの対策は半年前から立てていたものの、現に実際の旅行は想像よりも厳しく、ちょっと無理をした感は否めません。帰宅した時はくたくたで、1週間程何もする元気がありませんでした。

*行く前の懸念は
  1.トイレ(飛行機、ホテル、友人宅)、
  2.ホテルの身障者対策。
  3.身体が長距離旅行(デンバーの宿までが片道丸1日、そこからレンタカーで翌日4時間)に耐えられるかどうか、
  4.身体が時差(8時間)に耐えられるかどうか、
  5.都合9日間もトレーニング(歩く訓練など)をしない悪影響、
  6.身体の緊急事態(感染症等)への対処、
  7.補助体制の緊急事態(介護の病気)への対処、
  8.交通期間の混乱(テロ予告等などによる)への対処、
*いつもながらギリギリまで悪戦苦闘する事が分かっているのが
  9.発表準備、
*行ってから問題になったのが
 10.高山病(ホテル兼会議場は標高 2050m)、
です。

 参加に先立って最大の不安が不測の事態の可能性です。数年前から延び延びになっていた会議の話が具体化したのが昨年5月、即ちブッシュ政権のイラク侵略2ヶ月後ですから、私のような身障者で無くてもビビるところでしょう。ましてや、介護と定期的医療措置を必要とし、大陸間旅行そのものに耐えられるかどうかすら分からない身体で、戦争当事国に出かけるなんて気違い沙汰です(2006.8 追記: 不安は現実だったようです)。とはいえ、現在進行中の戦争さえ無ければ、北アメリカがリハビリの一里塚として妥当な距離であることも事実で(日本はこの次の段階)、不安に駆られながらも参加準備は進めました。幸いにして、イラク情勢がブッシュ政権の思惑から大いに外れて、アルカイダ等の反米組織もイラクに精力を集中しているみたいなので、8月中ならアメリカは大丈夫と踏んで、1ヶ月前に参加を正式に申し込んだ次第です。
 もっとも、ニセ爆弾予告等で飛行機がキャンセルになったりする事態は充分にあり得るので、1〜2週間ほど足留めを食ってもパニックにならないように、カテーテル等の予備は当然持って行きました。ただ、全てを機内持ち込みにする訳には行かず、そういう意味では、チェックインした荷物が無事にコロラド(デンバー空港)に着いたのは幸運だったと言えるでしょう。
 他にも色々と緊急事態(私が病気になるとか)があり得ます。しかるに私の介護はいずれも米国未経験ですから、必ずしも対処出来るとは限りません。一応、一番英語会話の達者な介護を選んで連れて行く事にしましたが、それでも不安なので、行きは研究所元所長の教授にストックホルムから同行して貰いました。彼は私とは別の街に住んでいるので、私のとるルート(アイスランド航空)では3〜4時間余分にかかる上に航空賃も1〜2割(2〜3万円)高くなるのですが、こればっかりは仕方ありません。実際、彼に同行して貰わなければ、介護が過労で病気になっていたのはないかと思われます。
 私だけで無く介護の健康も懸念の一つです。もしも介護が病気になったら、現地から介護を調達しなければなりません。それでなくても、介護が過労になるのを防ぐ必要があります。これらを考慮して、あらかじめ、5日x4時間ほどの現地介護を確保するべく、コロラドの友人(アラスカ時代のオフィスメイト)に可能性を尋ねたところ、親切にも色々調べてくれました。なんでも、現地の病院の掲示板にアルバイト募集の貼り紙を1〜2ヶ月前に出せば大抵見つかるとの事です。ところが、この案に、市の身障者部が難色を示しました。もしかして、スウェーデンの税金を外国人介護に払う事がスウェーデン経済に与える影響が問題なのかと思ったら、もっとレベルの低い話でした。
 キルナ市に私の介護を依託している社会保険庁によると、介護の現地調達は全然構わないそうで、今回それが出来なかったのは、田舎町ゆえに過去にそういう経験をしていない(書類の作り方が分からない)と云うだけの理由でした。介護の旅費を出せない(研究所が介護の航空賃とホテル代を出し、自治体から出るのは介護の給料と出張手当てと保険)なら、現地調達が出来るように予算(介護にかかわる費用は社会保険庁=国から充分に出ている)を柔軟に使えと言いたい所ですが、勝手が分からないと云われては、出来るだけ分かりやすい方法を私が提案するしかありません。こんなのは役所に任せてもダメなのです。結局、今回は、介護が病気になった場合に限って現地で介護を調達し、その費用は取りあえず私が払う事にして、出張の後に払い戻しを受ける、という事で話が決まりました。ついでに、現地調達の経験を取りあえず国内で、ということで、来週金曜のウーミオ日帰り出張の際に現地調達する事でキルナ市と合意しました。こうして例を積み重ねるのが一番早い訳です。最終目標は、日本帰省の際に日本の介護アルバイトを雇う(キルナ市に雇わせる)事となります。日本語の出来ない介護の為に日本行きの航空運賃を払うなんて馬鹿らしいですから。私が取りあえず現金で払って、その領収を持ってキルナ市に払い戻して貰うという形になると思いますが、日本側はそれで良いのかなあ、、、?

 今回の出張では、幸いにして緊急事態に直面せずに済みましたが、それでもそれに近い事は何度かありました。
 最大の危機は高山病です。ホテル到着翌日の午後(会議の1日目)から段々体調が悪くなり、始めは時差8時間と長旅と発表準備による睡眠不足と疲れのせいかと思ったのですが、夕方には急速に身体の動きが鈍って、典型的な高山病の症状を示すようになりました。会議の行なわれたホテル(スキーリゾート)は標高 2050m にあります。これは普通には問題にならない標高で、しかも9年前に同じくコロラド(ボールダー、標高 1700m)で学会があった時は全然平気だったので、気にも留めていなかったのですが、考えてみれば、私は3ヶ月も人工呼吸を受けていた身です。今だって普通の人より酸素摂取能力が劣っているに違いなく、従って高山病にかかり易い筈なのです。
 高山病に効く薬はありません。だから翌日もこの傾向が続けば、会議を忘れて標高の低いところ(車で4〜5時間はかかる)に移動しなければなりません(まあ、近くに病院があるから、そこで酸素吸入を受ける手もあるけど)。そう覚悟しながら、2年半前に人工呼吸を受けていた頃のアドバイスを思い出して、出来るだけ安静にして、食事を思いきり減らし(というのも食事をすると、酸素要求量が増えるから)、水だけ大量に飲んで(これは到着当初からそうするようにアドバイスされた)様子を見たところ、翌日から少しずつ快方に向かい、会議の最終日には概ね正常に戻りました。そんな訳で、1日目に盛んに質問した私も、2日目、3日目は大人しくせざるを得ませんでした。今は、喉元過ぎれば何とやらで、結果的に肺機能の高地訓練になったと喜んでおります。

 他にも色々問題がありました。懸念やその対策ともども時系列にまとめてみます。
 先ず、出発の日、ストックホルムで車椅子を受け取ると感じが違います。暫く使ってみて、ブレーキが曲がっている事に気付きました。車椅子というのは荷物室に押し込まれる訳で、そこは、丈夫な鞄ですら壊れる事のある場所だから、車椅子の一番弱いところが壊れてもおかしくありません。介護と2人で青くなってブレーキを詳しく調べたところ、幸いにして壊れたのでは無く、単にブレーキがずれただけみたいだったので、早速、到着サービスに行って直して貰いました。まだストックホルムの空港だったから良かったものの、これがミネアポリスだったら通関の前に到着サービスなんて無いから、ちょっと問題だったように思います。後日、介護用品の修理担当の人に尋ねると、ブレーキなんて小さい問題で、車椅子の車輪が曲がって使えなくなった例すらあると言っておりました。ちょっと怖いものがあります。
 ストックホルムからコロラドへは、マイナーなアイスランド航空でレイキャビクとミネアポリスの2ヶ所を経由して行き、更にミネアポリスでは直後の飛行機(接続時間内)を避けて、充分な乗り継ぎ時間を確保しました。というのも、飛行機内でトイレに行けない(歩けないし、歩けても介護まで中には入れない)ので、各フライトの機内滞在時間が出来るだけ短くなるルートで、なおかつ一番長いフライト(レイキャビク〜ミネアポリス間)の後は充分なトイレ休憩を確保しなければならないからです。一番短いのはアイスランド航空のミネアポリス便で、これだと3時間+6時間半+2時間の乗り継ぎになります。次に短いのがスカンジナビア航空のニューヨーク経由(7時間)ですが、値段が高い上に、テロの危険のある空港なので、今回は避けました。他の安い航空会社(ロンドン、フランクフルト、アムステルダム等経由)は、一回当たりのフライトが10〜12時間もかかるので論外です。
 さて、一番短いアイスランド航空ですら、最長区間は6時間半に及びます。私の過去の最長フライトが2時間20分(1年前)ですから、6時間半と云えば非常に長く、少なくとも半年前までの私に7時間もトイレを我慢するなど到底不可能でした(これもギランバレーの病気の続きです)。そこで、主治医に頼んで尿を減らす薬を処方して貰う一方、トイレを我慢する(尿管=カテーテルを長時間閉鎖する)練習を1年前から行なってきました。実は身体(膀胱回りの筋肉)の回復とともに、トイレを我慢できる時間も徐々に長くなる訳で、これを訓練によって積極的に助長しようという訳です。その甲斐あって、昨年は2時間が限界だったのが、春先には3〜4時間が可能になり、最近は4〜6時間我慢できるようになってきました。この分だと、水を飲むのを減らせば7時間も問題無し踏んで、薬を使わずに搭乗して、見事にクリアーしました。帰りは多少水分の摂取を増やして、これもクリアー。この分だと、最長8時間のフライトまでなら何とかなるような気がします。訓練の産物は他にもあって、正常な尿道から出る尿の量がかなり増えてきました。膀胱は回復の難しい部位の一つですが、存外、再来年あたりには尿管(カテーテル)を外せるかも知れません。
 長いフライトは、トイレの問題だけで無く、エコノミー症候群を始めとする問題もあります。とにかく今の私は筋肉が全然足りないのですから、座ったままの不自然な姿勢を続けるのは不安で、そういう意味でもアイスランド航空を使うのは正しい選択です。しかも、ストックホルムとミネアポリスでは充分な接続時間があったので ゆっくり腰を伸ばす 事が出来て、ずいぶん助かりました。さもなければ腰がおかしくなっていた可能性もあります。
 しかしながら、行き26時間(+翌日レンタカー4時間)、帰り22時間(+前日4時間)という日程は余りにもきつく、私ばかりか介護も完全にダウンしてしまいました。こんな長旅は二度とやりたく無いというのが本音です。ちなみに、行きに26時間もかかった(予定では24時間)のは、最後の飛行機が40分遅れた(土曜夜だったので、ターミナルで最後の飛行機だった)のと、レンタカー屋(夜12時で、これまた最後の客)でのトラブルの為です。3人の荷物+車椅子等を考えて大きな車を借りたのですが、1つ目のレンタカーは指定の駐車スポットに存在せず、2つ目のレンタカーはバッテリーが上がっていて動かず、かれこれ1時間かかってやっとまともな車を得て動き始めた次第です。お陰でホテルの到着が午前1時半となって、それに時差8時間を加えると、日本からキルナに行くのよりも遥かに時間がかかってしまった勘定になります。介護に至っては私の就眠の世話をしてから自室に入った訳ですから、さぞかし大変だったでしょう。これで誰も病気にならなかったのは純粋に幸運と云わざるを得ません。

 話は少し戻り、アメリカに入国してすぐに問題になったのがトイレです。
 ミネアポリスに着き、全然下手な空港介護要員の世話を受けて(それでもチップがいる)、通関もスムーズにいった(その為に招待状を会議主催者から発行して貰っていたからスムーズに行かない筈が無い)のですが、この乗り換え空港ですぐにトイレに困りました。というのも、身障者(Handicapped=車椅子マークのトイレ)用のトイレは男子トイレや女子トイレの中にあって、独立した Handicapped トイレが見つからなかったからです。私の連れて来たのは女性の介護。一般論として考えても、普通に一番ありうる老人介護は夫か妻であって異性の可能性が高い訳です。そういう状況に対応していません。
 友人の話では、これは米国すべての公衆トイレに当てはまるそうです。どうやらこの国では、体が若干不自由だが一人で用を足す事の出来る人間の事を Handicapped と言うらしく、私のように介護を必要とする人間は指していない様です。そのため、小用(尿袋を空けるだけの事)すら出来ずに困りました。ちなみに北欧で身障者用トイレと言うと、基本的に全く歩けずかつ介護を必要とする人(小さな子供を含む)が使う事を想定しているので、男子トイレからも女子トイレからも独立した広い個室で、しかも、便器の両側に支えアームが付いているものを指します。これが Handicapped=車椅子マークの本来の姿でしょう。
 もちろん、ほとんど全ての公的男子トイレ/女子トイレの中に身体の不自由な人の為の便器があるのは素晴らしい事です。でも、残念ながら、それでは本来の身障者にとっては余り役に立ちません。結局、ミネアポリスを始め、トイレの際は中に誰もいない事を確認してから男子トイレに入って小用を足すようにしたのですが、それでもこっちの用が終る前に次の人が入って来る事がしょっちゅうあって、介護はきまり悪い思いをしていたようです。
 会議が終って帰りしなに例のアラスカメイトの所に泊まった時にこの問題を話したところ、介護を必要とする人の為のトイレは、米国では決して Handicapped とは言わず、 ユニセックス(Unisex)トイレとか Family restroom と言う事と、そういうトイレが今は非常に少ない事(ホテルには無いと思った方が良い)、けれども増えつつある事を教えてくれました。名前を教えてもらって、ミネアポリスで捜したところ、この大きな国際空港に1個だけありました(ちなみに行きしなは、Handicapped という言葉に固執していたので全然分からなかった)。ただ、何でも一気に突っ走る米国の事だから、10年後には世界で一番 Unisex トイレの整備された国になっているかも知れません。

 トイレの問題はホテル兼会議場でもついて回りました。予約する際は当然身障者用の部屋を指定する訳ですが、そもそも身障者用の部屋と言ってもピンからキリまであるのが現実なので、予約に先立って、具体的に必要な事項(便器の両側に手すり、風呂は不可能だからシャワーのみ、床に寝るだけのスペース、戸口の広さ、全ての経路に段差の無い事)を羅列してホテルに問い合わせました。これが4ヶ月前。その解答として、身障者用の部屋はあるものの、便器の両側に手すりのある部屋は一つも無いとの事で、それではホテル内の何処か(例えば会議場の近く)にあるかと尋ねたら、身障者用のトイレを会議場近くに設置するのは法律で義務付けられているとの返事だったので、それで安心して行ったところ、例によって Handicapped トイレは男子トイレ/女子トイレの中にあって、とてものんびりと大きな用を足す訳には行かない事が判明した訳です。片方の手すり(それが身障者用の部屋の作り)だけで身体を支えられる程、私の手は回復していません。
 幸いにして、先述の友人が、 レンタルの歩行器 (月4000円)を捜してくれて、事もあろうにわざわざ到着のホテルに届けてくれていた(彼らの家から高速で1時間かかる所にデンバー空港とホテルがある)ので、それを使って便器に移動する事が出来ましたが、これが無かったら(というかこのアラスカメイトがたまたまボールダーに住んでいなかったら)と思うとぞっとします。歩行器は帰りしなに泊まったアラスカメイトの家でも大いに役立って、かなり狭いトイレでも何とか用が足せました。歩行器がかなり使いこなせるようになったからこそ出来る事です。
 そういう訳で、大きい方の用はどうにかなりましたが、小用は相変わらず問題でした。というのも、先述の高山病で水を大量に飲み大量に排泄しなければならず、午前中全部とか午後全部とかトイレを我慢する訳にいかなくなったからです。休憩時間は他の参加者がトイレに行くので、女性介護(当然会議参加者と顔見知りになる)をトイレに連れて行くのは論外。結局、講演の途中で抜け出して、人がいないと思われる時を狙ってトイレに行きましたが、それでもかち合う事が往々にしてありました。
 ちなみにトイレの為にいちいち部屋に戻るというのは実質的に不可能でした。部屋自体は会議場の真上にあるものの、肝心のエレベーターが遠く離れた所にあり(細長いホテルの右翼先端に会議場と部屋があるにもかかわらず、エレベーターは左翼のかなり端にあるという、身障者に不親切極まりない構造)、しかも廊下が絨毯(スキーリゾートのせいか、薄汚れていてみっともない)で敷き詰められていて、かなりの腕力が無いと車椅子を真直ぐに漕ぐ事が出来ない代物だったからです。高山病で息苦しい時に、トイレの為にいちいち部屋に戻れる筈がありません。
 これでも立派な会議場付きの リゾートホテル で、正規料金が1泊 250ドル、会議特別価格ですら1泊 110ドルします。一方、コロラド(デンバー)到着の夜に泊まった安ビジネスホテル(1泊 60ドル)は、便利なところに身障者用の部屋があって、シャワーなんかも遥かに便利に出来ていました。ホテルの値段とか高級度(星の数)と身障者対策が全く対応していない好例です。かようにホテルには問題があったものの、主催者は私の事を始終気遣ってくれて、それに大いに感謝した事は付け加えておきます。その点、昨年のヘルシンキ(よもや身障者が参加するとは思っていなかったフシがあるけど、招かざる客みたいな扱いだった)とは雲泥の差でした。
 さて、肝心の発表ですが、金曜午前の最終(会議のトリ)という事で、会議の前半に高山病で苦しんだ人間には有り難かった反面、半数近い参加者が既に帰路についていて、全員には聞いて貰えなかった恨みもあります。後者については、これが今回の私の役割の一つと割り切って(というか始めからその積もりだった)、どうしても聞いてもらいたい人には個人的に話をしているので、それで十分です。ちなみに話の内容は、今までの研究と全く内容も手法も違うもので、当然の事ながら準備が大変で、出発前日にプログラムバグを見つけて、プロットを全部やり直すような状態でしたが(朝4時半に呼んだ呼び出し介護が「今から寝るの?」と呆れていた)、これはいつもの事なので特筆するには値しません。

 以下、今回の旅行で他に気付いた事です。
 *デンバー空港内のターミナル移動用の無人列車は車椅子の事を全く考えておらず、加速減速の際に転倒の危険がある。
 *コロラドでは、ホテルに身障者用の部屋を設置する場合、階段無しに外に出られる場所に設置する事が義務付けられている。
 *飛行機の国内線(Northwest)は出入り口が広くて、私の車椅子のまま入る事が出来たが、国際線は飛行機専用の車椅子に移る必要があった。
 *身障者用の駐車場は非常に多いが、使用の際は市役所に行って証明書を貰わないと駄目で、レンタカー屋では貰えない。
 *そのレンタカー屋に行くシャトルバスは車椅子対応で大いに助かった。

 最後に、今回の出張の教訓です。私のように介護を必要とする人間が長距離旅行の場合の話に限りますが、とにかく書き出しておきます。
(1)いくら準備しても準備しすぎるという事はありえない。あらゆる異常事態を想定して対策を立てる必要がある。
(2)Handicapped 用という言葉に騙されてはいけない。
(3)ホテルの予約の際は、トイレについて細かく指示する(両側に支えアームのあるトイレが部屋、ないしは男子トイレ/女子トイレから独立して存在する)。
(4)会議場のトイレも、身障者用が男子トイレ/女子トイレから独立して存在する事を確認する。
(5)現在問題ない器官でも、環境が変われば未回復の部分がクローズアップして危機に至る可能性がある(高山病など)。
(6)歩行器は非常に役に立つので、もしも現地で借りられるなら出来るだけ借りるようにする。
(7)介護一人だけでは手に負えない事があるので、少なくとも行きは出来るだけ同行者を募る。
(8)荷物が届かない場合を想定して、機内持込み品を充分にそろえる(これはかなり厳しいが)。
(9)車椅子は出来るだけ乗り継ぎの際にいちいち受け取って、故障の有無をチェックする。
(10)取りあえず、現地に知り合いの住んでいない街には行かない。

 何はともあれ、なんとか健康を損ねる事無く(と思う)無事に戻れてほっとすると共に、回復の大きな一里塚を一つ越えた事を実感します。

追伸1:出張中にキルナのオーロラシーズンが始まりました。 mpg動画 によると、今秋初のオーロラは8月25日で、8月30日には大きな爆発も見えている様です。ただし、私自身は出張の疲労の為、夜に外をチェックする事が無く、まだ拝んでおりません。

追伸2:秋と云えば、今秋は『我輩は猫である』の主人猫の生誕100年に当たります。この、日本でもっとも毒舌であろう猫は、私の推定では1904年の10月生まれですが、日本で彼猫を記念した催し物などあるでしょうか? ちょっと検索したところ何も見つかりませんでした。

追伸3:デンバー空港のターミナルCの唯一の本屋にはレーガンだのニクソンだの共和党関係の本だけが平積みになって(もっとも、日本の方が世論操作が巧妙かも知れませんが)、世界であれほど嫌われているブッシュが未だにアメリカで支持されている理由の一端が見えたような気がします。とはいえ、私の友人でもっともリベラルな人(アフガニスタン攻撃に反対した人)も大抵アメリカ人で、全く両極端な国だと改めて思いました。

追伸4:巷の報道とは裏腹にブッシュ政権が宇宙科学の予算を削っているという事を色々な人(同業者)から旅行中に聞きました。ブッシュ政権の科学音痴+環境音痴は本当に酷いものだそうです。それなのに一般向け報道を見ると……ちょっと情けなくなります。

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追記(2006.8.10): 英国で大規模な航空機爆発計画が摘発され、それに伴って機内持ち込みが厳しく制限されるようになったたが、これが2年前に起こっていたら会議参加はキャンセルいていた可能性が高い。

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